舟中の具備りて海上を走る図
是は上に出せる六種の具ことーーく備りて
海上に走らんとするの図なり、まつ海上に走らんとすれハ水伯に祈り、海上安穏ならん事を願ふ、其祈る詞に、アトイカモイ子トヒリカノイカシコレと唱ふ、アトイは海をいひ、カモイは神をいひ、子トは風波の穏かなるをいひ、
俗になきといふか如し、
ヒリカノイカシコレは前にしるせるか如く、海の
神風波のおたやかなるよふによく守護
たまへといふ事也、右の祈り終りてそれ
より出帆するなり、すへて夷人の舟を乗るにもことーーく法有ことにて、
本邦の舩師にことなる事はあらす、まづ
舟を出さんとするには、其日の天気、風波の
善悪をかんかふるの述もあり、舩中にて忌ミ
憚るの詞もあり、或は風波にあふときハ海神に
祈るの法も有、其外海上を走るといへとも、
凡そ一日に着岸なるやならさるやの程を
計りて、格別に遠く岸を離れて乗る事ハ
あらす、常に海岸にそふて走る也、是ハ
北方の海上風波のあらき事甚しきゆへ、
舩を海上に泊する事ハ夷人ことに恐れきらふ
か故也、此外舩中にての事は夷人すへて秘密の
事となして、かるーーしくハ人に語らさるゆへ
詳らかならぬ事共多し、追て考ふ
へし、此に出せる図は風の左りへ走るさま也、
艫の左右に縄を以て帆を繋き立て、アシナにてかぢを
とり走る也、風の右に走んとすれは左右の
縄をくりかへ、帆を左にかたむけ風を請て
走るなり、夷語に是をホイボウチフといひ、
又バシテチフといひ、亦カヤウシチフといふ、ホイ
ボウといふも、バシテといふも、皆走る事をいふ、
カヤウシはカヤは帆をいひ、ウシは立る事
をいひて、帆を立るといふ事、チフはいつれも
舟の事なれは、三つともに走る舟の事を
いふなり、
海上に走らんとするの図なり、まつ海上に走らんとすれハ水伯に祈り、海上安穏ならん事を願ふ、其祈る詞に、アトイカモイ子トヒリカノイカシコレと唱ふ、アトイは海をいひ、カモイは神をいひ、子トは風波の穏かなるをいひ、
俗になきといふか如し、
ヒリカノイカシコレは前にしるせるか如く、海の
神風波のおたやかなるよふによく守護
たまへといふ事也、右の祈り終りてそれ
より出帆するなり、すへて夷人の舟を乗るにもことーーく法有ことにて、
本邦の舩師にことなる事はあらす、まづ
舟を出さんとするには、其日の天気、風波の
善悪をかんかふるの述もあり、舩中にて忌ミ
憚るの詞もあり、或は風波にあふときハ海神に
祈るの法も有、其外海上を走るといへとも、
凡そ一日に着岸なるやならさるやの程を
計りて、格別に遠く岸を離れて乗る事ハ
あらす、常に海岸にそふて走る也、是ハ
北方の海上風波のあらき事甚しきゆへ、
舩を海上に泊する事ハ夷人ことに恐れきらふ
か故也、此外舩中にての事は夷人すへて秘密の
事となして、かるーーしくハ人に語らさるゆへ
詳らかならぬ事共多し、追て考ふ
へし、此に出せる図は風の左りへ走るさま也、
艫の左右に縄を以て帆を繋き立て、アシナにてかぢを
とり走る也、風の右に走んとすれは左右の
縄をくりかへ、帆を左にかたむけ風を請て
走るなり、夷語に是をホイボウチフといひ、
又バシテチフといひ、亦カヤウシチフといふ、ホイ
ボウといふも、バシテといふも、皆走る事をいふ、
カヤウシはカヤは帆をいひ、ウシは立る事
をいひて、帆を立るといふ事、チフはいつれも
舟の事なれは、三つともに走る舟の事を
いふなり、
これは上述した六種類の器具が完備して海上を航行しようとする図である。
まず、海上を航行しようとすれば、水の神にお祈りして海上での安穏無事をお願いする。その祈り詞は「アトイカモイ子トヒリカノイカシコレ」と唱える。アトイは海のことをいい、カモイは神をいい、ネトは風波の穏かなことをいい(俗に凪という)、ヒリカノイカシコレは前述したように、「海の神さま、風波のおたやかであるよう、よくお守りしてください」ということである。
このお祈りが終って、それから出帆するのである。総じて、アイヌの人びとは舟に乗るにもことごとく法則があって、
それは日本の船乗りと異なることはない。まず、舟を出そうとするには、その日の天気、風波の良し悪し考えてつげるということもあり、船中での忌み言葉もあり、また風波に遭ったときは海の神に祈ることもある。そのほか、海上を航行するときであっても、およそ一日で着くことができるかできないかの距離をおしはかって、とりわけ遠くまで岸を離れて乗ることはなく、常に海岸に沿って航行するのである。これは北方の海上は風波の激しいことはなはだしく、舟を海上に停泊させることはアイヌの人びとのことに恐れ嫌うためである。このほか船中のことはすべて秘密のことであってアイヌの人びとは軽々しく人には語らないので、つまびらかにできないことが多い。改めて考えることとしよう。
ここに出した図は、風の左の方へ航行するようすである。艫の左右に縄で帆を繋ぎ、アシナで梶をとって走るのである。風の右の方に走ろうとすれば、左右の縄をたぐり変えて帆を左に傾け、風をうけて走るのである。
アイヌ語でこれをホイボウチフといい、またバシテチフといい、あるいはカヤウシチフという。ホイボウというも、バシテというも、みな「走る」ことをいう。カヤウシとは、カヤは帆のことをいい、ウシは立るという意味で、「帆を立る」ということ、チフは舟のことだから、三つとも「走る舟」のことをいうのである。
まず、海上を航行しようとすれば、水の神にお祈りして海上での安穏無事をお願いする。その祈り詞は「アトイカモイ子トヒリカノイカシコレ」と唱える。アトイは海のことをいい、カモイは神をいい、ネトは風波の穏かなことをいい(俗に凪という)、ヒリカノイカシコレは前述したように、「海の神さま、風波のおたやかであるよう、よくお守りしてください」ということである。
このお祈りが終って、それから出帆するのである。総じて、アイヌの人びとは舟に乗るにもことごとく法則があって、
それは日本の船乗りと異なることはない。まず、舟を出そうとするには、その日の天気、風波の良し悪し考えてつげるということもあり、船中での忌み言葉もあり、また風波に遭ったときは海の神に祈ることもある。そのほか、海上を航行するときであっても、およそ一日で着くことができるかできないかの距離をおしはかって、とりわけ遠くまで岸を離れて乗ることはなく、常に海岸に沿って航行するのである。これは北方の海上は風波の激しいことはなはだしく、舟を海上に停泊させることはアイヌの人びとのことに恐れ嫌うためである。このほか船中のことはすべて秘密のことであってアイヌの人びとは軽々しく人には語らないので、つまびらかにできないことが多い。改めて考えることとしよう。
ここに出した図は、風の左の方へ航行するようすである。艫の左右に縄で帆を繋ぎ、アシナで梶をとって走るのである。風の右の方に走ろうとすれば、左右の縄をたぐり変えて帆を左に傾け、風をうけて走るのである。
アイヌ語でこれをホイボウチフといい、またバシテチフといい、あるいはカヤウシチフという。ホイボウというも、バシテというも、みな「走る」ことをいう。カヤウシとは、カヤは帆のことをいい、ウシは立るという意味で、「帆を立る」ということ、チフは舟のことだから、三つとも「走る舟」のことをいうのである。

































































































