なくよく守護たまはれといふ事也、
これは夷人の心に、およそ性ある物にハ
ことーーく魂魄ありとおほへたるによりて、
無情の木なれともかくイナヲをさゝけて
祭りをなし、其伐りとりしことハりを
のへて尊敬する也、魂魄を夷語にラマチと
称す、草木たにかくの如くなれハ、まして
有情の禽獣なと殺すときは、その精を
祭る事甚厚し、
これは夷人の心に、およそ性ある物にハ
ことーーく魂魄ありとおほへたるによりて、
無情の木なれともかくイナヲをさゝけて
祭りをなし、其伐りとりしことハりを
のへて尊敬する也、魂魄を夷語にラマチと
称す、草木たにかくの如くなれハ、まして
有情の禽獣なと殺すときは、その精を
祭る事甚厚し、
起こらないようによくお守りください」ということである。
これはアイヌの人びとの心のなかに、すべて性?あるものにはことごとく魂魄がそなわっているという考えがあるので、情というもののない樹木でさえも(それを伐採するときには)とのかくイナヲを捧げてお祈りをして、伐採する理由などをのべて敬虔に接するのである。魂魄をアイヌ語でラマチという。
草木にたいしてさえこのように接するのだから、情のある鳥やけだものを殺すときはその霊をお祭りすることにはとても敬虔なのである。
これはアイヌの人びとの心のなかに、すべて性?あるものにはことごとく魂魄がそなわっているという考えがあるので、情というもののない樹木でさえも(それを伐採するときには)とのかくイナヲを捧げてお祈りをして、伐採する理由などをのべて敬虔に接するのである。魂魄をアイヌ語でラマチという。
草木にたいしてさえこのように接するのだから、情のある鳥やけだものを殺すときはその霊をお祭りすることにはとても敬虔なのである。
































































































