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第1巻, 8ページ, タイトル: |
| あらす、
ことーーく家のかたハらのヌシヤサンにおさめ
置事也、
ヌシヤサンの事、カモイノミの部にミえたり、
其製するところの形ちは、神を祭るの法にした
かひて、ことーーくたかひあり、後の図を見て知へし、
凡て是をイナヲと称し、亦ヌシヤとも称す、此二つの語
未さたかならすといへとも、イナヲはイナボの転語
なるへし、 本邦関東の農家にて正月十五日に
質白なる木をもて稲穂の形ちに作り糞壤にたてゝ
俗にいふこひつかの事也、
五穀の豊穣を祈り、是をイナボと称す、此事いか
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ない。
それらは一つ残らず家の傍らにあるヌシヤサンに納め置かれるのである。
*ヌシヤサンのことについてであるが、本稿「カモイノミの部」を参照されたい。
作製されたイナヲの形状についてであるが、神を祭るに際しての法に従って、ひとつひとつに相違がある。後掲の図を参照されたい。
これらを総称してイナヲまたはヌシヤという。この二つの語源は未詳であるが、うちイナヲはイナボ(稲穂)の転訛と考えられよう。我が国の関東農村において、正月一五日に材質の白い樹木を用いて稲穂の形にこしらえたものを糞壌に立てて
*俗にいう「こひつか」(肥塚)のことである。
五穀豊穣を祈る儀礼があるが、その木製祭具を「イナボ」と称している。
この儀礼は、 |
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第1巻, 9ページ, タイトル: |
| にも太古よりの遺風とこそミえたれ、さらは
この事の転し伝りてイナホをイナヲとあやまり
称するにや、またヌシヤといへる事はとりもなを
さすヌサの転語にして大麻の事なるへし、
此稲穂と大麻の二つは 本邦にしても、今の
世に及ひては形ちもかハり事も同しからぬよふに
思ひなさるれと、いつれも天地の神明を祭るか
ために設るところの物にして、其用ゆるの意は
ひとしく今の幣帛也、今の幣帛は専らに
紙を用ひ、麻をもちゆれとも、上古の時紙麻とふ
の物流布せさりしには、木のミをもて製せし
事の有けんもしるへからす、其時にあたりてハ稲穂も
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いかにも太古からの遺風であるとの印象を受ける。そうだとすれば、こうした儀礼が転じ伝わって「イナホ」が「イナヲ」と誤って称されることになったのではなかろうか。また、「ヌシヤ」と称するのは、これはとりもなおさず「ヌサ」(幣)の転訛であり、大麻を指す言葉が伝播したと考えてよいであろう。
いま稲穂と大麻の二つについて言及したが、我が国について考えるならば、現在ではその形状も用いる儀礼も、太古のそれに比べ変化してきていると思われる。しかし、元来は両者とも天地の神明を祭る目的でつくられたものであり、その用途はいずれも現在の幣帛の持つ機能と同様である。現在幣帛は専ら紙や麻で作製されるが、上古にあって未だ紙や麻が流布していなかった時代には、樹木のみを素材としてつくられていた可能性がある。そう考えると、当時我が国では稲穂も
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第1巻, 10ページ, タイトル: |
| 大麻もひとしく木をもて製せし事にて、其
本邦太古のさまの転し伝りたるよりして、自ら
イナヲ、ヌシヤとふの称は存するなるへし、是等の
事によらんには、まさしくイナヲは幣帛の
事をいふか如く、あまりに 本邦の事に近くきこ
えて、蝦夷の事に熟せさらん人は附会のことのよふに
のミそ思ふへけれ、されと此事計りにはあらす、
奥羽の地にして蝦夷の風俗そのまゝ存し残り
たる事多く、又は今の蝦夷にしては失ひたる
事のかへつて奥羽の地に存し残りたる事も
少からす、これらの事委曲に此書の奥にしるし
たれは、此書全備するの日にいたらんには自らかく
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大麻も等しく樹木により作製されていた、ということになる。こうした太古の我が国において行なわれていた方式が転じ伝わったために、イナヲ、ヌシヤという二つの呼び方が併存しているものと思われる。
以上のことから考えると、イナヲと幣帛とは、まさしく同義のものであると位置付けられよう。イナヲをこう位置付ける事に関しては、あまりに我が国の風俗と同質の性格であると捉えていることから、蝦夷の事情に通じていない向きには牽強付会の説であるとの思いを抱かせるかもしれない。しかし、ことは独りイナヲだけの問題ではない。
例えば奥羽の地である。奥羽地方の習俗に蝦夷のそれがそのまま残存している事例は多い。のみならず現在の蝦夷が失ってしまった習俗が、かえって奥羽地方に残っていることも少なくないのである。こうした事例の様々は、本書の随所で仔細に触れているつもりである。従って、本書の全巻に目を通された暁には、おのずから我が国と蝦夷の風俗が同質であるという説がことごとく
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第1巻, 12ページ, タイトル: アベシヤマウシイナヲの図 |
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第1巻, 13ページ, タイトル: |
| 此イナヲは火の神を祭る時に奉け用ゆるなり、
アべシヤマウシイナヲと称する事は、アベは火の事をいひ、
シヤマは物のそばをいひ、ウシは立つ事をいひて、
火のそはに立つイナヲといふ事也、此語なとハまさ
しく 本邦の語にも通するにや、アベは火の事
をいふにあたれり、
此事ハ語解の部に委しく論したり、こと
長けれはこゝにしるさす、
シヤマはソバの転語にして、ウシはアシの転語なる
へし、アシといへる事は、もと立つ事をいふとミゆる也、
人の脚をあしといへるも立つ事より出たるにや、
机案の類のしたに立たるところをあしといひ、
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このイナヲは、火の神を祭るときに奉げ用いるものである。アベシヤマウシイナヲとは、「アベ」が火を、「シヤマ」が物のそばを、「ウシ」が立つことをそれぞれ表わし、合わせて「火のそばに立つイナヲ」という意味である。この語などはまさしく、我が国の言葉にも通じているように思われる。「アベ」とは、まさに火のことを言うのに当たっている。
* 「アベ」が火のことを指すということについては、本稿「語解の部」で詳しく論じている。長くなるのでここには記さない。
「シヤマ」は「そば」の転語であり、「ウシ」は「あし」の転語であろう。「あし」というのは、元来立つことを指していたと考えられる。人の足を「あし」というのも、立つことから出た言葉であろう。机などで下に立ててある部分を「あし」といい、 |
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第1巻, 14ページ, タイトル: |
| 其外雲あし、雨あしなといへる事も、ミなその
立るかたちをいへる也、かく見る時はアベシヤマウシ
は火のそばに立つといふ事に通するなり、この
イナヲは夷地のうちシリキシナイといふ所の辺
よりヒロウといへる所の辺まてにもちゆる也、
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またその他「雲あし」・「雨あし」などという事例も、皆それが立っている形を指しての言葉である。こう考えてくると、「アベシヤマウシ」を「火のそばに立つ」と言っていることと相通じてくるのである。このイナヲは、蝦夷地のうちシリキシナイ(尻岸内)という所からヒロウ(広尾)という所の辺りまでの地域で用いられている。 |
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第1巻, 15ページ, タイトル: ビン子アベシヤマウシイナヲの図 |
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第1巻, 16ページ, タイトル: マチ子アベシヤマウシイナヲの図 |
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第1巻, 17ページ, タイトル: |
| この二つはひとしく火の神を祭るに用ゆれ
とも、男女のわかちあるによりて其形ちの替れる
なり、ビン子アベシヤマウシイナヲといふは、ビンは男子を
いふ、子は助語也、シヤマウシイナヲは前にいへると同し
事にて、男子火のそはに立るイナヲといふ事也、
マチ子アベシヤマウシイナヲといへるは、マチは婦女をいひ、
子は助語なり、アベシヤマウシは前と同し事にて、
婦女火のそはに立るイナヲといふ事也、此イナヲに
男女のわかちある事ハ、火の神に男女あるといふにも
あらす、唯祭れるイナヲに男女のわかち有よし也、
これを夷人に糺尋するといへとも、いまた其義の
詳なるを得す、追て考ふへし、思ふに乾男坤女の
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この二つは、同じく火の神を祭る際に用いるものであるが、男女の別があるために、その形状が異なっているものである。ビンネアベシヤマウシイナヲとは、「ビン」は男子を表わし、「ネ」は助詞、「シヤマウシイナヲ」は前述の通りであり、合わせて「男子の火のそばに立つイナヲ」という意味である。「マチネアベシヤマウシイナヲ」とは、「マチ」は婦女を表わし、「ネ」は助詞、「アベシヤマウシ」は前述の通りであり、合わせて「婦女の火のそばに立つイナヲ」という意味である。このイナヲに男女の別があるのは、火の神に男女の別があるからというわけではない。ただ祭るイナヲに男女の別があるのみであるという。このわけについてアイヌの人々に聞き尋ねてみたのだが、いまだにその理由を詳らかにできないでいる。追って後考を期したい。ただ思うに、乾男坤女の |
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第1巻, 18ページ, タイトル: |
| 義にて、たゝ陰陽の二つを男女と分ちたる事なる
へし、これらの事誰おしへたるにもあらねと、用る
ところのイナヲ男女のミなるにしたかひて、其削れ
るかたち自ら仰伏のたかひありて、陰陽の象を
表したること誠に天地の自然に出たるにてそある
へき、委しくは図を見てしるへし、夷語に男子を
ビンといへる事は、其義いまた詳ならす、婦女を
マチといへる事は、まさしく日本紀に命婦とかきて
マチと訓したり、此マチ子アベシヤマウシイナヲを一には
メノコアベシヤマウシイナヲともいへり、メノコといふも女の
事にて、是はとりもなをさす女子なるへし、
此二つのイナヲはヒロウといへる所の辺より
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意味合いで、単に陰陽の二つを男女として分けたのではないか。こうした区分を誰が教えたというわけでもなかろうが、用いられるイナヲが男女のみであり、また、その削られた形状も自然と仰伏の相違があり、陰陽の象を表わしている。こうした区分は、誠に天地の自然が為さしめたものであろう。詳しくは、図を御参照ありたい。アイヌ語で男子を「ビン」という訳は、いまだ詳らかではない。しかし、婦女のことを「マチ」というのは、まさしく『日本紀』に命婦と書いて「まち」と訓じているのと通じている。また、このマチネアベシヤマウシイナヲは別にメノコアベシヤマウシイナヲともいう。「メノコ」という語も女を意味しており、これはとりもなおさず女子のことであろう。この二つのイナヲは、ヒロウという所辺りから
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第1巻, 19ページ, タイトル: |
| クナシリ島の辺にいたるまてにもちゆる
なり、
但し、此イナヲ、まつはビロウの辺よりクナシリ
島の辺まてに限りて多く用ゆれとも、ことに
よりては、シリキシナイの辺よりビロウまての
地にても用ゆる事のあるさまなり、追て糺尋
の上、たしかに録すへし、
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クナシリ島の辺りまでの地域で用いられるものである。
* 但し、このイナヲは、概ねにおいてビロウの辺りからクナシリ島の辺りまでの地域で多く用いられるものであるが、ことによってはシリキシナイの辺りからビロウの辺りまでの地域でも用いられることがあるようである。追って聞き取りのうえ、確実な情報を記したい。
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第1巻, 22ページ, タイトル: |
| これは家中の安穏を祈るに用ゆ、キケとは
物を削る事をいひ、チは助語なり、ノイといふは
物を捻る事をいひて、削り捻るイナヲといふ事也、
此等の語もほゝ 本邦の野鄙なることはに
通するにや、 本邦の詞に物を削る事をカク
といふ、カクはキケと通すへし、ノイはねへと通して
ねちといふの転語なるへし、さらはキケノイヽナヲは
かきねちるイナヲといふ事と聞ゆるなり、二種のうち
初の図はシリキシナイといへる所の辺よりビロウと
いへる所の辺迄に用ゆ、後の図はビロウの辺より
クナシリ島の辺まてに用ゆる也、其形ちの少しく
たかへる事は図を見てしるへし、
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これは、家中の安穏を祈るのに用いられる。「キケ」とは物を削ることをいい、「チ」は助詞、「ノイ」は物を捻ることを表わし、合わせて「削り捻るイナヲ」という意味である。これらの語も、ほぼ我が国の田舎の言葉に通じているようだ。我が国の言葉では、物を削ることを「かく」という。「かく」は「キケ」に通じるだろうし、「ノイ」は「ねえ」と通じ、「ねじ」という言葉の転語であろう。そうであるならば、キケチノイイナヲとは、「かきねじるイナヲ」という意味に聞こえるのである。なお、二種の図のうち、最初の図はシリキシナイという所の辺りからビロウという所の辺りまでに用いられており、後の図はビロウの辺りからクナシリ島の辺りまでに用いられているものである。その形状に少々相違がある点は、図によって確認されたい。
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第1巻, 25ページ, タイトル: |
| これは何とさたまりたる事なくすへて神明を
祈るに用ゆる也、キケは前にいふと同し事にて
削る事をいひ、ハアロは物の垂れ揺くかたちをいひ、
セは助語にて、削りたれ揺くイナヲといふ事也、
此ハウロといへることはも 本邦の俗語に、物のかろく
垂れ揺くさまをフアリーーーといふ事有、しかれは
ハウロはフアリと通して、キケハウロイナヲといふは
削りふありとしたるイナヲといふ事と聞ゆる也、
二種の形ちの少しくかハれる事あるは、前のキケ
チノイヽナヲにしるせしと同し事にて、前の図はシリ
キシナイの辺よりビロウの辺迄に用ひ、後の図はヒロウ
の辺よりクナシリ嶌の辺まてにもちゆる也、 |
これは、特定の定まった対象はないが、神明一般に祈る際に用いられる。「キケ」は前に述べたのと同様削ることをいい、「ハアロ」は物の垂れ動くかたちを表わし、「セ」は助詞であり、合わせて「削り垂れ動くイナヲ」という意味である。
この「ハアロ」という言葉についてであるが、我が国の俗語で、物が軽く垂れ動く様子を「ふあり、ふあり」ということがある。即ち、「ハウロ」は「ふあり」と通じて、キケハウロイナヲとは「削りふありとしたるイナヲ」という意味に聞こえるのである。
なお、図に掲げた二種の形に少々相違があるのは、前のキケチノイイナヲの個所で記したのと同様、最初の図はシリキシナイという所の辺りからビロウという所の辺りまでに用いられており、後の図はビロウの辺りからクナシリ島の辺りまでに用いられているものである。
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第1巻, 27ページ, タイトル: |
| ハルケとは縄の事をいひて、縄のイナヲといふ事
なり、又一つにはトシイナヲともいふ、トシは舩中に
用ゆる綱の事をいひて、綱のイナヲといふ事
なり、是はこのイナヲの形ち縄の如く、又綱の如く
によれたるゆへに、かくは称する也、此イナヲはすへて
カモイノミを行ふの時、其家の四方の囲ひより初め
梁柱とふに至るまて、 本邦の民家にて
正月注連を張りたる如く奉けかさる也、按るに、
本邦辺鄙の俗、注連にはさむ紙をかきたれと
称し、又人家の門戸に正月あるひは神を祭る
事ある時は、枝のまゝなる竹を杭と同しく立て、
注連を張り、其竹につけたる紙をも又かきたれと
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「ハルケ」とは縄のことを表わし、「縄のイナヲ」という意味である。また、別にトシイナヲともいう。「トシ」とは船で用いる綱のことをいい、「綱のイナヲ」という意味である。これは、このイナヲの形状が縄のように、あるいは綱のように撚れているために、こう称されるのである。このイナヲは、カモイノミを行なうときに、家の四方の囲いからはじめ、梁柱などに至るまでの隅々を、我が国の民家において正月に注連縄を張るように奉げ飾るのに用いられるのである。按ずるに、我が国の辺鄙の地における風俗に、注連縄に挟む紙を「かきたれ」と称し、また人家の門戸に正月あるいは神事がある時に枝のままの竹を杭のように立て注連縄を張るのであるが、その竹につけた紙のことも「かきたれ」と
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第1巻, 29ページ, タイトル: シユトイナヲの図 |
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第1巻, 30ページ, タイトル: |
| シユトといへるは、もと杖の名にして、ウカルを行ふ
時にもちゆる物也、
ウカルといふは、夷人の俗罪を犯したる者あれハ、
それをむちうつ事のある也、シユトは其むち
うつ杖の事をいふ、委しくは、ウカルの部にミえたり、
此イナヲを製するには、まつ木をシユトの形ちの
如くにして、それより次第に削り立る事をなすに
よりて、かくは名つけし也、 本邦の語に
罪人をうつ杖の事をしもとゝいふ、さらはシユトは
しもとの転語にして、これ又 本邦の語に
通するにや、このイナヲはいつれの神を祈るにも
通し用ゆる事也、
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「シユト」とは、もと杖の意味であり、ウカル( )を行なう時に用いられる。
* ウカルといって、アイヌの人々のなかで俗罪を犯した者がいた場合、その者を鞭打つことがある。シユトは、その際に用いられる杖のことをいう。詳しくは、本稿「ウカルの部」に記してある。このイナヲを作製するときに、まず木をシユトの形のように加工してから順次削っていくことにより、こう名づけられたのである。わが国の言葉で罪人を打つ杖のことを「しもと」という。つまり、「シユト」は「しもと」の転語であり、これまたわが国の言葉と通じていることになろう。なお、このイナヲはどの神を祈るにも共通して用いられるものである。
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第1巻, 31ページ, タイトル: イコシラツケイナヲの図 |
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第1巻, 32ページ, タイトル: |
| イコシは守りをいひ、ラツケは物を掛け置く事を
いひて、守りを懸け置くイナヲといふ事なり、
守りといへるは夷人の身を守護するところの
宝器をいふ也、その宝器はなを 本邦の俗に
小児の守り袋なといはんか如く、身の守りになる
よしいひて、殊の外に尊ふ事也、委しくハ宝器の
部にミえたり、
時ありて此イナヲに其宝器をかけ、住居のヌシヤ
サンにかさり置て祈る事のある也、其祈る事は
ことーーく意味深きよしなれは、夷人の甚秘する
事にて、人にかたらさるゆへ、其義いまた詳ならす、
追て探索の上録すへし、
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「イコシ」はお守りを、「ラツケ」は物を掛けて置くことを表わし、合わせて「お守りを掛けて置くイナヲ」という意味である。
* お守りというのは、アイヌの人々の身を守護してくれる宝器のことである。その宝器は、わが国で俗に小児の守り袋などのように、身の守りになるといって、大変尊ばれるものである。詳しくは、本稿「宝器の部」に記してある。
時折、このイナヲにその宝器を掛け、住居に附属するヌシヤサンに飾り置いて祈ることがある。何を祈っているかについては、その悉くについて深い意味があるとのことで、アイヌの人々は甚だ秘して他人には語らないため、いまだ詳らかにすることはできない。追って探索の上記すこととしたい。
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第1巻, 35ページ, タイトル: イアシイナヲの図 |
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第1巻, 36ページ, タイトル: ハシイナヲの図 |
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第1巻, 37ページ, タイトル: |
| ハシとは木の小枝の事をいふ、すなハち
本邦にいふ柴の類にて、柴のイナヲといふ事也、
是は漁獵をせんとするとき、まつ海岸にて水伯
を祭る事あり、其時此イナヲを柴の□籬の如く
ゆひ立て奉くる事なり、其外コタンコルまたはヌシヤ
サンなとにも奉け用る事もあり、
コタンコル、ヌシヤサンの事は、カモイノミの部に
ミえたり、
右に録せし外、イナヲの類あまたありといへとも、
其用るところの義、未詳ならさる事多きか故に、
今暫く欠て録せす、後来糺尋の上、其義の
詳なるをまちて録すへし、 |
「ハシ」とは木の小枝のことである。即ち、わが国でいう柴の類であり、「柴のイナヲ」という意味である。漁猟をしようとするときには、まず海岸で水伯を祭ることをなす。その時に、このイナウを柴の□籬のように結い立てて奉げるのである。その他、コタンコルまたはヌシヤサンなどにも奉げ用いることもある。
* コタンコルやヌシヤサンのことについては、本稿「カモイノミの部」に記してある。
右に記した他にも、イナヲの類は沢山あるが、その用途の意義がいまだに詳らかではないものが多いので、とりあえず今は記さずにおくこととしたい。後日聞き取りの上、その意義が詳らかになるのを待って、記すことを期するものである。
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第2巻, 3ページ, タイトル: アユウシアマヽの図 |
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第2巻, 4ページ, タイトル: |
| 夷人の食は、鳥獣魚とふの肉を専らに用ると
いへとも、不毛の地にして禾穀の類のたえて
生する事なしといふにはあらす、又禾穀の
類をうへて食する事なしといふにも非す、
こゝに図する所はすなハち稗の一種にして、
烏禾の類也、これは蝦夷のうちいつれの地
にても作りて糧食の一助となす事也、
但し、極北の地子モロ・クナシリ島なといへる所の
夷人の如きは、かゝる物作れる事あらす、これは
ひとしく蝦夷の地なりといへとも、殊に辺辟
たるにより、その闢けたる事もおそくして、
未かゝる物なと作るへきわさは知るに及ハさる |
アイヌの人々の食についてであるが、専ら鳥や獣や魚の肉をそれにあてている。しかし、だからといって彼らの住む土地が不毛であり穀類の生育を見ないというわけではない。
ここに掲げた図は稗の一種「烏禾」の仲間である。この作物は、蝦夷地一円に栽培されているもので、糧食の一助として用いられている。
* 但し、蝦夷地の内でも最も北に位置するネモロ(根室)やクナシリ(国後)島などといった地域のアイヌの人々は、こうした作物を栽培することはない。なぜならば、同じ蝦夷地とはいえ、根室や国後島は格別辺鄙な地であり、その開闢も遅く、いまだに作物を栽培する技術を知るに至っていない
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第2巻, 5ページ, タイトル: |
| ゆへ也、
絶て米穀の類の生セさる地といふにハ
非す、すてに 本邦の人の行きて住居する
ものは、麦あるは菜・大根とふを作るによく生
熟する事也、
是をアユウシアマヽと称す、アユとは刺をいひ、ウシ
とは在るをいひ、アマヽは穀食の通称にして、
刺のある穀食といふ事也、この稗の穂には
刺の多くある故にかくはいへる也、夷人の伝言
するところは、この国闢けし初め天より火の神
降り□ひて、此種を伝へたまへり、それよりして
かく作る事にはなりたるよし也、然るゆへに
是を尊ふ事大かたならす、其作り立るより
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からである。
また、蝦夷地はまったく米穀の類が生育しない地であるというわけでもない。実際、既に「本邦の人」が来住している地域では、麦または菜・大根等を栽培しており、よく成熟する様子が見られる。
この図に見える稗の一種は、アユウシアママと称されるものである。「アユ」とは刺のこと、「ウシ」は「在る」を表わし、「アママ」は穀類の通称で、つまり「刺のある穀物」という意味の言葉である。この稗の穂に刺が多くあるため、このように呼ばれている。アイヌの人々の伝承によれば、国の開けし初め、天から火の神が降臨なされ、この種をお伝えになり、それ以来栽培するようになったということである。そういう由緒を持つことから、アイヌの人々はこの作物を非常に尊んでおり、
栽培から
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第2巻, 6ページ, タイトル: |
| 食するに至るまてのわさことに心を用るなり、
其次第は後の図に委しく見へたり、是より
出たる糠といへともミたりにする事あらす、
其捨る所を家の側らに定め置き、ムルクタウシ
カモイと称して、神明の在るところとなし、尊ミ
おく事也、これまた後の図にミえたり、此稗を
奥羽の両国及ひ松前の地にてはまれに作れ
る者ありて、蝦夷稗と称す、外の穀類には
似す、地の肥瘠にかゝはらすしてよく生熟し、
荒凶の事なしといへり、其蝦夷稗と称する
事ハ 本邦の地には無き物にして、蝦夷
の地より伝へ来りたるによりてかく称すると
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食するまでの作法には、ことさら心を用いるのである。その作法の次第は、後掲の図に詳しい。彼らはそこから出る糠といえども粗末にすることはない。
棄てる場所を家の傍らに定めておき、ムルクタウシカモイと称し、神明のいますところとみなして、尊ぶのである。この様子も、後に掲げる図に見えるので参照されたい。
この稗についてであるが、奥羽の両国ならびに松前の地では稀に栽培する者がいて、「蝦夷稗」と称されて |
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第2巻, 9ページ, タイトル: |
| 本邦の人より伝へて作れる夷人ことに多し、
蝦夷のうち、シリキシナイなといへる所よりサル
なといへる所迄の夷人は、ことーーく作る事也、
これを糧食に供する事も、よのつねの魚鳥の
肉とふに比すへきものにはあらすといひて、其尊ひ
重んする事甚厚し、凡そこれらの事に
よらんには、いかんそ蝦夷の地にしては禾穀の
類の生する事なく、蝦夷の人は禾穀の類を
食する事なしとはいふへき、 |
「本邦の人」から伝えられて作るアイヌの人々が少なくない。
*蝦夷地のうちでも、シリキシナイ(尻岸内)という所からサル(沙流)という所までに住むアイヌの人々は、皆作物の栽培を行なっている。
彼らが農作物を糧食に供する場合、主食である魚や鳥の肉等とは比較にならないものだとして、非常に篤く尊び重んじている。こうしたことから考えるに、蝦夷地には禾穀類が生じずアイヌの人々が禾穀類を食することはない、ということは誤りであるといえよう。
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第2巻, 11ページ, タイトル: |
| ラタ子と称する事は、ラタツキ子といへるを略せるの
言葉也、ラとはすへて食する草の根をいひ、タ
ツキ子とは短き事をいひて、根短しといふ事也、
これは此草の形ちによりてかくは称するなり、
是亦国の開けたる初め火の神降りたまひて、
アユシアマヽと同しく伝へ給ひしよし言ひ伝へて、
ことの外に尊み蝦夷のうちいつれの地にても作り
て糧食の助けとなす事なり、
但し、極北の地子モロ・クナシリ島とふの夷人作る
事のなきは、アユシアマヽに論したると同しき
ゆへとしるへし、
是を 本邦菜類のうちに考ふるに、すなハち
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ラタネとは、「ラタツキネ」という言葉を略した言葉である。「ラ」とは食用植物の根全般を指し、「タツキネ」は「短い」を表わし、あわせて「根が短い」という意味である。
この草がそういう形をしていることから付いた名称である。これもまた、国の開けし始め、火の神が降臨なさって、アユシアママと一緒にお伝えになったと言い伝えられており、ことのほか尊ばれている。この作物も、蝦夷地一円に栽培されており、糧食の一助として用いられている。
*但し、極北の地であるネモロ・クナシリ島等のアイヌの人々がこれを栽培することがないのは、アユシアママのところで論じたのと同じ理由であろう。
ラタネとは、
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第2巻, 13ページ, タイトル: |
| あらす、此うちアユシアマヽは穀類の一種にして、
ラタ子は菜類の一種なり、是によりて考ふるに、
後来に及ひ人民蕃湿し耕耘の力を致し、
稼穡の務を尽す事あるに至らんにハ、禾穀
菜草の類、森然として蝦夷の地に生せん事も
いまた知るへからす、此より後に図するところは、
此二種のものを作り立るより食するに
いたるまての次第、夷人ことに心を用る事を録
せるなり、 |
ない。このうちアユシアママは穀類の一種であり、ラタネは菜類の一種である。
このことから考えるに、将来蝦夷地に人民が殖え、農耕に力を尽くすことになった場合、禾穀・草菜の類が、この地に森の繁りのように生じてこないとも限らないであろう。なお、これから後に掲げる図は、この二種の作物を栽培するところから食するに至る迄の次第のうちから、アイヌの人々が殊に心を用いる場面を収録したものである。
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第2巻, 22ページ, タイトル: |
| 草を焼てより其地の土を平らかにならす也、
是をトイラヽツカと称す、トイは前に同しく、
ラヽツカとはすへて物を平らかにする事をいひ
て、土をたいらかになすといふ事なり、夷人の境
釆槌とふの器もなけれハ、地をならすといへるも、
本邦にて隴畝なと耕作するか如きの事にハ非す、
唯其地にある木の根、あるは土くれとふの物
の種を蒔、さまたけとなるへき物を図のことく
タシロとふのものにてきり除くのミの事也、
タシロといへる物は 本邦にいふ庖丁の類也、
委しくは器材の部にミえたり、
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草を焼いてから、その場の土を平らに均す作業を行なう。これをトイララツカという。「トイ」は前に述べた通り、「ララツカ」は物を平らにすること一般を表し、合わせて「土を平らにする」という意味である。アイヌの人々は才槌などの器具を持たないため、土を均すといっても、わが国において田畑に畝をしつらえて耕作するような作業を行なうわけではない。ただその場にある木の根や土くれ等のなかで蒔く妨げとなるような物を、図に見えるようなタシロという用具で切り除くだけのことである。
*タシロというのは、わが国で言う包丁の一種である。詳しくは「器材の部」に述べてあるのでご参照ありたい。
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第2巻, 30ページ, タイトル: |
| 是はアユシアマヽ熟するの時に及て、その穂を
きらんかために手に貝をつけたるさま也、テケヲ
ツタセイコトクといへるは、テケは手の事をいひ、ヲツタ
は何にといふにの字の意なり、セイは貝をいひ、コト
クは附る事をいひて、手に貝を附るといふ事也、
これに用る貝は、夷語にビバセイといふ也、其を小刀
を磨する如くによくときて手に附る也、ヒバセイ
は別に貝類の部にくハしくミえたり、
凡穂をきるにはミなこれを用ひてきる事也、
決して小刀よふの物、すへて刃物を用ゆる事ハ
あらす、奥羽の両国の中まれにハ穂をきるに右の
如く貝を用ゆる事もあるよしをいへり、
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これは、アユシアママが稔るに及んで、その穂を切るために手に貝をつけた様子である。テケヲツタセイコトクというのは、「テケ」は手を、「ヲツタ」は「~に」という語を、「セイ」は貝を、「コトク」は「付ける」をそれぞれ表し、合わせて「手に貝を付ける」という意味である。
* これに用いられる貝を、アイヌ語でビバセイという。この貝を、小刀を研磨するようによく研いで手に装着するのである。ビバセイについては、別記「貝類の部」に詳細である。
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第2巻, 31ページ, タイトル: ウフシトイの図 |
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第2巻, 32ページ, タイトル: |
| 是図は前にいへる如く、手に貝をつけてアユシ
アマヽの穂をかるさま也、ウフシトイといへる事は、
ウブシは穂の事をいひ、トイは切る事をいひて、
穂をきるといふ事也、もとより自然に生し
たる如くに作りたる事ゆへ、其たけの長短も
ひとしからす、穂の熟する事もまた遅速の
不同ありて、残らす熟するをまちて収めん
とするには、早く熟したる穂は実の落ち
散る事もあり、或は鳥なとのために喰ひ
尽さるゝ事ありて、其損失ことに多し、しかる
ゆへに、大概に熟するを待て実のりに不同ある
事ハ論せすしてきりとる也、其きりとりし
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この図は、前述のように、手に貝をつけてアユシアママの穂を刈る様子である。ウフシトイというのは、「ウブシ」は穂を、「トイ」は「切る」を表し、合わせて「穂を切る」という意味である。もとより、自生同様に作ったものであるから、その丈の長短も等しくはない。穂の熟する速度もまちまちであり、残らず熟すのを待って収穫しようとした場合、早く熟した穂は実が落ちてしまうことも、あるいは鳥などにより食い尽くされることもあり、損失が少なくない。従って、大体熟するのを見計らって、その稔りの程度にばらつきがあることには構わず、切り取ってしまうのである。 |
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第3巻, 3ページ, タイトル: プヲツタシツカシマの図 |
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第3巻, 4ページ, タイトル: |
| 是は剪り採りし穂を収め置事をいふなり、
フヲツタシツカシマといへるは、フとは 本邦にしてハ
蔵なといへる物のことく、物を貯へ置ところ
をいふ、
其造れるさまも常の家とは事替りて、
いかにも床を高くなして住居より引はなれたる
所に造り置事也、委しくハ住居の部に
ミえたり、
ヲツタは前にいふ如くにの字の意也、シツカシマとハ
大事に物を収め置事をいひて、蔵に収め置と
いふ事也、其収め置にはサラニツプといへる物に
入れて置も有、あるは俵の如くになして入れ置
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これは、刈り取った穂を収め置くことをいう。フヲツタシツカシマという語のうち、「フ」はわが国でいうところの蔵のように、物を貯え置く場所を表す。
* その建築形態は通常の家とは異なり、何とか工夫して床を高くしつらえ、住居から引き離れた場所に建てられるものである。詳しくは本稿「住居の部」に記してある。
「ヲツタ」は前述の通り「~に」という語を表す。「シツカシマ」とは大事に物を収め置くことをいう。合わせて「蔵に収め置く」という意味である。収めておくに際しては、サラニツプという物に入れておくことがある。また、俵のようにこしらえて入れておく
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第3巻, 5ページ, タイトル: |
| もある也、
サラニツフといへるは草にて作れる物也、俵に
するといへるも多くは夷地のキナといへる物を
用ゆる也、二つともに委しくハ器財の部にミへたり、
此中来年の種になすへきをよく貯へ置にハ、
よく熟したる穂をゑらひ、茎をつけて剪り、よく
たばねて苞となし、同しく蔵に入れをく也、
是にてまつアユウシアマヽを作り立るの業は
終る也、すへて是迄の事平易にして、格別に
艱難なるさまもなきよふにミゆれとも、ことに
然るにあらす、夷人の境よろつの器具とふも心に
まかせすして力を労する事も甚しく、また
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場合もある。
* サラニツフというのは、草で作られたものである。俵にこしらえる場合も、多くは蝦夷地のキナというものが用いられる.詳しくは本稿「器材の部」に記してある。
このなかから来年の種とするものを良い状態で貯えておくには、よく熟した穂を選び、茎をつけたまま刈り、よく束ねて包みとし、他の穂と同様に蔵に入れておく必用がある。
これでアユウシアママを作りたてる作業は終了である。全般にこれまでの作業は平易であり、格別に困難な様子などないように見えるが、そうではない。アイヌの人々の住む地では、諸種の農器具なども手に入らず、従って労力を費やすことが甚だしい。また、
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第3巻, 7ページ, タイトル: ルシヤシヤツツケの図 |
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第3巻, 8ページ, タイトル: |
| ルシヤシヤツヽケと称する事は、ルシヤとハ蘆をあミ
て簾の如くなしたる物をいひ、シャツヽケとは干す
事をいひて、簾にほすといふ事也、是は蔵に
入れ置たる穂を食せんとする時に及ひて蔵より
とりいてゝ簾にのせ、囲炉裏の上に図の如くに
干す事也、いかなるゆへにやいとま有時といへとも
残らす舂てそれを貯へ置といふ事ハあらす、
いつれ穂のまゝに蔵に収め置て、食するたひ
ことに蔵よりとり出し図の如くに干して、
それより舂く事をもなす事なり、 |
ルシヤシヤツツケとは、「ルシヤ」がアシを編んで簾のように作ったものを、「シヤツツケ」が干すことを表し、合わせて「簾に干す」という意味である。これは、蔵に入れておいた穂を食しようとする時に、蔵から取り出して簾に乗せ、囲炉裏の上に図のように干すことを指す。どういうわけか、いくら時間があったとしても、蔵の穂をすべて搗いたうえで貯えるということは行なわれない。
穂のままで蔵に収めておき、食する度ごとに取り出して図のように干したうえで搗くことになっているのである。 |
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第3巻, 13ページ, タイトル: ムルヲシヨラの図 |
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第3巻, 14ページ, タイトル: |
| ムルとは糠の事をいひ、ヲシヨラとは捨る事を
いひて、糠をすつるといふ事也、またムルクタと
も称す、是は簸事終りてより、その出たる
糠を捨るさま也、此糠をすつるにハことに意味
ある事にて、委しくハ後の図にミえたり、
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「ムル」とは糠を、「ヲシヨラ」とは捨てることを表し、合わせて「糠を捨てる」という意味である。また別にムルクタともいう。この図は、箕を用いて籾殻をあおり屑を取り除く作業を終えた後、その際に出た糠を捨てる様子である。糠を捨てることは、大変意味のある行為なので、次の図に詳しく示しておいた。
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第3巻, 15ページ, タイトル: ムルクタウシウンカモイの図 |
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第3巻, 16ページ, タイトル: |
| ムルクタウシウンカモイと称する事は、ムルクタは前に
いふか如く糠を捨る事をいひ、ウシは立事を
いひ、ウンは在る事をいひ、カモイは神をいひて、
糠を捨る所に立て在る神といふ事也、是はアユウシ
アマヽとラタ子の二種は神より授け給へるよし
いひ伝へて尊ひ重んする事、初めに記せる如く
なるにより、およそ此二種にかゝはりたる物は
聊にても軽忽にする事ある時は、必らす神の
罰を蒙るよしをいひて、それより出たる糠と
いへとも敢て猥りにせす、捨る所を住居のかたハらに
定め置き、イナヲを立て神明の在る所とし、尊ミ
をく事也、唯糠のミに限らす、凡て二種の物の
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ムルクウタウシウンカモイとは、「ムルクタ」は前に述べた通り糠を捨てることを、「ウシ」は立てることを、「ウン」は「在る」という語を、「カモイ」は神をそれぞれ表し、合わせて「糠を捨てる所に立ててある神」という意味である。これについてであるが、アユウシアママとラタネの二種類の作物が神から授けられ給うたものと言い伝えて尊び重んじられていることは前に記した通りである。
そして、この二種類の作物に関わる物は、どんなものであっても軽率に扱えば必ず神罰を蒙るといい慣わしている。よってそれらから出た糠といえどもみだりには扱わず、捨てるところを住居の傍らに定めて置き、イナヲを立て、神明のいます所として尊んでいるのである。これは糠に限っての扱いではない。この二種類の作物の |
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第3巻, 18ページ, タイトル: アマヽシユケの図 |
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第3巻, 19ページ, タイトル: |
| 是はアユウシアマヽを烹るさまを図したる也、
アマヽシユケといふは、アマヽは穀食の事をいひ、シユケ
とは烹る事をいひて、穀食を烹るといふ事也、
穀食は炊くともいふへきを、烹るといへるものは、夷
人の境、未飯に為す事をハしらて、唯水を多く
入れ粥に烹る計りの事なるゆへ、かくは称する
なり、又ラタ子を食するは、汁に烹て喰ふ事也、
其食せんとする時、トイタに植をきたるを掘り
とり来りて、
ラタ子はよく熟するといへとも、一時に残らす掘
とりて貯へ置といふ事はせす、植たるまゝにて
トイタにをき、食するたひことに掘り出して用ゆる
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この図は、アユシアママを煮る様子を描いたものである。アママシユケとは、「アママ」が穀物のことを、「シユケ」が煮ることを表し、合わせて「穀物を煮る」という意味である。
穀物であるから「炊く」というのが通常であろうところを「煮る」といっているのは、アイヌの人々の住む地域では、いまだに穀物を飯とすることを知らず、ただ水を多く入れ粥として煮るのみであることによる。また、ラタネは、汁に入れて煮て食する。
ラタネを食べようとするときには、トイタに植えておいたものを掘り取ってきて、
* ラタネは、よく熟した場合でもいっぺんに残らず掘り取って貯えておくようなことはしない。植えたままでトイタに放置しておき、食する度ごとに掘り出して用いる
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第3巻, 21ページ, タイトル: |
| 本邦にいはんには、なを菓子なとに用ゆるか如し、
其汁の実の助となす物は、ラタ子の外にも
海苔あるは草とふを用ゆる事有、其草のかす
又多し、委しくは食草の部にミえたり、
右のうちアユウシアマヽは 本邦の事に
比していはんには、なを飯の如く、ラタ子はなを
菜汁とふの如き物なれとも、夷人の習ひ然る
事にさたまりたるにハあらす、二つともにいつれも
糧食となす事也、すへて此等の類の飲食に
かゝはりたる事は、専ら女の夷人の業となす事、
本邦にことなる事あらす、其食するさまの
委曲は後の図にミえたり、
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わが国でいうと、ちょうど菓子などとして用いるようなものである。なお、汁の実のとして付け合わされるものには、ラタネの他に、海苔や草などが挙げられる。その草の種類は少なくない。詳しくは、本稿「食草の部」に記されている。
二種の作物のうちアユシアママは、わが国でいうならば飯のようなもので、ラタネは同じく菜汁のようなものといえる。しかし、アイヌの人々の流儀では、そのように定まっているわけではない。両者ともに等価の糧食としているのである。なお、こうした飲食に関わる作業が専らアイヌ女性の領分であることは、わが国のそれと同様である。食事の様子の詳細については、次に掲げた図に示した通りである。
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第3巻, 28ページ, タイトル: |
| 本邦の時刻にいはんにハ、いつも四ツ時頃より九ツ
時頃に至る也、其ゆへは朝にとく起て其まゝ食
事するといふ事はあらす、いつれの業にても一般
の務をなして、それより朝の食事につく也、
是は男女ともにことなる事なし、たとえは男子
漁獵に出れは、女子も又家に在りてアツシにても
織るなといふ如きの事也、食事の時にあたりて
家中の者他に行て其座にあらされは、まつし
ハらくひかへて帰るをまち、もし帰る事の晩けれは、
その者の喰ふへき分を椀に盛りてそなへ置、
それより家中の者ミな食事をなすなり、
又食事の時外より人来る事あれは、其人数の
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わが国の時刻でいえば通常四ツ時頃から九ツ時頃までの間に行なわれる。つまり、朝早く起きて、何らかの一般的な作業を行い、その後に朝食をとることになるのである。
これは、男女ともに同様である。たとえば男子が漁に出れば、女子は家にあってアツシなどを織るなどといった具合にである。食事の時に際しては、家族の誰かが他所へ行っていてその座に居合わせなかった場合、まず暫くは帰宅を待ってみる。もし帰ってくるのが遅かった場合は、その者の食べる分を椀に盛って分けておいて、その後に家のもの皆が食事をとるのである。
また、食事のときに外から人が訪ねてきた場合には、その人数の |
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第4巻, 5ページ, タイトル: |
| イカシコレと唱ふ、キムンは山をいひ、カモイは
神をいひ、ヒリカは善をいひ、ノは助語なり、
イカシは守護をいひ、コレは賜れといふ事にて、
山神よく守護賜れといふ事也、かくの如く
山神を祭り終りて、それより山中に入る也、
木を尋る時のミに限らす、すへて深山に入んと
すれハ、右も祭りを為す事夷人の習俗也、
こゝに雪中のさまを図したる事ハ、夷人の
境、極北辺陲の地にして、舟とふを作るの時、
多くは酷寒風雪のうちにありて、その
艱険辛苦の甚しきさまを思ふによれり、後の
雪のさまを図したるはミな是故としるへし、
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イカシコレ」と唱える。キムンというのは山をいい、カモイは神をいい、ヒリカは善くをいい、ノは助詞である。
イカシは守ることをいい、コレはしてくださいなという意味であって、「どうぞ山の神様よろしくお守りくださいませ」ということである。このように、山の神へのお祈りを終えてそれから山の中にはいるということなのである。木を探すときばかりではなく、山の中に入ろうとすれば、右のようなような祭りをすることはすべてアイヌの人びとの習俗なのである。
ここに雪中での作業の様子を図にしたのは、アイヌの人びと境域?は極北の辺地であって、舟などを作るとき、多くは酷寒の風雪はなはだしい時期におこなわれるので、その作業の困難辛苦のようすを思うためである。後にも雪の中での作業を描いているのはみなその理由であることを知っておいてほしい。 |
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第4巻, 7ページ, タイトル: |
| 山中に入り敷となすへき良材を尋ね求め、
たつね得るにおよひて、其木の下に至り、
図の如くイナヲをさゝけて地神を祭り、その
地の神よりこひうくる也、その祭る詞に、
シリコルカモイタンチクニコレと唱ふ、シリは地を
いひ、コルは主をいひ、カモイは神をいひ、タンは
此といふ事、チクニは木をいひ、コレは賜れといふ
事にて、地を主る神此木を賜れといふ事也、
この祭り終りて後、其木を伐りとる事図の
如し、敷の木のミに限らす、すへて木を伐んと
すれハ、大小共に其所の地神を祭り、神にこひ請て
後伐りとる事、是又夷人の習俗なり、
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☆ 山中にはいって船体となる良材をさがして歩き、それが見つかったので、その木の下へ行って、図のように木にイナウを捧げて地の神さまをお祭りし、その神さまから譲りうけるのである。その祈りことばは「シリコルカモイタンチクニコレ」と唱えるのである。シリは地をいい、コルは主をいい、カモイは神をいい、タンは此ということ。チクニは木をいい、コレは賜われということであって、「地をつかさどる神さま、この木をくださいな」ということである。
この祭りが終わったあとで、その木をきりとる様子は図に示した。船体の木ばかりではなく、どんな場合でも木を伐ろうとするときは大小の区別なくそのところにまします地の神をまつって、神さまにお願いしたのちに伐採するのはアイヌの人びとの習慣なのである。
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第4巻, 11ページ, タイトル: 舟敷の大概作り終りて木の精を祭る図 |
| 舟敷の大概つくり終りてより、其伐り
とりし木の株ならひに梢にイナヲを
さゝけて木の精を祭る事図の如し、其祭る
詞にチクニヒリカノヌウハニチツフカモイキ
ヤツカイウエンアンベイシヤムヒリカノイカシコレ
と唱ふ、チクニは木をいひ、ヒリカはよくといふ事、
ヌウハニは聞けといふ事、チツフは舟をいひ、
カモイは神をいひ、キは為すをいひ、ヤツカイは
よつてといふ事、ウエンアンベは悪き事を
いひ、イシヤムは無きをいひ、ヒリカは上に同し、
イカシは守護をいひ、コレは賜れといふ事にて、
木よく聞け、舟の神となすによつて悪事
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☆ 船体のおおよそを造り終わってから、その伐りとった木の株と梢にイナウを捧げて木の霊をお祭りすることは図にしめしたとおりである。その祈りことばは「チクニヒリカノヌウハニチツフカモイキヤツカイウエンアンベイシヤムヒリカノイカシコレ」と唱えるのである。その意味はチクニは木のことをいい、ヒリカはよくということ、ヌウハニは聞けということ、チツフは舟のことをいい、カモイは神をいい、キはするといい、ヤツカイはよってということ、ウエンアンベは悪いことをいい、イシヤムは無いということ、ヒリカは上と同じ、イカシは守護をいい、コレはしてくださいということであって、「木よ、よく聞いてください。あなたを舟の神とするので、悪いことが
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第4巻, 12ページ, タイトル: |
| 舟敷の大概つくり終りてより、其伐り
とりし木の株ならひに梢にイナヲを
さゝけて木の精を祭る事図の如し、其祭る
詞にチクニヒリカノヌウハニチツフカモイキ
ヤツカイウエンアンベイシヤムヒリカノイカシコレ
と唱ふ、チクニは木をいひ、ヒリカはよくといふ事、
ヌウハニは聞けといふ事、チツフは舟をいひ、
カモイは神をいひ、キは為すをいひ、ヤツカイは
よつてといふ事、ウエンアンベは悪き事を
いひ、イシヤムは無きをいひ、ヒリカは上に同し、
イカシは守護をいひ、コレは賜れといふ事にて、
木よく聞け、舟の神となすによつて悪事
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☆ 船体のおおよそを造り終わってから、その伐りとった木の株と梢にイナウを捧げて木の霊をお祭りすることは図にしめしたとおりである。その祈りことばは「チクニヒリカノヌウハニチツフカモイキヤツカイウエンアンベイシヤムヒリカノイカシコレ」と唱えるのである。その意味はチクニは木のことをいい、ヒリカはよくということ、ヌウハニは聞けということ、チツフは舟のことをいい、カモイは神をいい、キはするといい、ヤツカイはよってということ、ウエンアンベは悪いことをいい、イシヤムは無いということ、ヒリカは上と同じ、イカシは守護をいい、コレはしてくださいということであって、「木よ、よく聞いてください。あなたを舟の神とするので、悪いことが |
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第4巻, 19ページ, タイトル: |
| これは敷の初めて成就したる処也、
これより次第に後の図に出せる板等を
あつめて舟の製作にかゝる也、此敷は
夷語にイタシヤキチフと称して、丸木舟と
同しさましたれとも、また説ある事なり、
後の川を乗る舟とならへ図して委しく
論したり、合せ見るへし、
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これは船体がはじめてできあがったところである。これからだんだんあとのほうの図で示したいたなどを集めて舟の製作に取りかかるのである。船体はアイヌ語でイタシヤキチフといって、丸木舟と同じ形をしているけれども、さらに説明することがある。のちに川舟とともに図示して詳しく説明してあるのであわせて見てほしい。
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第4巻, 24ページ, タイトル: |
| とだては舟の艫なり、図に二種出セる事ハ、
所によりて形ちも替り、名も同しからさる故也、
二種のうち前の図はシリキシナイよりヒロウ
まての舟にもちゆ、
すへて所により用る物のたかふ事なと、此所
より此所迄とくハしく限りてハいひ難し、
こゝにシキリシナイよりヒロウまてといへ
るも、シリキシナイの辺よりヒロウの辺
まてといふ程の事也、後の地名にかゝはる
事はミな此類と知へし、
夷語に是をイクムと称す、
此語解しかたし、追て考ふへし
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「とだて」は舟の艫(とも)のことである。二種類の図を出したのは、地方によって形態が変り、呼び名も共通ではないからである。二種類のうち、前の図はシリキシナイからヒロウまでの舟で用いている。
<註:地方によって使用する物が異なることなどは、ここからここまでと
詳しく限定していうことはできない。ここでシキリシナイからヒロ
ウまでといっても、それはシリキシナイのあたりからヒロウのあた
りまでというほどのことである。のちにでてくる地名にかかわるこ
とはすべてこの類と知っておいてほしい。>
アイヌ語でこれをイクムという。
このことばの意味はわからない。追って考えることにしよう。
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第4巻, 25ページ, タイトル: |
| 後の図はヒロウよりクナシリまての舟
に用ゆ、夷語に是をウカキと称す、
此語解しかたし、追々考ふへし、
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あとの図はヒロウからクナシリまでの舟で用いるもので、アイヌ語でウカキという。
このことばの意味もわからない。やはり追って考えることにしよう。
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第4巻, 29ページ, タイトル: |
| 夷語に是をナムシヤムイタと称す、ナムとは舳を
いひ、シャムは出るをいひ、イタは板の事にて、
舳に出る板といふ事なり、
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アイヌ語でナムシヤムイタという。ナムとは舳をいい、シャムは出ることをいい、イタは板のことをいって、「舳に出る板」ということである。 |
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第4巻, 31ページ, タイトル: |
| 夷語に是をウムシヤムイタと称す、ウムは
艫をいひ、シヤムイタは前に同し事にて、
艫に出る板といふ事、
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イヌ語でウムシヤムイタという。ウムは艫をいい、シヤムイタは前と同じで「艫に出る板」ということ。 |
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第4巻, 34ページ, タイトル: |
| 草と同しものとおほえたるによりて
かくはいふなり、其縫ひあハする縄ハ夷語に
テシカと称して三種あり、後の図にくハしく見えたり、
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草と同じものと思っているのでこのようにいうのである。そこを縫い合わせる縄はアイヌ語でテシカといって三種類ある。のちの図に詳しく述べてある。
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第4巻, 36ページ, タイトル: |
| 夷語に是をキウリと称す、
此語解しかたし、追て考ふへし
シリキシナイよりヒロウまての舟にハことーーく
此具を用ゆ、これハ北海になるほと風波あら
きか故に、舟の堅固ならん事をはかりて
なり、シリキシナイよりビロウまてハさのミ
北海にあらすして、風波のしのきかたも
やすきゆへ、まれには此具を用ゆる舟も
あれと、多くは用ひす、
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アイヌ語でキウリという。
このことばの意味はわからない。追って考えることにしよう。
シリキシナイからヒロウまでの舟にはことごとくこの道具を用いている(訳註:ヒロウからクナシリまでの誤記か?)。これは北の海になるほど風波が荒いので舟を丈夫にするための工夫である。シリキシナイからヒロウまではそれほど北の海ではなく、風波から守る方法も容易なので、まれにこの道具を用いる舟もあるけれども多くの舟は使用しない。
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第4巻, 38ページ, タイトル: |
| これ舟を造るに板を縫ひあハするの縄なり、
テシカと称するハ、テシは木をとちあはする
事をもいひ、又筵なとをあむことをもいふ、カは糸の
事にて、物をとちあハする糸といふ事也、テシカ
に三種あり、一種はニベシといふ、木の皮をはき縄
となして用ゆ、一種は桜の皮をはきて其侭
もちゆ、一種は鯨のひけをはぎて其まゝ
用ゆ、いつれも図を見て知へし、三種の中
鯨のひげをハ多くビロウよりクナシリまての
舟にもちゆ、シリキシナイよりビロウ迄の地は
鯨をとる事まれなる故、用るところのテシカ
多くは桜とニベシとの皮を用ゆる也、
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これは舟を造るとき、板を縫い合わせる縄である。テシカと称するのは、テシは木を綴じ合わせることもいい、またむしろなどを編むこともいう。カは糸のことで、「物を綴じ合わせる糸」ということである。
テシカに三種類あって、ひとつはニベシという。木の皮を剥いで縄に作って用いる。ひとつは桜の皮を剥いでそのまま使う。いまひとつは鯨の髭を剥いでそのまま用いる。いずれも図で見てほしい。三種類のうち、鯨のひげはビロウからクナシリまでの舟で多く使用される。シリキシナイからビロウまでの地方は鯨を捕ることがあまりないので、使用するテシカの多くは桜とニベシの皮である。
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第4巻, 45ページ, タイトル: |
| これ舟の製作全く整ひし所也、二種の
うち前の図も、シリキシナイよりビロウ迄に
用る舟也、後の図はビロウよりクナシリ
まてにもちゆる舟なり、くハしくハ図を
見てかんかふへし、
|
これは舟の製作が完全に終ったところである。二種類のうち、前の図はシリキシナイからビロウまでのあいだで用いられる舟である。のちの図はビロウからクナシリで用いられている舟である。詳しいことは図を見て考えてほしい。 |
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第5巻, 4ページ, タイトル: |
| 舟の製作が完全に終ってから、図のようにイナヲを舳に立てて、舟神を祭るのである。舟神は、今、日本の船乗りのことばで舟霊(ふなだま)というものと同様である。それを祈ることばに「チプカシケタウエンアンベイシヤマヒリカノイカシコレ」という。
チプは舟をいい、カシケタは上にということ、ウエンは悪いことをいい、アンベは有ることをいい、イシヤマは無いということ、ヒリカは良いということ、イカシは守ることをいい、コレは賜れということで、「舟の上で悪いことがあることなくよく守り賜え」ということである。この舟神に祈ることはただ、船上での安全を祈願するだけではない。新しく作る
|
舟の製作全く整ひて後、図の如くイナヲ
を舳に立て舟神を祭るなり、舟神は今
本邦舩師の語に舟霊といふか如し、其
祈る詞に、チプカシケタウエンアンベイシヤマヒリ
カノイカシコレと唱ふ、チプは舟をいひ、カシケタは
上にといふ事、ウエンは悪き事をいひ、アンベは
有る事をいひ、イシヤマは無き事をいひ、
ヒリカはよきをいひ、イカシは守護をいひ、
コレは賜れといふ事にて、舟の上悪き事
ある事なくよく守護を賜へといふ
事なり、此舟神を祈る事ハ、唯舟上の
安穏を願ふのミにあらす、新たに造れる
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第5巻, 11ページ, タイトル: アシナプの図 |
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第5巻, 12ページ, タイトル: |
| 是は 本邦の舩に用るかちと同し
事につかふ也、アシナプと称するは、アシナとは
水をかきて舟をすゝむる事をいひ、フとハ
器をいひて水をかき舟をすゝむる器といふ
事也、奥羽の両国ならひに松前とふの猟
舩に此具を用るもありてねりかひと称す、
たゝし是ハかちに用る計に限らす、時に
よりてかひの代りともなす故の名なる
へし、
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これは日本の船で用いる梶と同様に使うものである。アシナプというのは、アシナとは「水を掻いて舟を進めること」をいい、フとは「物」のことで、「水を掻きながら舟を進める物」ということである。奥羽の両国と松前の漁船にこの道具を使うものがあってねりかい(練り櫂)という。ただし、これは梶に使うばかりではなく、時には櫂のかわりにもするからこの名がついたのであろう。 |
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第5巻, 22ページ, タイトル: シヨイタの図 |
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第5巻, 23ページ, タイトル: |
| シヨは座する事をいひ、イタは板の事にて、
座する板といふ事也、是を舟敷の上に
横に入れ、舟をこく時足を左右のあハら木に
ふミかけ、腰を此板に掛てこぐ也、
右七種の具は、舟の大小によりて製作も
また大小あり、此具備りてより初て舟に
乗る事、後の図のことし、
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シヨは坐ることであり、イタは板のことで、「坐る板」ということである。
これを船体のなかに横に入れて、足を左右のあばら木に踏み掛けて腰をこの板におろして漕ぐのである。
<註:以上の七種類の器具は舟の大小によりまた作りかたにも大小があ
る。この器具がすべて備わってはじめて舟にのることができる。
そのようすはのちの図に出しておいた>
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第5巻, 26ページ, タイトル: |
| 是は上に出せる六種の具ことーーく備りて
海上に走らんとするの図なり、まつ海上に走らんとすれハ水伯に祈り、海上安穏ならん事を願ふ、其祈る詞に、アトイカモイ子トヒリカノイカシコレと唱ふ、アトイは海をいひ、カモイは神をいひ、子トは風波の穏かなるをいひ、
俗になきといふか如し、
ヒリカノイカシコレは前にしるせるか如く、海の
神風波のおたやかなるよふによく守護
たまへといふ事也、右の祈り終りてそれ
より出帆するなり、すへて夷人の舟を乗るにもことーーく法有ことにて、
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これは上述した六種類の器具が完備して海上を航行しようとする図である。
まず、海上を航行しようとすれば、水の神にお祈りして海上での安穏無事をお願いする。その祈り詞は「アトイカモイ子トヒリカノイカシコレ」と唱える。アトイは海のことをいい、カモイは神をいい、ネトは風波の穏かなことをいい(俗に凪という)、ヒリカノイカシコレは前述したように、「海の神さま、風波のおたやかであるよう、よくお守りしてください」ということである。
このお祈りが終って、それから出帆するのである。総じて、アイヌの人びとは舟に乗るにもことごとく法則があって、
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第5巻, 28ページ, タイトル: |
| 詳らかならぬ事共多し、追て考ふ
へし、此に出せる図は風の左りへ走るさま也、
艫の左右に縄を以て帆を繋き立て、アシナにてかぢを
とり走る也、風の右に走んとすれは左右の
縄をくりかへ、帆を左にかたむけ風を請て
走るなり、夷語に是をホイボウチフといひ、
又バシテチフといひ、亦カヤウシチフといふ、ホイ
ボウといふも、バシテといふも、皆走る事をいふ、
カヤウシはカヤは帆をいひ、ウシは立る事
をいひて、帆を立るといふ事、チフはいつれも
舟の事なれは、三つともに走る舟の事を
いふなり、
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つまびらかにできないことが多い。改めて考えることとしよう。
ここに出した図は、風の左の方へ航行するようすである。艫の左右に縄で帆を繋ぎ、アシナで梶をとって走るのである。風の右の方に走ろうとすれば、左右の縄をたぐり変えて帆を左に傾け、風をうけて走るのである。
アイヌ語でこれをホイボウチフといい、またバシテチフといい、あるいはカヤウシチフという。ホイボウというも、バシテというも、みな「走る」ことをいう。カヤウシとは、カヤは帆のことをいい、ウシは立るという意味で、「帆を立る」ということ、チフは舟のことだから、三つとも「走る舟」のことをいうのである。
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第5巻, 33ページ, タイトル: |
| 此図は海上をこぐところ也、其乗るところハ
水伯を祈るよりはしめ、ことーーく走セ舟にこと
なる事なし、二種のうち、前の図はこ
くところの具ことーーくそなハりたるさまを
図したる也、後の図はすなはち海上をこくさま也、
こく時はシヨ板に腰を掛、カンヂを
左右の手につかひてこぐ、其疾き事飛か
如し、カンヂの多少は舟の大小によりて
立る也、アシナフを遣ふ事ハ走せ舟に同し、
是を夷語にチプモウといふ、チブは舟をいひ、
モウは乗るをいふ、舟を乗るといふ事也、但し
ビロウ辺よりクナシリ辺の夷人はこれをこぐの
|
この図は海上をこぐところである。それに乗るには水の神に祈ることからはじめ、すべて「走る舟」と異なることはない。
二種類のうち、前の図の舟は漕ぐ道具が完備したようすを図示したものである。あとの図は海上を漕ぐようすである。
漕ぐときはシヨ板に腰をかけて、左右の手にカンヂをつかんで漕ぐ。その早いこと、飛ぶがごとくである。カンヂの多少は舟の大小によって異なる。アシナフを使うことも「走る舟」と同じである。
これをアイヌ語でチプモウという。チブは舟のこと、モウは乗るをいう。「舟を乗る」ということである。
ただしビロウ辺からクナシリ辺のアイヌの人びとはこれを漕ぐとき、
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第5巻, 34ページ, タイトル: |
| 時、二人つゝシヨ板に腰をかけならび居て、左
右のカンヂを一人にて一つつゝ遣ひこぐ事
もある也、これは北海に至るほと波濤の
急激なるも、甚しく舟のかたちも大ひ
なる故、一人にて左右のカンチを遣ハん事の
危きを考へ、おのつから二人にてこく事にハ
なりゆく也、
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二人ずつシヨ板にならんで腰をかけて、左右のカンヂを一人で一つずつ使って漕ぐこともある。これは北の海に行くほど波涛が荒く激しくなるし、舟の形も大きくなるので、一人で左右のカンヂを使うことの危険性を考慮して、おのずから二人で漕ぐことになるのである。 |
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第5巻, 35ページ, タイトル: イタシヤキチプの図 |
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第5巻, 36ページ, タイトル: |
| 是は前に出せる舟敷の事也、夷語に
イタシヤキチプと称するは、イタは板をいひ、シヤ
キは無きをいひ、チプは舟の事にて、板なき
舟といふ事也、もと舩の敷なるをかくいふ
ものは、丸木をくりたるまゝにて左右の板を
付す、夷人河を乗るところの舟とことならさる故、
時によりては其まゝにて川を乗る
事も有ゆへにかくはいえるなり、万葉集に
棚なし小舟といへるはこれなるにや、今に
至りて舩工の語に、敷より上に付る板を
棚板といふ、さらは無棚小舟は棚板なき舟と
いふの心なるへし、今 本邦の舩の
|
これは前述した船体のことである。アイヌ語でイタシヤキチプというのは、イタは板のことをいい、シヤキは無いということ、チプは舟のことであって、「板の無い舟」ということである。もともと船体であるものをこのようにいうのは、丸木を刳りぬいたままで左右の板をつけず、アイヌの人びとが川で用いるところの舟と変らないし、場合によっては、そのままで川で乗ることもあるのでこのようにいうのである。
万葉集に「棚なし小舟」というのはこれではなかろうか。現在の船大工のことばに、船体より上につける板を棚板という。それならば「無棚小舟」は「棚板なき舟」といういみであろう。今、日本の船の
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第5巻, 37ページ, タイトル: |
| 製作にかゝる敷の法を用ひさるはいつの頃より
にか有けん、カシキヲモキなといふ事の
舩工ともの製作に初りしより、
カシキといへるもヲモキといへるも、少し
つゝ其製にかハりたる事ハあれとも、
格別にたかふところは非す、いつれも敷を
厚き板にて作り、それに左右の板を釘
にて固くとちつけて、本文にいへるイタシ
ヤキチプの如くになし、それより上に左右の
板を次第に付仕立る也、此製至て堅固也、
今の舩工の用る敷の法ミなこれ也、
其製の堅固なるを利として専らそれのミを
|
製作に、このような船体を用いなくなったのはいつの頃からであろうか。
カシキ、ヲモキなどというものが船大工たちの製作にはじまってから、
<註:カシキというものも、ヲモキというものも、少しずつその製法に
変化はあるけれども、格別の違いはない。いずれも船体を厚い板で
作り、それに左右の板を釘で固く綴じつけて、本文で述べたイタ
シヤキチプのようにして、それより上に左右の板をだんだんに付
けていって仕立てるのである。この製法はとても堅固である。
今の船大工が用いる船体の製法はみなこの方式である。>
その製法の堅固であることを利として専らその製法ばかりを
|
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第5巻, 38ページ, タイトル: |
| 用ひしより、終に其法をは失ひし成へし、
今奥羽の両国松前とふにてハ、なを其法を
伝へて猟舩にはことーーく敷に右のイタシヤキ
チプを用ゆ、是をムダマと称す、ムタマはムタナの
転語にして、とりもなをさす棚板なき舟といふ心也
、
其敷に左右の板をつけ、夷人の舟と
ひとしく仕立たるをモチフと称す、モチフは
モウイヨツプの略にして、舟の事也、凡そ夷地
にしては舟の事をチプといふ事よのつねな
れとも、その実はモウイヨツプといへるが舟の
実称にして、チブといへるは略していふの詞なる
よし、老人の夷はいひ伝ふる事也、モウは乗る
|
用いてから、ついに「無棚小舟」の製法は伝承されなくなったのである。今、奥羽の両国と松前などでは、まだその方法を伝えていて、漁船にはことごとく船体に右のイタシヤキチプを用いていて、これをムダマと称している。ムダマはムタナの転語であって、とりもなおさず「棚板なき舟」という意味である。
船体に左右の板をつけ、アイヌの人びとの舟と同様に作ったものをモチフという。モチフは「モウイヨツプ」の略語であって舟のことである。そもそも蝦夷地においては舟のことをチプということがあたりまえであるけれども、その実は「モウイヨツプ」というのが舟の実称であって、チプというのは略していうことばであるとは、老人のアイヌのいい伝えることである。モウは乗る
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第5巻, 42ページ, タイトル: |
| これ俗にいふ丸木舟の事也、製作すること
イタシヤキチプとことなる事なし、形ちの小し
くたかひたるハ、図を見て考ふへし、二種の中、
前の図は流の緩き川ならひに沼とふを乗る
舟なり、後の図は急流の川をのり、または
川に格別の高底ありて水の落す事飛泉の
如くなるところをさかさのほる事とふある時、
水の入らさるかために、舟の舳に板をとち付たるさまなり、
|
これは俗にいふ丸木舟のことである。製作する方法はイタシヤキチプとことなることはない。形が少しく違っていることは、図を見て考えてほしい。二種類の中、前の図は流が緩い川ならひに沼などで乗る舟である。後の図は急流の川で乗ったり、または川にとくに高低があって、水が落ること飛泉のようなところをさかのぼることなどがある時、舟に水が入らないようにするために、舳に板を綴じつけたところである。 |
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第5巻, 45ページ, タイトル: |
| 蝦夷の地、松前氏の領せし間は、其場所ーーの
ヲトナと称するもの、其身一代のうち一度ツヽ
松前氏に目見へに出ることありて、貢物を献せし
事也、その貢物を積むところの舟をウイマム
チプと称す、其製作のさまよのつねの舟と替
りたる事は図を見て知へし、ウイマムは官長の
人に初てまみゆる事をいふ、
此義いまた詳ならす、追て考ふへし
チプは舟の事にて、官長の人に初てまミゆる
舟といふ事なるへし、老夷のいひ伝へに、古は
松前氏へ貢する如くシヤモロモリへも右の舩にて
貢物を献したる事也といへり、シヤモはシヤハクル
|
蝦夷の地、松前氏が領していた間、場所場所のヲトナと称するものは、その身一代のうち、一度は松前の殿様に目見えに出て、貢物を献上するのである。その貢物を積む舟をウイマムチプという。その作り方は普通の舟とかわっていることは図を見ればわかるだろう。ウイマムというのは官長の人(役人のおさ)に初めてお目にかかることをいう。
この意味はまだよくわからない。改めて考えることとしよう。
チプは舟のことだから「官長の人に初めて目見える舟」ということである。
アイヌの故老がいいつたえるには、昔は松前の殿様に貢ぐようにシヤモロモ
シリへもウイマムチプで出かけ貢物を献上したのだという。シヤモというのはシヤハクル
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第5巻, 46ページ, タイトル: |
| の略也、シヤハはかしらだちたる事をいふ、クルは
人といふ事にて、かしらたちたる人をいふ、ロは
語助也、モシリは島をいふ、此義ことに意味有
事なり、夷語に水の流るゝ事をモムといふ、
地の事をシリといふ、モシリはモムシリの略にして、
流るゝ地といふ事也、そのゆへは、凡島の水上に
うかひたるを遠くよりのぞめは、流れつ
へき地のさましたるゆへに、嶋の事をモシリと
称する也、さすれはシヤモロモリとは、かしら
たちたる人の島といふ事にて、 本邦をさして
いへるなり、古のとき蝦夷といへともことーーく
本邦に属せし事故、 本邦をさしてかし
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の略である。シヤハは人の上にたつことをいい、クルは人ということであって、だからシヤハクルは「人の上にたつひと」ということをいう。ロは助語である。モシリは島をいう。モシリはことに意味あることであって、アイヌ語で水が流れることをモムという。地のことをシリという。
モシリはモムシリの略であって、「流れる地」ということである。その理由は、そもそも島が水上にうかんでいるのを遠くからのぞめば、流れゆくべき地のようすをしているので、嶋のことをモシリというのである。だからシヤモロモシリとは、人の上にたつひとの島ということであって、日本をさしていう。
古い昔は蝦夷といえどもすべて日本に属していたので、蝦夷は日本をさして
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第5巻, 48ページ, タイトル: ナムシヤムイタの図 |
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第5巻, 49ページ, タイトル: ウムシヤムイタの図 |
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第5巻, 50ページ, タイトル: トムシの図 |
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第5巻, 51ページ, タイトル: |
| 三種の中、ナムシヤムイタとウムシヤムイとハ、前に
出せるとことならす、トムシの義いまた詳ならす、
追て考ふへし、ウヘマムチプに用る此よそをひの
三種は、破れ損すといへともことーーく尊敬して
ゆるかせにせす、もし破れ損する事あれは、
家の側のヌシヤサンに収め置て、ミたりにとり
すつる事ハあらす、
ヌシヤサンの事はカモイノミの部にくハしく
見えたり
かくの如くせされは、かならす神の罸を蒙る
とて、ことにおそれ尊ふ事也、罸は夷語にハルと
称す、
|
三種類の中、ナムシヤムイタとウムシヤムイとは、前述のものと違いはないし、トムシの意味はまだよくわからないので、改めて考えることとしたい。
ウイマムチプで用いるこの装具三種類は、破損したとしてもことごとく尊敬しておろそかにしない。もし破損することがあれば、家の側にあるヌシヤサンに収めておいて、みだりに捨てたりすることはない。
<註:ヌシヤサンのことは「カモイノミの部」(これも欠)に詳述してあ
る>
このようにしなければ、かならず神罸をこうむるからといって、ことに怖れ尊ぶという。罸はアイヌ語でハルという。
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第6巻, 1ページ, タイトル: 蝦夷生計図説 アツシカル之部 六 |
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第6巻, 3ページ, タイトル: 衣服製作の総説 |
| 衣服製作の総説
凡夷人の服とするもの九種あり、一をジツトクと
いひ、二をシヤランベといひ、三をチミツプといひ、
四をアツトシといひ、五をイタラツペといひ、六をモウウリといひ、
七をウリといひ、八をラプリといひ、九をケラといふ、
シツトクといへるは其品二種あり、一種ハ 本邦より
わたるところのものにて、綿繍をもて製し、かたち
陣羽織に類したるもの也、一種は同しく綿繍
にて製し、形ち明服に類したるものなり、夷人の
伝言するところは、極北の地サンタンといふ所の人カラ
フト島に携へ来て獣皮といふ物と交易するよしを
いへり、すなはち今 本邦の俗に蝦夷にしきと
いふものこれ也、この二種の中、 本邦よりわた
るところのものは多してサンタンよりきたるといふ
ものハすくなしとしるへし、シヤランベといへるは
|
衣服製作の総説
☆一般にアイヌの人びとが衣服としているものに九種類ある。一はジツトク、二はシヤランベ【サランペ:saranpe/絹】、三はチミツプ【チミ*プ:cimip/衣服】、四はアツトシ【アットゥ*シ:attus/木の内皮を使った衣服】、五はイタラツペ【レタ*ラペ?:retarpe?/イラクサ製の衣服】、六はモウウリ【モウ*ル:mour/女性の肌着】、七はウリ【ウ*ル:ur/毛皮の衣服】、八はラプリ【ラプ*ル:rapur/鳥の羽の衣服】、そして九はケラ【ケラ:kera/草の上着】である。
☆ジットクというものには二種類ある。一種は本邦より渡ったもので、錦で作られたもので、かたちは陣羽織に類するものである。いまひとつはおなじく錦で作られており、そのかたちは明の朝服に類するものである。アイヌの人びとの伝えていうには、極北のサンタン【サンタ:santa/アムール川周辺】というところの地に住んでいる人びとがカラフト【カラ*プト:karapto/樺太】島へ持ってきて、アイヌの人びとのもつ獣皮というものと物々交換するのであると。これがいま世間でいう「蝦夷にしき」なのである。この二種類のジットクのうち、わが国からわたったものが多く、サンタンから来たものはすくないと知っておくべきである。 |
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第6巻, 4ページ, タイトル: |
| 本邦よりわたるところのものにて、古き絹の
服なり、チミツブといへるも同しく 本邦より
わたるところの古き木綿の服なり、此三種の衣は
いつれも其地に産せさるものにて得かたき品ゆへ、
殊の外に重んし、礼式の時の装束ともいふへきさま
になし置き、鬼神祭礼の盛礼か、あるは
本邦官役の人に初て謁見するとふの時にのミ服用
して、尋常の事にもちゆる事はあらす、其中殊に
シツトクとシヤランベの二種は、其品も美麗なるをもて、
もつとも上品の衣とする事也、アツトシ、イタラツベ、モウウリ、
ウリ、ラプリ、ケラこの六種の衣はいつ
れも夷人の製するところのもの也、その中、モウウリ
は水豹の皮にて造りしをいひ、ウリはすへて獣皮
にて造りしをいひ、ラフリは鳥の羽にて造りしを
いひ、ケラは草にて造りしをいふ、この四種はいつれも
下品の衣として礼服とふには用る事をかたく禁
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第6巻, 5ページ, タイトル: |
| するなり、たゝアツトシ、イタラツベの二種は夷人の
製するうちにて殊に上品の衣とす、其製するさまも
本邦機杼の業とひとしき事にて、心を尽し力を
致す事尤甚し、此二種のうちにもわけてアツトシ
の方を重んする事にて、夷地をしなへて男女ともに
平日の服用とし、前にしるせし鬼神祭祀の時あるは
貴人謁見の時とふの礼式にシツトク、シヤランベ、チミツプ
三種の衣なきものは、ミな此アツトシのミを服用する事也、
其外の鳥羽・獣皮とふにて製せし衣はかたく禁
断して服する事を許さす、
凡この衣服の中、機杼より出たるをは尊ミ、鳥
獣の羽皮とふにて製したるを賤しミ、かつ
礼式ともいふへき時に服用する衣は製禁を
もふけ置く事なと、辺辟草莽の地にありてハ
いかにも尊ふへき事なり、其左衽せるをもて戎狄の
属といはん事、尤以て然るへからす、教といふ事のなき
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第6巻, 6ページ, タイトル: |
| 地なれは、其人から小児とことなる事なし、左手の
便なるものは左衽し、右手の便なるものは右衽
せるなるへし、すてに蝦夷のうちまれにハたれ
教るにもあらすして、右衽せるものもあるなり、
もし教化の明に開けんには、靡然として 本邦の人
物とならん事、何の疑かあるへき、
右九種の服のうち、其上下の品わかりたる事かく
の如し、今この書に其図を録せんとするに、九種の
うちジツトクは蝦夷錦と称して 本邦の人
熟知するところの物、シヤランベ、チミツプの二種ハすな
はち 本邦の服なるをもて、此三種の衣は
いつれも図をあらはすに及ハす、モウウリ、ウリ、
ラプリ、ケラ四種のものはいつれもたゝ鳥羽・獣
皮とふにて造れる事ゆへ、其製しかた別に
録すへきよふもあらす、こゝをもて唯其全備のさ
まを一種つゝ図にあらハせり、たゝアツトシの一種のミハ
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第6巻, 7ページ, タイトル: |
| 其造れるさまも殊に艱難にて、 本邦機杼
の業とひとしき事ゆへ、其製しかたの始終本末
子細に図に録せるなり、イタラツベといふもアツトシ
とひとしき物ゆへ、これ又委しく録すへき理
なりといへとも、此衣は夷地のうち南方の地とふにてハ造り
用る者尤すくなくして、ひとり北地の夷人のミ稀に
製する事ゆへ、其製せるさま詳ならぬ事とも
多し、しかれともその製するに用る糸は夷語に
モヲセイ、ニハイ、ムンハイ、クソウといへる四種の草を
日にさらし、糸となして織事ゆへ、其製方の始末
全くアツトシとことならさるよしをいへり、こゝをもて
此書にはたゝアツトシの製しかたのミを録して、
イタラツペのかたは略せるなり、
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第6巻, 9ページ, タイトル: |
| アツトシを製するには、夷語にヲピウといへる木の
皮を剥て、それを糸となし織事なり、またツキ
シヤニといへる木の皮を用る事あれとも、衣に
なしたるところ軟弱にして、久しく服用するに
堪さるゆへ、多くはヲビウの皮のミをもちゆる事也、
こゝに図したるところは、すはハちヲヒクの皮にして、
山中より剥来りしまゝのさまを録せるなり、是を
アツカフと称する事は、すへてアツトシに織る木の
皮をさしてアツといひ、カプはたゝの木の皮の事
にて、アツの木の皮といふ事也、此ヲビウといへる木は
海辺の山にはすくなくして、多く沢山窮谷の中に
あり、夷人これを尋ね求る事もつとも艱難の
わさとせり、専ら厳寒積雪のころに至りて、山
中の遠路ことーーくに埋れ、高低崎嶇たるところも
平になり歩行なしやすき時をまちて深山に入り、
幾日となく山中に日をかさねて尋る事也、其外
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第6巻, 12ページ, タイトル: |
| 此図は剥来りしヲビウの皮を糸になさんとして、先温泉に
ひたしやはらかになすさま也、図のことく温泉の所に持行て、
浅瀬に皮を□し、うへに木をのせ流れさるよふになし、日数
四五日程もつけ置キ、其皮のよくやハらかになるを待て温泉より
出し、湯のあかをとくと洗ひ落して日に□し、是をアツヲン
といふ、アツはアツトシを織る木の皮をいひ、ヲンはやハらかになる事
をいひて、アツやハらかに成といふ事也、かくのことく温泉にひたし
日にさらして糸にさく計になしたるを、いつれの夷人も力の及ふ
限りハ貯へ置事、糧食の備をなし置と異なる事あらす、其皮を
やハらかになさんとするに、もし温泉なき地にてハ、止事を得すし
て常の池沼とふに□す事あれとも、皮のやハらきあしきゆへ
多くは是をなさす、遠方の地といへとも必す温泉の有
所に持行てひたす也、其辛苦せる事思ひはかるへし、すへて
皮を剥あつむるよりこれまてのわさハ夷人男女のわかち
なく、ともーーに為すといへとも、糸につくるより後の事ハ
女子の業にかきる事なり、
|
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第6巻, 14ページ, タイトル: |
| しな太布といふは、しなといへる木の皮にて織し
ものなり、是は奥羽の民家にて此布をもて
衣に製し、農務およひ力を労する業をなす時
に服するものなり、とりもなをさす今蝦夷の
人服用するアツトシは、此製の遺風を伝へたると
見ゆるなり、
凡衣服を製する業のうち、此糸を績事尤かた
き事にて、日かすを重ぬるにあらされは就しさる
ゆへ、昼夜のわかちなく、聊のいとまもすてをかす
して勤る也、時ありて旅行する事なとあれハ、
そのアツの皮を持行て夜々投宿のところおよひ
途中休息のところにても是を為す、其業を
勤るの心純一にして辛苦をかへりミさる事憐に
たへたり、
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第6巻, 19ページ, タイトル: アツトシカルヲケレの図 |
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第6巻, 20ページ, タイトル: |
| 是は糸を綜る事とゝのひてより織さまを図し
たるなり、アツトシカルといへるは、アツトシはすなハち
製するところの衣の名なり、カルは造る事をいひて、
アツトシを造るといふ事也、またアツトシシタイキとも
いへり、シタイキといふは、なを 本邦の語にうつと
いはんか如く、アツトシをうつといふ事なり、
本邦の語に、釧条の類を組む事をうつといへり、
其織る事の子細は、この図のミにしては尽し難き
ゆへ、別に器材の部の中、織機の具をわかちて委
しく録し置り、合せ見るへし、
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第6巻, 21ページ, タイトル: アツトシカルヲケレの図 |
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第6巻, 22ページ, タイトル: |
| 此図はアツトシを織りあけたるさま也、アツトシカル
ヲケレといふは、アツトシアルは前にしるせしと同しく、
ヲケレは終る事にて、アツトシ造る事終るといふ事也、
其織りあけたるまゝのアツトシをウセフアツトシといへり、
ウセフは純色といふか如き事にて、織りあけたるまゝの
アツトシといふ心なり、 本邦の語に、木綿の織りたる
まゝにて、何の色にも染さるを白木綿といふか如し、アツトシ
の織りあけたるさま図の如くに、下のかたの幅を狭くなし
たる事は、上の方は身衣となすへきつもりゆへ、幅を
広く織り、下の方は袖となすへきつもり故、幅を狭く
織るなり、その身衣幅と袖幅とに織りわくるさかひを
トシヤトイと称す、トシヤは袖をいひ、トイは切る事をいひ
て、袖を切るといふ事なり、又衣に製するところの
長短もかねて、著る人のたけをはかり定め置て、少しの
余尺もなきよふに織事なり、
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第6巻, 23ページ, タイトル: アツトシウカウカの図 |
| アツトシウカウカといへるは、ウカウカは縫ふ事を
いひて、アツトシを縫ふといふ事なり、是は前に
しるせる如く、著る人の形ちにより、たけの長短をハ
かねてよりはかり定めて織る事ゆへ、衣を縫んと
すれは、まつ初めにたけを定め置たるところより
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第6巻, 24ページ, タイトル: |
| 切り、またそれを二つにきりてこれを身衣になし、背の
ところは上より下まて縫ひ通す也、それより肩の
左右を弐寸五分ほとに切りて、其きりしところに木綿
にてもアツトシにても外のきれを入れて縫ひつくる
なり、其かたちまつ襟ともいふへきか如し、委しくハ
図を見てしるへし、すへてその縫ふといへるはアツトシ
の耳と耳とを合セ、糸をもて巻さまに縫ふ事也、
かくの如くに縫ふ事終りてより、背のところに木綿
の切をもて種々のかたちを刺繍する事、後の
全備の図のことし、
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第6巻, 25ページ, タイトル: トシヤウカウカの図 |
| 是は織りあけたるアツトシのうち、前にしるせし
ことく身衣を切りとりて、その残りたるところにて
図の如くなる筒袖を造るなり、これをトシヤウカ
ウカと称す、トシヤは袖の事にて、袖を縫ふと
いふ事なり、
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第6巻, 26ページ, タイトル: アツトシミアンベの図 |
| これは前にしるせし身衣と袖とを縫ひ合セ、背の
ところに刺繍の文をつけ、其外袖と裾との縁にもかさりを
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第6巻, 27ページ, タイトル: |
| なして衣の製全くとゝのひし図也、是をアツトシミアンベ
と称す、ミは著る事をいひ、アンベは物といふ事にて、アツトシ
の著るものといふ事也、すへて此衣は夷人の平日服するものなれ
とも、他の獣皮・鳥羽とふにて製したる衣とは格別に
たかひて、礼式の服のことくに尊ふ事也、ことに女子なとは
時により下に鳥羽・獣皮とふの衣を著する事ありても、
いつれその上にこのアツトシの衣を 本邦の
俗にかいとりともいふへきさまに打かけて服す、もし
しからすしてたゝ鳥羽・獣皮とふの衣のミを服する
をハ、甚の無礼となして戒る事なり、その厳密なる
事、女子衣服の製度ともいふへし、たゝ女子のミにあらす、
総説にもしるせし如く、男子といへともまた此衣を尊ミて、官
長の人にま見へおよひ、祭祀とふよろつ謹ミの時にのそミては、シツ
トク・シヤランベとふ装束ともいふへきものなきものは、ミなこの
アツトシのミを服用す、其外鳥羽・獣皮とふの衣はかたく
禁止して著用する事なし、
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第7巻, 5ページ, タイトル: |
| 家を焚焼せる事ハ甚意味のある事にて、委し
くハ葬送の部にミえたり、
居家の製、其かたちのかハりたる事、東地にしてハ南方
シリキシナイの辺より極北クナシリ島に至るまての間、凡
三種あり、其うちすこしつゝハ大小広狭のたかひあれとも、
先つは右三種のかたちをはなれさる也、三種のかたちハ後の
居家全備の図に其地形をあハせて委しく録せり、
但し、居家のかたちハ三種の外に出すといへとも、其製作の
始末は所によりて同しからぬ事も有也、此書に図したる
ところはシリキシナイの辺よりシラヲイ辺まての製作
の始末なり、シラヲイ辺よりクナシリ島に至るまての
製作は、また少しくたかひたるところ有といへとも、図に
わかちてあらハすへき程の事にあらさるゆへ、略して録せす、
たゝ屋を葺にいたりては茅を用るあり、草を用るあり、
あるハ竹の葉を用ひ、あるハ木の皮を用るとふのたかひ有て、
其製一ならす、いつれも後に出せる図を見てしるへし、
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家を燃やすことはとりわけ意味があること
で、そのことは「葬送の部」に詳述してある。>
☆家の造りかた、そのかたちが変化すること、東蝦夷地にあっては南はシリキシナイのあたりから、最も北はクナシリ島に至るまでの間に、おおよそ三種類ある。そのうち、少しづつは大小や広い狭いの違いはあっても、まず大体は右にいう三種類の形から離れることはない。三種のかたちについては後に出す「居家全備の図」に敷地の形をあわせてくわしく記録してある。
<註:ただし、家のかたちは三種類のほかに出しているけれども、その造りかたの始末は場
所によっては同じではないこともある。この本で図示したものはシリキシナイのあた
りからシラヲイあたりまでの製作技法の始末である。シラヲイあたりからクナシリ島
に至るまでの技法は、またちょっと違っているところがあるけれども、図をそれぞれ
区別して示すほどのことでもないので略して記さない。>
ただ、屋根を葺く技法は、茅を使う場合があり、草を使う場合があり、あるいは竹の葉を使い、あるいは木の皮をつかうなどの違いがあって、その製作技法は同一ではない。そのいずれも後出の図をみて理解してほしい。
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第7巻, 11ページ, タイトル: |
| トンドは柱の事也、図に二種出せる事は、上
下の品あるゆへなり、上に図したるは岐頭の木に
して、桁のくゝみに其まゝ岐頭のところを用る也、
是をイクシベトンドと称す、イクシベは岐頭の木を
いひ、トンドは柱をいひて、岐頭の木の柱といふ事也、
是を下品の柱とす、下に図したるは常の柱にして、
桁のくゝみを筥の如くなして用る也、これをバロ
ウシトンドと称す、バロは口をいひ、ウシは在るをいひて、
口のある柱といふ事なり、是を上品の柱とす、
すへて夷人の境、居家の製はその形ち大小広狭の
たかひありて一ならすといへとも、柱の製はこの
二種に限る事なり、
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☆ トンドは柱のことである。二種類を図示したのは、上下の品があるためである。上に図示したのは頭が分かれた二股の木で、桁のくくみ?にそのまま二股のところを使うのである。これをイクシベトンドという。イクシベ【イク*シペ:ikuspe/柱】は二股の木をいい、トンド【トゥントゥ:tuntu/(大黒)柱】は柱のことで二股の木の柱ということである。これを下品の柱とする。
下に図示したのは通常の柱で、桁のくくみ?を丸い箱のようにして使うのである。これをバロウシトンドという。バロ【パロ:paro/その口】は口のことをいい、ウシ【ウ*シ:us/にある】は在るといって、口のある柱という意味である。これを上品の柱とする。総じてアイヌの人びとの国は、家の製法はその形、大小、広狭の違いがあって、同一ではないといっても、柱の製法はこの二種類に限られているのである。
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第7巻, 12ページ, タイトル: シヨベシニの図 |
| シヨベシニといふは桁の
事なり、この語の解
いまた詳ならす、其造れる
さまは 本邦の
茅屋なとに用る桁と
たかふ事はあらす、
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☆ シヨベシニ【ソペ*シニ:sopesni/桁】というのは桁のことである。このことばの解釈はまだはっきりとはしない。その造ったようすはわが国の茅葺き屋根の家などで用いている桁と違いはない。 |
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第7巻, 16ページ, タイトル: |
| うち卑湿なるところに多く生するもの也、
二にハ藤葛を用ゆ、三には野蒲萄の皮をはきて其侭
用ゆ、藤葛を夷語に何といひしにや尋る事をわすれ
たるゆへ、追て糺尋すへし、野蒲萄の皮はシトカフといへり、
シトは蒲萄をいひ、カフは皮をいふ也、此三種のうち草を
なひたる縄と藤葛の二つは材木を結ひ合セ、屋のくミ
たてをなすとふの事に用ひ、野蒲萄の皮ハ屋を葺に用
ゆる也、まれにハ前の二種を用て屋を葺事あれとも
腐る事すミやかにして便ならす、たゝ野蒲萄の皮のミハ
ことに堅固にして、数年をふるといへとも朽腐する事なき
ゆへに多くハ是のミを用る也、三種のさまのかハりたるは図を
見て知へし、屋を葺の草すへて五種あり、一つにハ
茅を用ひ、二にハ蘆を用ひ、三には笹の葉を用ひ、四にハ
木の皮を用ひ、五にハ草を用ゆ、此五種のうち多くハ草と茅
との二種を用る也、五種のもの各同しからさる事は、後の
居家全備の図に委しくミえたる故、別に図をあらはすに及ハす、
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なかで土地が低くて湿気が多いところに
多くはえているのである。>
ふたつめは藤葛を使用する。みっつめは野葡萄の皮を剥いで使う。藤葛をアイヌ語で アイヌ語でなんというのか聞くのを忘れたので、改めて聞きただすことにしよう。野葡萄の皮はシトカフという。シト【ストゥ:sutu/ぶどうづる】は葡萄をいい、カフ【カ*プ:kap/皮】は皮をいうのである。この三種類のうち、草を綯った縄と藤葛のふたつは材木を結び合わせて家屋の組み立てをするなどのことに用い、野葡萄の皮は屋根を葺くのに用いるのである。まれには前のふたつ(草と藤葛)を使って屋根をふく事があるけれども腐ることが早いので都合がよいとはいえない。わずかに野葡萄の皮だけがとりわけ丈夫で、数年たっても朽ちたり腐ったりすることがないので、多くはこれだけを使うのである。三種類のようすの違いは図を見て理解してほしい。
屋根を葺く草はみんなで五種類ある。ひとつには茅を使い、ふたつには芦を使い、みっつめは笹の葉を使い、四つめは木の皮、いつつめは草を使う。このいつつのうち、多くは草と茅の二種類を用いるのである。この五種がおのおの同じでないことは後の「居家全備の図」に詳述したのでここではかくべつ図示はしない。
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