アユウシアマヽの図
食するに至るまてのわさことに心を用るなり、
其次第は後の図に委しく見へたり、是より
出たる糠といへともミたりにする事あらす、
其捨る所を家の側らに定め置き、ムルクタウシ
カモイと称して、神明の在るところとなし、尊ミ
おく事也、これまた後の図にミえたり、此稗を
奥羽の両国及ひ松前の地にてはまれに作れ
る者ありて、蝦夷稗と称す、外の穀類には
似す、地の肥瘠にかゝはらすしてよく生熟し、
荒凶の事なしといへり、其蝦夷稗と称する
事ハ 本邦の地には無き物にして、蝦夷
の地より伝へ来りたるによりてかく称すると
其次第は後の図に委しく見へたり、是より
出たる糠といへともミたりにする事あらす、
其捨る所を家の側らに定め置き、ムルクタウシ
カモイと称して、神明の在るところとなし、尊ミ
おく事也、これまた後の図にミえたり、此稗を
奥羽の両国及ひ松前の地にてはまれに作れ
る者ありて、蝦夷稗と称す、外の穀類には
似す、地の肥瘠にかゝはらすしてよく生熟し、
荒凶の事なしといへり、其蝦夷稗と称する
事ハ 本邦の地には無き物にして、蝦夷
の地より伝へ来りたるによりてかく称すると
食するまでの作法には、ことさら心を用いるのである。その作法の次第は、後掲の図に詳しい。彼らはそこから出る糠といえども粗末にすることはない。
棄てる場所を家の傍らに定めておき、ムルクタウシカモイと称し、神明のいますところとみなして、尊ぶのである。この様子も、後に掲げる図に見えるので参照されたい。
この稗についてであるが、奥羽の両国ならびに松前の地では稀に栽培する者がいて、「蝦夷稗」と称されて
棄てる場所を家の傍らに定めておき、ムルクタウシカモイと称し、神明のいますところとみなして、尊ぶのである。この様子も、後に掲げる図に見えるので参照されたい。
この稗についてであるが、奥羽の両国ならびに松前の地では稀に栽培する者がいて、「蝦夷稗」と称されて


































































