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第7巻, 17ページ, タイトル: シリカタカルの図 |
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第7巻, 18ページ, タイトル: |
| 前に図したるものミな備りてより、家を立る
にかゝるなり、先つ初めに屋のくミたてをなす
事図の如し、是をシリカタカルと称す、シリは下の事
をいひ、カタは方といはんか如し、カルは造る事をいひ
て、下の方にて造るといふ事なり、これは夷人の境、
万の器具そなハらすして、梯とふの製もたゝ独木に
脚渋のところを施したるのミなれは、高きところに
登る事便ならす、まして 本邦の俗に足代
なといふ物の如き、つくるへきよふもあらす、然るゆへ
に柱とふさきに立るときは屋をつくるへきた
よりあしきによりて、先つ地の上にて屋のくミ立を
なし、それより柱の上に荷ひあくる事也、これ屋の下の
方にて造れるをもてシリカタカルとはいふ也、右屋の
くミたて調ひ荷ひあくる計りになし置て、其大小
広狭にしたかひて柱を立る事後の図のことし、
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☆ 以上に図示したものがみんなそろってから、家を建てるのにかかるのである。まずはじめに屋根の組みたてをすること図のとおりである。これをシリカタカルという。シリ【シ*リ:sir/地面】は下のことをいい、カタ【カ タ:ka ta/の上 で】は方というのとおなじであり、カル【カ*ラ:kar/作る】は作ることをいって、下の方で造るということである。
これはアイヌの人びとの国ではたくさんの有用な道具がそろっていないので、はしごなどをこしらえるのもただ丸木に足がかりを彫っただけなので高いところに上るには向いていない。まして、わが国のならわしにある足がかり?などというようなものを造ることもしない。だから、柱などをはじめに建ててしまったら、屋根を造るのにぐあいが悪いので、まず、地上で屋根の組み立てをおこなって、それから柱の上にかつぎ上げるのである。このように、屋根を下の方で造るのでシリカタカルというのである。右のように、屋根を組み立て整えておいて、かつぎ上げるばかりにしておいて、その家の大小や広い狭いにしたがって柱を建てるようすは後の図に示しておいた。
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第7巻, 19ページ, タイトル: トントアシの図 |
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第7巻, 20ページ, タイトル: |
| 屋のくミたてとゝのひてより、それを地上に置て
其形の大小広狭にしたかひ柱をならへ立るなり、
是をトンドアシといふ、トンドは柱をいひ、アシは
立事をいひて、柱を立るといふ事也、其柱を
たつるに図の如く根のかたを少しく外の方に
斜に出して立る事は屋を荷ひ上るの時、頭の
ところのよく桁と合ん事をはかりて也、柱を
立る事終りてより屋をになひ上る事、後の
図の如し、
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☆屋根の組み立てが整ってから、それを地上に置いておき、そのかたちの大小広狭によって、柱を並べて建てるのである。
これをトンドアシという。トンド【トゥントゥ:tuntu/(大黒)柱】は柱をいい、アシ【アシ:asi/を立てる】は立てることをいって、柱を立てるということである。その柱を立てるのに、図のように根の方をすこし外の方に斜めに出して立てるのは、屋根をかつぎ上げるとき、頭のところと桁とがよく合うように考えているからである。柱を立て終わってから屋根をかつぎ上げることは後の図に示した。 |
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第7巻, 25ページ, タイトル: |
| 茅をもてかこふ事なり、其かこひをなすに二種の
ことなるあり、シリキシナイの辺よりビロウの辺ま
てのかこひは、 本邦の藩籬なとのことくに
ゆひまハして、家の四方を囲ふなり、ビロウの辺より
クナシリ嶋まてのかこひは、屋を葺てより其まゝ
家の四方にふきおろして囲ふ也、委しくハ後の
全備の図を見てしるへし、其茅をふく次第は、家の
くミたてとゝのひてより、まつ初に四方の囲ひをなし、
それより屋をふく事也、
凡屋をふくにつきてハ、其わさことに多して、
此図一つにして尽し得へきにあらす、別に器
財の部のうち葺屋の具をわかちて録し
置り、合セ見るへし、
右の如く屋を葺事終りて、其家の右の方に
小きさげ屋を作りて是をチセセムといふ、チセは家
をいひ、セムはさげ屋といふ事なり、
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である。その囲いをするのには二種類の方法のちがいがあって、シリキシナイあたりよりビロウあたりまでの囲いは、わが国の垣根などのように茅を結いまわして家の四方を囲うのである。また、ビロウのあたりよりクナシリ嶋までの囲いは屋根を葺いてから、そのまま家の四方に葺き下ろして囲うのである。詳しいことは後に示した全備の図をみて理解してほしい。
その茅の葺き方の順序は、家の組み立てがおわってから、まず四方の囲いを造り、それから屋根を葺くのである。
<註:大体において、屋根を葺くための技術はとりわけ多く、この図ひとつでいいつくす
ことはできない。別に「器財の部」の中に屋根葺きの道具を分けて記録しておいた
ので合わせてみてほしい。>
以上のように屋根を葺き終ると、その家の右のほうに小さな「さげ屋」を造って、これをチセセムという。セム【セ*ム:sem/物置】はさげ屋ということである。
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第7巻, 29ページ, タイトル: |
| 此図はシリキシナイの辺よりシラヲイの辺に
至るまての居家全備のさまにして、屋は茅を
もて葺さる也、是をキキタイチセと称す、キは
茅をいひ、キタイは屋をいひ、チセは家をいひて、茅の
屋の家といふ事なり、前にしるせし如く、屋をふく
にはさまーーのものあれとも、此辺の居家は専ら
茅と草との二種にかきりて用るなり、チセコツと
いへるは其家をたつる地の形ちをいふ也、チセは家を
いひ、コツは物の蹤跡をいふ、この図をならへ録せる事ハ、
総説にもいへる如く、居屋を製するの形ちはおほ
よそ三種にかきれるゆへ、其三種のさまの見わけやす
からんかためなり、後に図したる二種はミな此故と
しるへし、
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☆ この図はシリキシナイのあたりからシラヲイのあたりまでの家の完備したすがたで、屋根は茅で葺いてある。これをキキタイチセという。キ【キ:ki/カヤ】は茅をいい、キタイ【キタイ:kitay/てっぺん、屋根】は屋根をいい、チセ【チセ:cise/家】は家をいうから茅の屋根の家ということである。前述のように屋根の葺き方にはさまざまなものがあるが、このあたりの家はもっぱら、茅と草の二種だけを使うのである。
チセコツというのは、その家を建てる敷地のかたちをいう。チセは家をいい、コツ【コッ:kot/跡、くぼみ】はものの
あとかたをいう。この敷地の図を並べて記すのは総説でものべておいたように、家を造る際のかたちはだいたい三種類に限られるので、その三種類の形体を見分けやすくしようと考えたためである。後に図示した二種はミナこの理由によるのである。
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第7巻, 30ページ, タイトル: シヤリキキタイチセの図 |
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第7巻, 32ページ, タイトル: |
| 此図はシラヲイの辺よりヒロウの辺にいたる
まての居家全備のさまにして、屋は蘆をもて
葺たるなり、是をシヤリキキタイチセと称す、シヤリ
キは蘆をいひ、キタイは屋をいひ、チセは家を
いひて、蘆の屋の家といふ事なり、此辺の居家
にては多く屋をふくに蘆のミをもちゆ、下品
の家にてはまれに茅と草とを用る事もある
なり、
右二種の製は四方のかこひを藩籬の如くになし
たるなり、
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☆この図はシラヲイのあたりからヒロウのあたりまでの家の完備したようすで、屋根は芦で葺いている。これをシヤリキキタイチセという。シヤリキ【サ*ラキ:sarki/アシ、ヨシ】は芦のこと、キタイ【キタイ:kitay/てっぺん、屋根】は屋根、チセ【チセ:cise/家】は家をいうから、芦の屋根の家ということである。このあたりの家の多くは屋根を葺くのに芦だけを使う。下品の家ではまれに茅と草とを用いることもある。
右に図示した二種の造りは四方の囲いを垣根のようにしてある。 |
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第7巻, 35ページ, タイトル: |
| 是はビロウの辺よりクナシリ島にいたるまての
居家全備のさまにして、屋は木の皮をもて
葺たるなり、是をヤアラキタイチセと称す、ヤア
ラは木の皮をいひ、はタイチセは前と同しことにて、
木の皮の屋の家といふ事なり、たゝしこの木の
皮にてふきたる屋は、日数六七十日をもふれは
木の皮乾きてうるをひの去るにしたかひ裂け
破るゝ事あり、其時はその上に草茅とふをもて
重ね葺事也、かくの如くなす時は、この製至て
堅固なりとす、しかれとも力を労する事ことに深き
ゆへ、まつはたゝ草と茅とのミを用ひふく事多し
と知へし、木の皮の上を草茅とふにてふきたる
さまは、後の図にミえたり、
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☆ これはビロウのあたりからクナシリ島にいたる家屋完備のようすである。屋根は木の皮で葺いている。これをヤアラキタイチセという。ヤアラ【ヤ*ラ:yar/樹皮】は木の皮をいい、キタイチセは前とおなじことで、木の皮の屋根の家ということである。ただし、この木の皮で葺いた屋根は日数六、七十日もたてば、木の皮が乾いて潤いがなくなるにしたがって、裂けて破れることがある。そのときは上に草や茅などでもって重ねて葺くのである。このようにしたときは、造りはいたって丈夫であるという。しかしながら、この作業は労力がたいへんなので、一応は草と茅だけを使って葺くことが多いと理解しておいてほしい。木の皮の上に草や茅などでふいているさまは後に図示してある。
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第7巻, 37ページ, タイトル: |
| この図もまたビロウの辺よりクナシリ嶋に至る
まての居家全備のさまにして、屋を竹の葉にて
ふきたる也、これをトツプラツフキタイチセと称す、
トツプは竹をいひ、ラツプは葉をいひ、キタイチセは
前と同し事にて、竹の葉の屋の家といふ事也、
これ又木の皮と同し事にて、葺てより日かすを
ふれは竹の葉ミな枯れしほミて雨露を漏すゆへ、
やかて其上を草と茅にてふく也、この製又至て
堅固なりといへとも、力を労する事多きにより
て、造れるものまつはまれなりとしるへし、
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☆ この図もまた、ビロウのあたりからクナシリ島にいたる家屋完備のようすであって、屋根を竹の葉で葺いている。これをトツプラツフキタイチせという。トツプ【ト*プ:top/竹、笹】はたけをいい、ラツプ【ラ*プ:rap/竹などの葉】は葉をいう。キタイチセは前とおなじだから、竹の葉の屋根の家ということである。
これまた、木の皮とおなじで葺いてから日数がたてば、竹の葉はみんな枯れしぼんで雨露を漏らすようになるので、やがてその上を草と茅とで葺くのである。この造りはまたとても丈夫なのだけれども労力がたいへんなので、これを造っているものはまず少ないと理解してほしい。
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第7巻, 41ページ, タイトル: |
| プは夷人の物を入れ置ところにして、
本邦にいはゝ蔵の如きもの也、プといへるはもと器の
事にもいへり、たとへは矢を入る筒をアイイヨツプ
といふか如し、アイは矢をいひ、イヨツは入るをいひ、プは
器をいひて、矢を入る器といふ事也、又物といふ事にもきこ
ゆるにや、アイイヨツプといふを矢を入る物とも解すへし、然れ
とも物といふ語は別にベといふ事ある時は、いつれ器と
解するを得たりとす、しかれハ何のプ某のプといふときは
器の事になり、たゝプと計りいふときは蔵の事になる也、これは
蔵といへるも、もと物を入れをくところゆへ同しく
器の類といふ心にてかくいふと見ゆるなり、
プといへるの解は、委しく語解の部にミえたり、
すへて此等の事、夷人の境言語のかすすくなく
して、物をかねていふゆへなり、
言語のかす少して、言は一つにて物をかねていふ
といへる事は、アユシアマヽの部に委しくミえたり、
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☆プ【プ:pu/倉】はアイヌの人びとが物を入れておくところで、わが国でいう蔵のようなものである。プというのはもと器のことにもいう。たとえば、矢筒をアイイヨツプというように、アイ【アイ:ay/矢】は矢、イヨツ【オ:o/に入っている】は入れるをいい、プ【*プ:p/もの】は器をいって、矢を入れる器ということである。また、プは物ということという意味があるのかもしれない。アイイイヨツプを矢を入れる物とも解釈できる。しかしながら、物という語はほかにベ【ペ:pe/もの】という語もあり、どのみち器という意味に解釈することができる。だから、「何のプ」「だれそれのプ」というときは器のことになり、ただ、プとだけいうときは蔵のことになるのである。これは蔵といえども、もともと物を入れておくところなのでおなじく器のたぐいという意味あいがあってこのようにいうのであろう。
<註:プの解釈は、詳しくは「語解の部」にある。>
【●校訂者註:厳密に言うと、プpuと*プpは別の単語である。また、「もの」という意味の*プpとペpeは、直前の音が母音の場合は*プp、子音の場合はペpeのかたちをとる】
総じて、これらのようなことおこるのは、アイヌの人びとの国では語彙のかずが少ないので物を兼ねていうからである。
<註:語彙数が少ないのでことばひとつでいくつかの物をかねていうことは「アユシア
マヽの部」に詳しい。>
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第7巻, 43ページ, タイトル: エリモシヨアルキイタの図 |
| エリモシヨアルキイタといふは、エリモは鼠を
いひ、シヨアルキは来らすといはんか如し、
イタは板の事にて、鼠の来らさる板といふ事なり、
是は前に図したる如く、蔵の床を高くなし
て鼠をふせくといへとも、なを柱をつたひ上らん事を
はかりて、床柱の上に図の如くなる板を置、のほる
事のならさるよふになす也、すへて夷人の境、鼠
多して物をそこなふゆへ、さまーーに心を用ひて
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☆ エリモシヨアルキイタというのは、エリモ【エ*レム、エル*ム:ermu, erum/ネズミ】はねずみをいい、シヨアルキ【ソモ ア*ラキ:somo arki/ない 来る→来ない】は来ないというような意味、イタ【イタ:ita/板】は板のことで、ねずみが来ない板という意味である。
これは前に図示したように蔵の床が高くなっていてそれでねずみを防ぐのではあるけれども、さらに柱を伝いあがってくるかもしれないことを考えて、床柱の上に図のような板をおいて、登ることがないようにするのである。総じて、アイヌの人びとの国はねずみが多くて物が被害にあうのでさまざまに用心して |
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第8巻, 6ページ, タイトル: |
| 戒慎せしめ、子孫の繁栄を祈る心なり、又其子
たる者親の非業の死をかなしミ憂苦甚しく、ほとんと
生をも滅せん事をおそれ、拷掠して其心気を励し
起さんかために行ふ事も有よし也、四つにハ父母の
死にあふ者に行ふ事有、是ハ其子たるものを強く
戒しめて父母存在せる時のことくに万の事をつゝしミ、
能家をさめしめん事を思ひて也、五つにハ流行の
病とふある時、其病の来れる方に草にて偶人を作り
立置て、其所の夷人のうち一人にウカルの法を行ひ
て、その病を祓ふ事有、六つにハ日を連て烈風暴雨等ある
とき、天気の晴和を祈て行ふ事有、此流行の
病を祓ふと天気の晴和をいのるの二つは、同しく拷掠
するといへとも、シユトに白木綿なとを巻て身の痛まさる
よふに軽く打事也、此ウカルの外に悪事をなしたる
者あれハ、それを罰するの法三つ有、一つにはイトラスケ、
二つにはサイモン、三つにはツクノイ也、イトラスケといふは、
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慎ませて子孫の繁栄を祈るこころなのである。また、その子は親の非業の死を悲しみうれうることがはなはだしく、ほとんど命を失わんばかりになることを心配して、むち打つことでかれの気持ちを奮い起こすために行なうこともあるという。
よっつめは父母の死にあったものに行なうことがある。これはその子どもを強く戒めて両親が生きていたときのように万事を慎んで、うまく家を守るようにと願ってのことである。いつつめは、伝染病が流行したときなど、伝染病が来る方向に草で作った人形を立ておいて、その村の住人のひとりにウカルを行なって、病気のお祓いをするのである。むっつめは連日、暴風雨が吹き荒れたとき、天候の回復を祈って行なうことがある。
この伝染病のお払いと、天気の回復を祈ることのふたつは、おなじむち打つといっても、シユト【ストゥ:sutu/棍棒、制裁棒】に白木綿などを巻いてからだが痛まないように軽く打つのである。
ウカルのほかに、悪いことをしたものがあれば、かれを罰する方法にみっつある。
ひとつはイトラスケ、二はサイモン【サイモン:saymon/神判、盟神探湯】、三はツクノイである。イトラスケというのは、
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第8巻, 8ページ, タイトル: シユトの図 |
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第8巻, 9ページ, タイトル: |
| 是はウカルを行ふの時、拷掠するに用る杖なり、
シユトと称する事はシモトの転語なるへし、
本邦の語に□笞をしもとゝ訓したり、
これを製するには、いつれの木にても質の堅固
なる木をもて製するなり、其形ちさまーー変り
たるありて、名も又同しからす、後に出せる図を
見てしるへし、此に図したるをルヲイシユト
と称す、ルとは樋をいひ、ヲイは在るをいひて、
樋の在るシユトといふ事也、後に図したる如く
種類多しといへとも、常にはこのルヲイシユト
のミを用ゆる事多し、夷人の俗、此具をことの
外に尊ひて、男の夷人はいつれ壱人に壱本
つゝを貯蔵する事也、人によりてハ壱人にて
三、四本を蔵するもあり、女の夷人なとには
聊にても手をふるゝ事を許さす、かしらの
ところにハルケイナヲを巻て枕の上に懸置也、
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☆ これはウカルをおこなうとき、むち打つのに用いる杖である。シユトという語はシモトの転語であろう。
<註:わが国のことばで楉笞を「しもと」と訓じている>
これを作るには、どんな木でも木質の堅い木を用いる。そのかたち、いろいろ変ったものがあって、名称も同じではない。あとに出した図を見て理解してほしい。
ここに図示したものをルヲイシユト【ruosutuあるいはruunsutu→ruuysutuか?】という。ル【ル:ru/筋】は樋をいい、ヲイ【オ:o/にある。ウン→ウイ?:un→uy?/ある?】は在るということで、樋の在るシユト【ストゥ:sutu/棍棒、制裁棒】ということである。後に図示したように種類は多くあるが、通常はこのルヲイシユトのみを使うことが多い。
アイヌの人びとのならいでは、この道具をことのほか尊んで、男はみなひとり一本づつもっているのである。ひとによっては、ひとりで三、四本をもっているものもあるが、女などにはわずかでも手を触れることを許さない。その頭のところにはハルケイナヲ【ハ*ラキ● イナウ:harki inaw/●】を巻いて、枕の上に掛けておくのである。
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第8巻, 10ページ, タイトル: |
| またチセコルヌシヤサンの棚の上に納め置事も
あり、旅行する事なとあれハかならす身
をはなさす携へ持する事なり、年久しく家に
持伝へたるなとにハ、人をたひーー拷掠なしたるに
よりて、打たるところに皮血とふ乾き付て、
いかにもつよく拷掠したるさまミゆるなり、
それをは殊に尊敬して家に伝へ置事也、
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またチセコルヌシャサン【チセコ*ロヌササン:cisekornusasan/屋内の祭壇】の棚の上に納めて置くこともあり、また、旅行をすることがあれば、かならず身からはなさず携えているのである。長年、家に伝世したものなどには、ひとをたびたびむち打ったので、打ったところには皮や血などが乾き付いていて、確かに強く打ったようすがみえるのである。それをまことに尊敬して家に伝えていくのである。
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第8巻, 11ページ, タイトル: ジアユウシシユトの図 |
| ジアユウシシユト
いへるは、シは肬をいひ、
アユは刺し痛むを
いひ、ウシは在るをいひ
て、いほのさす事ある
シユトといふ事なり、
是は図の如くにいぼ
の在るシユトにて、拷掠
する時右のいぼ肉を
さし痛むゆへに斯ハ
いへるなるへし、
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☆ジアユウシシユトというのは、シ【?】はいぼをいい、アユ【アイ:ay/とげ】は刺して痛いことをいい、ウシ【ウ*シ:us/がある】は在るという意味で、いぼの刺すことがあるシユトということである。
これは図のようにいぼがあるシユトであって、むち打つとき、そのいぼが肉をさすので痛むためにこのようにいうのである。
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第8巻, 12ページ, タイトル: アカムシユトの図 |
| アカムシユトと
いへるは、アカムは車を
いひて、車のシユト
といふ事なり、此
製作は節々の
高く出たるところ
車の輪のことく
なる故にかくは
いへるなり、
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☆アカムシユトというのは、アカム【アカ*ム:akam/輪】は車のことで、車のシユトという意味である。この作りようは節ぶしが高く出たところが車輪のようなのでこのようにいうのである。
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第8巻, 13ページ, タイトル: ラヽカシユトの図二種 |
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第8巻, 14ページ, タイトル: |
| ラヽカシユトと
いへるは、ラヽカは
滑なる事をいひ
て、滑なるシユトと
いふ事也、此二つの
製作外のシユトに
くらふれは彫刻
せるもの少もなく
して、滑なる故に
かくはいへるなり、
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☆ラヽカシユトというのは、ラヽカ【ララ*ク:rarak/すべすべした】は滑らかなことで、滑らかなシユトということである。これは前述のふたつのシユトに比べれば彫刻したところが少しもなく滑らかなのでこのように言うのである。
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第8巻, 15ページ, タイトル: ケフヲイシユトの図 |
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第8巻, 16ページ, タイトル: |
| ケフヲイシユトといへるは、ケは毛をいひ、フはま
はらなる事をいひ、ヲイは在る事をいひて、
毛のまハらに在るシユトといふ事なり、これは
海獣の皮を細長く切りて図の如くにシユトの
かしらに巻たるゆへ、其毛のまハらに在るを以て
かくはいへるなり、
ここに海獣としるしたるは、奥羽松前とふの
方言にトヾといへるもの也、夷人の言葉に何と
いひしにやわすれたるゆへ、其名をしるさす、追て
録すへし、
右に図したる六種の外にも形ちのかはりたる
シユトさまーーあるよしをいひも伝ふれと、まさし
く見たる事にあらさるゆへしるさす、追て糺尋
のうへ録すへし、
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☆ケフヲイシユトというのは、ケ【ケプ*ル:kepur/毛皮の毛を抜いたもの?】は毛のことをいい、フはまばらなこと、ヲイ【オ:o/にある。ウン→ウイ?:un→uy?/ある?】は在るということで、毛のまばらに在るシユトのことである。これは海獣の皮を細長く切って図のようにシユトの頭に巻いているので、(海獣の皮に)毛がまばらにあるのでこのようにいうのである。
<註:ここに海獣と記したのは、奥羽、松前などの方言にトドというもののことである。アイヌ語でなんというのか忘れたので、その名は記さない。おって記録することにしよう。
右に図示した六種類のほかにもかたちの変ったシユトがいろいろあると伝えているが、確かに見たことがないので記録しない。いずれ聞きただしたうえで記録することにしよう。>
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