アベシヤマウシイナヲの図
此イナヲは火の神を祭る時に奉け用ゆるなり、
アべシヤマウシイナヲと称する事は、アベは火の事をいひ、
シヤマは物のそばをいひ、ウシは立つ事をいひて、
火のそはに立つイナヲといふ事也、此語なとハまさ
しく 本邦の語にも通するにや、アベは火の事
をいふにあたれり、
此事ハ語解の部に委しく論したり、こと
長けれはこゝにしるさす、
シヤマはソバの転語にして、ウシはアシの転語なる
へし、アシといへる事は、もと立つ事をいふとミゆる也、
人の脚をあしといへるも立つ事より出たるにや、
机案の類のしたに立たるところをあしといひ、
其外雲あし、雨あしなといへる事も、ミなその
立るかたちをいへる也、かく見る時はアベシヤマウシ
は火のそばに立つといふ事に通するなり、この
イナヲは夷地のうちシリキシナイといふ所の辺
よりヒロウといへる所の辺まてにもちゆる也、
アべシヤマウシイナヲと称する事は、アベは火の事をいひ、
シヤマは物のそばをいひ、ウシは立つ事をいひて、
火のそはに立つイナヲといふ事也、此語なとハまさ
しく 本邦の語にも通するにや、アベは火の事
をいふにあたれり、
此事ハ語解の部に委しく論したり、こと
長けれはこゝにしるさす、
シヤマはソバの転語にして、ウシはアシの転語なる
へし、アシといへる事は、もと立つ事をいふとミゆる也、
人の脚をあしといへるも立つ事より出たるにや、
机案の類のしたに立たるところをあしといひ、
其外雲あし、雨あしなといへる事も、ミなその
立るかたちをいへる也、かく見る時はアベシヤマウシ
は火のそばに立つといふ事に通するなり、この
イナヲは夷地のうちシリキシナイといふ所の辺
よりヒロウといへる所の辺まてにもちゆる也、
このイナヲは、火の神を祭るときに奉げ用いるものである。アベシヤマウシイナヲとは、「アベ」が火を、「シヤマ」が物のそばを、「ウシ」が立つことをそれぞれ表わし、合わせて「火のそばに立つイナヲ」という意味である。この語などはまさしく、我が国の言葉にも通じているように思われる。「アベ」とは、まさに火のことを言うのに当たっている。
* 「アベ」が火のことを指すということについては、本稿「語解の部」で詳しく論じている。長くなるのでここには記さない。
「シヤマ」は「そば」の転語であり、「ウシ」は「あし」の転語であろう。「あし」というのは、元来立つことを指していたと考えられる。人の足を「あし」というのも、立つことから出た言葉であろう。机などで下に立ててある部分を「あし」といい、またその他「雲あし」・「雨あし」などという事例も、皆それが立っている形を指しての言葉である。こう考えてくると、「アベシヤマウシ」を「火のそばに立つ」と言っていることと相通じてくるのである。このイナヲは、蝦夷地のうちシリキシナイ(尻岸内)という所からヒロウ(広尾)という所の辺りまでの地域で用いられている。
* 「アベ」が火のことを指すということについては、本稿「語解の部」で詳しく論じている。長くなるのでここには記さない。
「シヤマ」は「そば」の転語であり、「ウシ」は「あし」の転語であろう。「あし」というのは、元来立つことを指していたと考えられる。人の足を「あし」というのも、立つことから出た言葉であろう。机などで下に立ててある部分を「あし」といい、またその他「雲あし」・「雨あし」などという事例も、皆それが立っている形を指しての言葉である。こう考えてくると、「アベシヤマウシ」を「火のそばに立つ」と言っていることと相通じてくるのである。このイナヲは、蝦夷地のうちシリキシナイ(尻岸内)という所からヒロウ(広尾)という所の辺りまでの地域で用いられている。







































