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第1巻, 31ページ, タイトル: イコシラツケイナヲの図 |
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第1巻, 32ページ, タイトル: |
| イコシは守りをいひ、ラツケは物を掛け置く事を
いひて、守りを懸け置くイナヲといふ事なり、
守りといへるは夷人の身を守護するところの
宝器をいふ也、その宝器はなを 本邦の俗に
小児の守り袋なといはんか如く、身の守りになる
よしいひて、殊の外に尊ふ事也、委しくハ宝器の
部にミえたり、
時ありて此イナヲに其宝器をかけ、住居のヌシヤ
サンにかさり置て祈る事のある也、其祈る事は
ことーーく意味深きよしなれは、夷人の甚秘する
事にて、人にかたらさるゆへ、其義いまた詳ならす、
追て探索の上録すへし、
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「イコシ」はお守りを、「ラツケ」は物を掛けて置くことを表わし、合わせて「お守りを掛けて置くイナヲ」という意味である。
* お守りというのは、アイヌの人々の身を守護してくれる宝器のことである。その宝器は、わが国で俗に小児の守り袋などのように、身の守りになるといって、大変尊ばれるものである。詳しくは、本稿「宝器の部」に記してある。
時折、このイナヲにその宝器を掛け、住居に附属するヌシヤサンに飾り置いて祈ることがある。何を祈っているかについては、その悉くについて深い意味があるとのことで、アイヌの人々は甚だ秘して他人には語らないため、いまだ詳らかにすることはできない。追って探索の上記すこととしたい。
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第1巻, 33ページ, タイトル: チカツフイナヲの図 |
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第1巻, 34ページ, タイトル: |
| チカツフとは鳥の事をいふ也、是は養ひ置し
鳥を殺す時は、此イナヲを用ひて、其殺せし鳥の
霊を祭る也、これによりて鳥のイナヲといふ心
にてかく名つけし也、
およそ夷人の俗、熊・狐の類、其外諸鳥をかひ
置て、是を殺す事あるときは、其霊を祭る事
甚た厚く、意味も又ことに深し、別に部類を
分ちてほゝしるしたりといへとも、いまた詳ならさる
事とも多し、追て糺尋の上録すへし、
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チカツフとは鳥のことを意味する。飼育していた鳥を殺すときに、このイナヲを用いて、その殺した鳥の霊を祭るのである。こうした用途のため、「鳥のイナヲ」という意味で、こう名づけられている。
* 一般的にアイヌの人々の間には、熊や狐の類、そのほか様々な鳥を飼育しておく慣習がある。そして、これらを殺すに際しては、その霊を大変篤く祭ることをなし、又その祭りにこめられる意義にも非常に深いものがある。これについては別に章を改めてその大略を記してあるが、依然として詳らかにされていない事柄が少なくない。追って聞き取りの上、記すことを期したい。
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第2巻, 11ページ, タイトル: |
| ラタ子と称する事は、ラタツキ子といへるを略せるの
言葉也、ラとはすへて食する草の根をいひ、タ
ツキ子とは短き事をいひて、根短しといふ事也、
これは此草の形ちによりてかくは称するなり、
是亦国の開けたる初め火の神降りたまひて、
アユシアマヽと同しく伝へ給ひしよし言ひ伝へて、
ことの外に尊み蝦夷のうちいつれの地にても作り
て糧食の助けとなす事なり、
但し、極北の地子モロ・クナシリ島とふの夷人作る
事のなきは、アユシアマヽに論したると同しき
ゆへとしるへし、
是を 本邦菜類のうちに考ふるに、すなハち
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ラタネとは、「ラタツキネ」という言葉を略した言葉である。「ラ」とは食用植物の根全般を指し、「タツキネ」は「短い」を表わし、あわせて「根が短い」という意味である。
この草がそういう形をしていることから付いた名称である。これもまた、国の開けし始め、火の神が降臨なさって、アユシアママと一緒にお伝えになったと言い伝えられており、ことのほか尊ばれている。この作物も、蝦夷地一円に栽培されており、糧食の一助として用いられている。
*但し、極北の地であるネモロ・クナシリ島等のアイヌの人々がこれを栽培することがないのは、アユシアママのところで論じたのと同じ理由であろう。
ラタネとは、
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第2巻, 21ページ, タイトル: トイララツカの図 |
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第2巻, 22ページ, タイトル: |
| 草を焼てより其地の土を平らかにならす也、
是をトイラヽツカと称す、トイは前に同しく、
ラヽツカとはすへて物を平らかにする事をいひ
て、土をたいらかになすといふ事なり、夷人の境
釆槌とふの器もなけれハ、地をならすといへるも、
本邦にて隴畝なと耕作するか如きの事にハ非す、
唯其地にある木の根、あるは土くれとふの物
の種を蒔、さまたけとなるへき物を図のことく
タシロとふのものにてきり除くのミの事也、
タシロといへる物は 本邦にいふ庖丁の類也、
委しくは器材の部にミえたり、
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草を焼いてから、その場の土を平らに均す作業を行なう。これをトイララツカという。「トイ」は前に述べた通り、「ララツカ」は物を平らにすること一般を表し、合わせて「土を平らにする」という意味である。アイヌの人々は才槌などの器具を持たないため、土を均すといっても、わが国において田畑に畝をしつらえて耕作するような作業を行なうわけではない。ただその場にある木の根や土くれ等のなかで蒔く妨げとなるような物を、図に見えるようなタシロという用具で切り除くだけのことである。
*タシロというのは、わが国で言う包丁の一種である。詳しくは「器材の部」に述べてあるのでご参照ありたい。
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第2巻, 29ページ, タイトル: テケヲツタセイコトクの図 |
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第2巻, 30ページ, タイトル: |
| 是はアユシアマヽ熟するの時に及て、その穂を
きらんかために手に貝をつけたるさま也、テケヲ
ツタセイコトクといへるは、テケは手の事をいひ、ヲツタ
は何にといふにの字の意なり、セイは貝をいひ、コト
クは附る事をいひて、手に貝を附るといふ事也、
これに用る貝は、夷語にビバセイといふ也、其を小刀
を磨する如くによくときて手に附る也、ヒバセイ
は別に貝類の部にくハしくミえたり、
凡穂をきるにはミなこれを用ひてきる事也、
決して小刀よふの物、すへて刃物を用ゆる事ハ
あらす、奥羽の両国の中まれにハ穂をきるに右の
如く貝を用ゆる事もあるよしをいへり、
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これは、アユシアママが稔るに及んで、その穂を切るために手に貝をつけた様子である。テケヲツタセイコトクというのは、「テケ」は手を、「ヲツタ」は「~に」という語を、「セイ」は貝を、「コトク」は「付ける」をそれぞれ表し、合わせて「手に貝を付ける」という意味である。
* これに用いられる貝を、アイヌ語でビバセイという。この貝を、小刀を研磨するようによく研いで手に装着するのである。ビバセイについては、別記「貝類の部」に詳細である。
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第3巻, 3ページ, タイトル: プヲツタシツカシマの図 |
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第3巻, 4ページ, タイトル: |
| 是は剪り採りし穂を収め置事をいふなり、
フヲツタシツカシマといへるは、フとは 本邦にしてハ
蔵なといへる物のことく、物を貯へ置ところ
をいふ、
其造れるさまも常の家とは事替りて、
いかにも床を高くなして住居より引はなれたる
所に造り置事也、委しくハ住居の部に
ミえたり、
ヲツタは前にいふ如くにの字の意也、シツカシマとハ
大事に物を収め置事をいひて、蔵に収め置と
いふ事也、其収め置にはサラニツプといへる物に
入れて置も有、あるは俵の如くになして入れ置
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これは、刈り取った穂を収め置くことをいう。フヲツタシツカシマという語のうち、「フ」はわが国でいうところの蔵のように、物を貯え置く場所を表す。
* その建築形態は通常の家とは異なり、何とか工夫して床を高くしつらえ、住居から引き離れた場所に建てられるものである。詳しくは本稿「住居の部」に記してある。
「ヲツタ」は前述の通り「~に」という語を表す。「シツカシマ」とは大事に物を収め置くことをいう。合わせて「蔵に収め置く」という意味である。収めておくに際しては、サラニツプという物に入れておくことがある。また、俵のようにこしらえて入れておく
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第3巻, 5ページ, タイトル: |
| もある也、
サラニツフといへるは草にて作れる物也、俵に
するといへるも多くは夷地のキナといへる物を
用ゆる也、二つともに委しくハ器財の部にミへたり、
此中来年の種になすへきをよく貯へ置にハ、
よく熟したる穂をゑらひ、茎をつけて剪り、よく
たばねて苞となし、同しく蔵に入れをく也、
是にてまつアユウシアマヽを作り立るの業は
終る也、すへて是迄の事平易にして、格別に
艱難なるさまもなきよふにミゆれとも、ことに
然るにあらす、夷人の境よろつの器具とふも心に
まかせすして力を労する事も甚しく、また
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場合もある。
* サラニツフというのは、草で作られたものである。俵にこしらえる場合も、多くは蝦夷地のキナというものが用いられる.詳しくは本稿「器材の部」に記してある。
このなかから来年の種とするものを良い状態で貯えておくには、よく熟した穂を選び、茎をつけたまま刈り、よく束ねて包みとし、他の穂と同様に蔵に入れておく必用がある。
これでアユウシアママを作りたてる作業は終了である。全般にこれまでの作業は平易であり、格別に困難な様子などないように見えるが、そうではない。アイヌの人々の住む地では、諸種の農器具なども手に入らず、従って労力を費やすことが甚だしい。また、
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第3巻, 7ページ, タイトル: ルシヤシヤツツケの図 |
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第3巻, 8ページ, タイトル: |
| ルシヤシヤツヽケと称する事は、ルシヤとハ蘆をあミ
て簾の如くなしたる物をいひ、シャツヽケとは干す
事をいひて、簾にほすといふ事也、是は蔵に
入れ置たる穂を食せんとする時に及ひて蔵より
とりいてゝ簾にのせ、囲炉裏の上に図の如くに
干す事也、いかなるゆへにやいとま有時といへとも
残らす舂てそれを貯へ置といふ事ハあらす、
いつれ穂のまゝに蔵に収め置て、食するたひ
ことに蔵よりとり出し図の如くに干して、
それより舂く事をもなす事なり、 |
ルシヤシヤツツケとは、「ルシヤ」がアシを編んで簾のように作ったものを、「シヤツツケ」が干すことを表し、合わせて「簾に干す」という意味である。これは、蔵に入れておいた穂を食しようとする時に、蔵から取り出して簾に乗せ、囲炉裏の上に図のように干すことを指す。どういうわけか、いくら時間があったとしても、蔵の穂をすべて搗いたうえで貯えるということは行なわれない。
穂のままで蔵に収めておき、食する度ごとに取り出して図のように干したうえで搗くことになっているのである。 |
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第3巻, 26ページ, タイトル: |
| あるは一椀を食するに止りて、其□歉ひとし
からぬ事あるへきを、夷人の習ひいささか是等の
事をもて意となさゝる事とミゆる也、
一椀を喰ふことに粥をはアマヽトミカモイと唱へ、
魚肉及ひ汁をはチエツプトミカモイと唱へてより喰ふ
なり、アマヽトミカモイといへるは、アマヽは穀食をいひ、
トミは尊き事をいひ、カモイは神をいひて、穀食
尊き神といふ事也、チエツプトミカモイといへるは、チエ
ツプは魚をいひ、トミカモイは上と同し事にて、魚の
尊き神といふ事也、是は右いつれの食も天地
神明のたまものにて、人の身命を保つところの
物なれは、それーーに主る神ある事故、其神を
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一椀を食するに止まることになる。これでは、食事の度に、食べ飽きてしまったり、あるいは逆に食べ足りなくなってしまったりすることが生じてきそうなものである。しかし、アイヌの人々の習慣では、こうしたことについて、いささかも意に介していないように見えるのである。
こうした椀は、一椀ごとに、粥をアママトミカモイと唱え、魚肉および汁をチヱツプトミカモイと唱えてから食される。アママトミカモイとは、「アママ」が穀物を、「トミ」が「尊い」という語を、「カモイ」が神をそれぞれ表し、合わせて「穀物の尊い神」という意味である。チヱツプトミカモイとは、「チヱツプ」が魚を表し、「トミカモイ」は前に同じであるから、合わせて「魚の尊い神」という意味である。アイヌの人々の言うには、右に記したいずれの食材も、天地神明の賜物であり、人の身命を保ってくれるものであるという。従って、食材それぞれに司る神があることでもあるので、その神を |
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第3巻, 27ページ, タイトル: |
| 尊ミ拝するの詞なるよし夷人いひ伝へたり、此中
魚を喰ふにもチエツプトミカモイと唱へ、汁を喰ふ
にもまた同しくチエツプトミカモイと唱ふる事は、
前の条にしるせし如く、汁の実はいつれ魚肉を
用ゆる事、其本にして、ラタ子あるは草とふを
入る事はミな其助けなるゆへ、魚肉を重となすと
いふのこゝろにて、同しくチエツプトミカモイと唱ふる
なり、
これのミにあらす、すへて食するほとの物ハ何に
よらす其物の名を上に唱へ、某のトミカモイと
唱へて食する事、夷人の習俗なり、
一日に両度つゝ食するうち、朝の食は
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拝むために唱えられるのが、
この詞なのだそうだ。さてその詞についてであるが、魚を食べるに際してもチヱツプトミカモイと唱え、汁を食するにも同じくチヱツプトミカモイと唱えている。それは何故かというと、前条に記したように、汁の実には大抵魚肉を用いることが基本であり、ラタネあるいは草などを入れるのは付け合せに過ぎないため、魚肉が主であるという考えに立って、同じくチヱツプトミカモイと唱えているのである。
* これだけではなく、食材として用いるもののすべてに対して、それがどんなものであれ、その食材の名称を上に唱え、何々トミカモイと唱えてから食事を行なうのが、アイヌの人々の慣習である。
一日に二度の食事のうち朝食は、
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第3巻, 28ページ, タイトル: |
| 本邦の時刻にいはんにハ、いつも四ツ時頃より九ツ
時頃に至る也、其ゆへは朝にとく起て其まゝ食
事するといふ事はあらす、いつれの業にても一般
の務をなして、それより朝の食事につく也、
是は男女ともにことなる事なし、たとえは男子
漁獵に出れは、女子も又家に在りてアツシにても
織るなといふ如きの事也、食事の時にあたりて
家中の者他に行て其座にあらされは、まつし
ハらくひかへて帰るをまち、もし帰る事の晩けれは、
その者の喰ふへき分を椀に盛りてそなへ置、
それより家中の者ミな食事をなすなり、
又食事の時外より人来る事あれは、其人数の
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わが国の時刻でいえば通常四ツ時頃から九ツ時頃までの間に行なわれる。つまり、朝早く起きて、何らかの一般的な作業を行い、その後に朝食をとることになるのである。
これは、男女ともに同様である。たとえば男子が漁に出れば、女子は家にあってアツシなどを織るなどといった具合にである。食事の時に際しては、家族の誰かが他所へ行っていてその座に居合わせなかった場合、まず暫くは帰宅を待ってみる。もし帰ってくるのが遅かった場合は、その者の食べる分を椀に盛って分けておいて、その後に家のもの皆が食事をとるのである。
また、食事のときに外から人が訪ねてきた場合には、その人数の |
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第4巻, 1ページ, タイトル: 蝦夷生計図説 チツフ之部上 四 |
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第4巻, 11ページ, タイトル: 舟敷の大概作り終りて木の精を祭る図 |
| 舟敷の大概つくり終りてより、其伐り
とりし木の株ならひに梢にイナヲを
さゝけて木の精を祭る事図の如し、其祭る
詞にチクニヒリカノヌウハニチツフカモイキ
ヤツカイウエンアンベイシヤムヒリカノイカシコレ
と唱ふ、チクニは木をいひ、ヒリカはよくといふ事、
ヌウハニは聞けといふ事、チツフは舟をいひ、
カモイは神をいひ、キは為すをいひ、ヤツカイは
よつてといふ事、ウエンアンベは悪き事を
いひ、イシヤムは無きをいひ、ヒリカは上に同し、
イカシは守護をいひ、コレは賜れといふ事にて、
木よく聞け、舟の神となすによつて悪事
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☆ 船体のおおよそを造り終わってから、その伐りとった木の株と梢にイナウを捧げて木の霊をお祭りすることは図にしめしたとおりである。その祈りことばは「チクニヒリカノヌウハニチツフカモイキヤツカイウエンアンベイシヤムヒリカノイカシコレ」と唱えるのである。その意味はチクニは木のことをいい、ヒリカはよくということ、ヌウハニは聞けということ、チツフは舟のことをいい、カモイは神をいい、キはするといい、ヤツカイはよってということ、ウエンアンベは悪いことをいい、イシヤムは無いということ、ヒリカは上と同じ、イカシは守護をいい、コレはしてくださいということであって、「木よ、よく聞いてください。あなたを舟の神とするので、悪いことが
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第4巻, 12ページ, タイトル: |
| 舟敷の大概つくり終りてより、其伐り
とりし木の株ならひに梢にイナヲを
さゝけて木の精を祭る事図の如し、其祭る
詞にチクニヒリカノヌウハニチツフカモイキ
ヤツカイウエンアンベイシヤムヒリカノイカシコレ
と唱ふ、チクニは木をいひ、ヒリカはよくといふ事、
ヌウハニは聞けといふ事、チツフは舟をいひ、
カモイは神をいひ、キは為すをいひ、ヤツカイは
よつてといふ事、ウエンアンベは悪き事を
いひ、イシヤムは無きをいひ、ヒリカは上に同し、
イカシは守護をいひ、コレは賜れといふ事にて、
木よく聞け、舟の神となすによつて悪事
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☆ 船体のおおよそを造り終わってから、その伐りとった木の株と梢にイナウを捧げて木の霊をお祭りすることは図にしめしたとおりである。その祈りことばは「チクニヒリカノヌウハニチツフカモイキヤツカイウエンアンベイシヤムヒリカノイカシコレ」と唱えるのである。その意味はチクニは木のことをいい、ヒリカはよくということ、ヌウハニは聞けということ、チツフは舟のことをいい、カモイは神をいい、キはするといい、ヤツカイはよってということ、ウエンアンベは悪いことをいい、イシヤムは無いということ、ヒリカは上と同じ、イカシは守護をいい、コレはしてくださいということであって、「木よ、よく聞いてください。あなたを舟の神とするので、悪いことが |
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第4巻, 22ページ, タイトル: |
| て見聞したる事にあらさる故しる
さす、後来たしかに見聞するの日に及んて記さんとす、後凡エトロフ・ラツコ
とふの事に至りては、ミな欠て録せさるものこのゆへとしるへし、
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親しく見聞したことではないのでここでは記さない。
のちに確実に見聞できる日がきたら記すことにしよう。この後、エトロフ島やラッコ島のことを記録していないのはそのためであることを知っておいてほしい。
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第4巻, 33ページ, タイトル: |
| 夷語に是をヒンラリツプと称す、ヒンは物のすき
まあるをいひ、ラリはふさくをいひ、プは器も
のをいふ、すきまをふさく器といふ事なり、
夷人の舟は釘を用ひす、ミな縄にて縫ひ
あハするゆへ、いつれ板と板とのあひたすき
まある事也、それを此図に出せる苔を下に置き、
その上に木をあて、縄にて縫ひ合る也、
苔は草とたかひ、物のすきまなとにあつる
にはいとやハらかにて、 本邦の工家に
用る巻桧皮<俗にまへはたといふ>と同しさまに用ひらるゝ
ゆへに、是をよしとする也、苔を夷語にムンと
称す、ムンはもと草の事なるを、夷人苔をも
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アイヌ語でヒンラリツプという。ヒンとは物に隙間があることをいい、ラリは塞ぐことをいい、プは器物をいう。「隙間を塞ぐ器物」ということである。
アイヌの舟は釘を用いず、すべて縄で縫い合わすので、どのみち板と板とのあいだに隙間ができるのである。それをここに図示した苔を下に置いてその上に木をあてて、縄にて縫い合わせるのである。苔は草と違って、物の隙間に詰めるのはとてもやわらかいので、日本の工芸家が使う巻桧皮<まきひわだ=俗に「まへはた」という>と同じように用いるので、そのすぐれていることがわかるのである。
苔をアイヌ語でムンと称する。ムンはもと草のことであったのを、アイヌの人びと苔も
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第5巻, 1ページ, タイトル: 蝦夷計図説 チツフ之部 五 |
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第5巻, 16ページ, タイトル: |
| 夷語にこれをワツカケプと称す、ワツカは水をいひ、
ケはとる事をいひ、フは器をいふ、水を取器といふ
事也、奥羽の海辺ならひに松前とふにて、
右の形ちしたるあかとりをへけと称す、是を
夷語に解するに、ヘは水をいひ、ケはとる事
にて、水とりといふ事也、水を夷語にヘとも
いひ、ワツカともいふ、今の夷人は専らワツカとのミいひて、ヘといふも
のは稀也、されとも二つのうちヘと称するは夷人の古語にして、
ワツカと称するは近き頃よりのことはなるよし、
老年の夷人はいひ伝へたり、是とふの事、
夷地にしてハ其古言を失ひ、奥羽ならひに
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アイヌ語でこれをワツカケプと称する。ワツカとは水のことをいい、ケはとるということをいい、フは物をいう。「水を取る物=あかとり」ということである。
奥羽の沿岸ならびに松前などでは図のような形のあかとりを「へけ」という。これをアイヌ語で解釈するとヘは水をいい、ケはとるということで「水取り」ということである。水をアイヌ語で「ヘ」といい、「ワッカ」ともいう。今のアイヌの人びとはワッカとのみいっていて、ヘというのは稀になっている。しかし、ふたつのことばのうち「ヘ」というのはアイヌ語の古語であって、ワッカというのは近年のことばであるとは老アイヌのいうことである。
このように、蝦夷地ではその古語を失い、奥羽や
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第5巻, 38ページ, タイトル: |
| 用ひしより、終に其法をは失ひし成へし、
今奥羽の両国松前とふにてハ、なを其法を
伝へて猟舩にはことーーく敷に右のイタシヤキ
チプを用ゆ、是をムダマと称す、ムタマはムタナの
転語にして、とりもなをさす棚板なき舟といふ心也
、
其敷に左右の板をつけ、夷人の舟と
ひとしく仕立たるをモチフと称す、モチフは
モウイヨツプの略にして、舟の事也、凡そ夷地
にしては舟の事をチプといふ事よのつねな
れとも、その実はモウイヨツプといへるが舟の
実称にして、チブといへるは略していふの詞なる
よし、老人の夷はいひ伝ふる事也、モウは乗る
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用いてから、ついに「無棚小舟」の製法は伝承されなくなったのである。今、奥羽の両国と松前などでは、まだその方法を伝えていて、漁船にはことごとく船体に右のイタシヤキチプを用いていて、これをムダマと称している。ムダマはムタナの転語であって、とりもなおさず「棚板なき舟」という意味である。
船体に左右の板をつけ、アイヌの人びとの舟と同様に作ったものをモチフという。モチフは「モウイヨツプ」の略語であって舟のことである。そもそも蝦夷地においては舟のことをチプということがあたりまえであるけれども、その実は「モウイヨツプ」というのが舟の実称であって、チプというのは略していうことばであるとは、老人のアイヌのいい伝えることである。モウは乗る
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第5巻, 45ページ, タイトル: |
| 蝦夷の地、松前氏の領せし間は、其場所ーーの
ヲトナと称するもの、其身一代のうち一度ツヽ
松前氏に目見へに出ることありて、貢物を献せし
事也、その貢物を積むところの舟をウイマム
チプと称す、其製作のさまよのつねの舟と替
りたる事は図を見て知へし、ウイマムは官長の
人に初てまみゆる事をいふ、
此義いまた詳ならす、追て考ふへし
チプは舟の事にて、官長の人に初てまミゆる
舟といふ事なるへし、老夷のいひ伝へに、古は
松前氏へ貢する如くシヤモロモリへも右の舩にて
貢物を献したる事也といへり、シヤモはシヤハクル
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蝦夷の地、松前氏が領していた間、場所場所のヲトナと称するものは、その身一代のうち、一度は松前の殿様に目見えに出て、貢物を献上するのである。その貢物を積む舟をウイマムチプという。その作り方は普通の舟とかわっていることは図を見ればわかるだろう。ウイマムというのは官長の人(役人のおさ)に初めてお目にかかることをいう。
この意味はまだよくわからない。改めて考えることとしよう。
チプは舟のことだから「官長の人に初めて目見える舟」ということである。
アイヌの故老がいいつたえるには、昔は松前の殿様に貢ぐようにシヤモロモ
シリへもウイマムチプで出かけ貢物を献上したのだという。シヤモというのはシヤハクル
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第6巻, 1ページ, タイトル: 蝦夷生計図説 アツシカル之部 六 |
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第6巻, 3ページ, タイトル: 衣服製作の総説 |
| 衣服製作の総説
凡夷人の服とするもの九種あり、一をジツトクと
いひ、二をシヤランベといひ、三をチミツプといひ、
四をアツトシといひ、五をイタラツペといひ、六をモウウリといひ、
七をウリといひ、八をラプリといひ、九をケラといふ、
シツトクといへるは其品二種あり、一種ハ 本邦より
わたるところのものにて、綿繍をもて製し、かたち
陣羽織に類したるもの也、一種は同しく綿繍
にて製し、形ち明服に類したるものなり、夷人の
伝言するところは、極北の地サンタンといふ所の人カラ
フト島に携へ来て獣皮といふ物と交易するよしを
いへり、すなはち今 本邦の俗に蝦夷にしきと
いふものこれ也、この二種の中、 本邦よりわた
るところのものは多してサンタンよりきたるといふ
ものハすくなしとしるへし、シヤランベといへるは
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衣服製作の総説
☆一般にアイヌの人びとが衣服としているものに九種類ある。一はジツトク、二はシヤランベ【サランペ:saranpe/絹】、三はチミツプ【チミ*プ:cimip/衣服】、四はアツトシ【アットゥ*シ:attus/木の内皮を使った衣服】、五はイタラツペ【レタ*ラペ?:retarpe?/イラクサ製の衣服】、六はモウウリ【モウ*ル:mour/女性の肌着】、七はウリ【ウ*ル:ur/毛皮の衣服】、八はラプリ【ラプ*ル:rapur/鳥の羽の衣服】、そして九はケラ【ケラ:kera/草の上着】である。
☆ジットクというものには二種類ある。一種は本邦より渡ったもので、錦で作られたもので、かたちは陣羽織に類するものである。いまひとつはおなじく錦で作られており、そのかたちは明の朝服に類するものである。アイヌの人びとの伝えていうには、極北のサンタン【サンタ:santa/アムール川周辺】というところの地に住んでいる人びとがカラフト【カラ*プト:karapto/樺太】島へ持ってきて、アイヌの人びとのもつ獣皮というものと物々交換するのであると。これがいま世間でいう「蝦夷にしき」なのである。この二種類のジットクのうち、わが国からわたったものが多く、サンタンから来たものはすくないと知っておくべきである。 |
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第6巻, 4ページ, タイトル: |
| 本邦よりわたるところのものにて、古き絹の
服なり、チミツブといへるも同しく 本邦より
わたるところの古き木綿の服なり、此三種の衣は
いつれも其地に産せさるものにて得かたき品ゆへ、
殊の外に重んし、礼式の時の装束ともいふへきさま
になし置き、鬼神祭礼の盛礼か、あるは
本邦官役の人に初て謁見するとふの時にのミ服用
して、尋常の事にもちゆる事はあらす、其中殊に
シツトクとシヤランベの二種は、其品も美麗なるをもて、
もつとも上品の衣とする事也、アツトシ、イタラツベ、モウウリ、
ウリ、ラプリ、ケラこの六種の衣はいつ
れも夷人の製するところのもの也、その中、モウウリ
は水豹の皮にて造りしをいひ、ウリはすへて獣皮
にて造りしをいひ、ラフリは鳥の羽にて造りしを
いひ、ケラは草にて造りしをいふ、この四種はいつれも
下品の衣として礼服とふには用る事をかたく禁
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第6巻, 5ページ, タイトル: |
| するなり、たゝアツトシ、イタラツベの二種は夷人の
製するうちにて殊に上品の衣とす、其製するさまも
本邦機杼の業とひとしき事にて、心を尽し力を
致す事尤甚し、此二種のうちにもわけてアツトシ
の方を重んする事にて、夷地をしなへて男女ともに
平日の服用とし、前にしるせし鬼神祭祀の時あるは
貴人謁見の時とふの礼式にシツトク、シヤランベ、チミツプ
三種の衣なきものは、ミな此アツトシのミを服用する事也、
其外の鳥羽・獣皮とふにて製せし衣はかたく禁
断して服する事を許さす、
凡この衣服の中、機杼より出たるをは尊ミ、鳥
獣の羽皮とふにて製したるを賤しミ、かつ
礼式ともいふへき時に服用する衣は製禁を
もふけ置く事なと、辺辟草莽の地にありてハ
いかにも尊ふへき事なり、其左衽せるをもて戎狄の
属といはん事、尤以て然るへからす、教といふ事のなき
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第6巻, 6ページ, タイトル: |
| 地なれは、其人から小児とことなる事なし、左手の
便なるものは左衽し、右手の便なるものは右衽
せるなるへし、すてに蝦夷のうちまれにハたれ
教るにもあらすして、右衽せるものもあるなり、
もし教化の明に開けんには、靡然として 本邦の人
物とならん事、何の疑かあるへき、
右九種の服のうち、其上下の品わかりたる事かく
の如し、今この書に其図を録せんとするに、九種の
うちジツトクは蝦夷錦と称して 本邦の人
熟知するところの物、シヤランベ、チミツプの二種ハすな
はち 本邦の服なるをもて、此三種の衣は
いつれも図をあらはすに及ハす、モウウリ、ウリ、
ラプリ、ケラ四種のものはいつれもたゝ鳥羽・獣
皮とふにて造れる事ゆへ、其製しかた別に
録すへきよふもあらす、こゝをもて唯其全備のさ
まを一種つゝ図にあらハせり、たゝアツトシの一種のミハ
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第6巻, 7ページ, タイトル: |
| 其造れるさまも殊に艱難にて、 本邦機杼
の業とひとしき事ゆへ、其製しかたの始終本末
子細に図に録せるなり、イタラツベといふもアツトシ
とひとしき物ゆへ、これ又委しく録すへき理
なりといへとも、此衣は夷地のうち南方の地とふにてハ造り
用る者尤すくなくして、ひとり北地の夷人のミ稀に
製する事ゆへ、其製せるさま詳ならぬ事とも
多し、しかれともその製するに用る糸は夷語に
モヲセイ、ニハイ、ムンハイ、クソウといへる四種の草を
日にさらし、糸となして織事ゆへ、其製方の始末
全くアツトシとことならさるよしをいへり、こゝをもて
此書にはたゝアツトシの製しかたのミを録して、
イタラツペのかたは略せるなり、
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第6巻, 8ページ, タイトル: アツカプの図 |
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第6巻, 9ページ, タイトル: |
| アツトシを製するには、夷語にヲピウといへる木の
皮を剥て、それを糸となし織事なり、またツキ
シヤニといへる木の皮を用る事あれとも、衣に
なしたるところ軟弱にして、久しく服用するに
堪さるゆへ、多くはヲビウの皮のミをもちゆる事也、
こゝに図したるところは、すはハちヲヒクの皮にして、
山中より剥来りしまゝのさまを録せるなり、是を
アツカフと称する事は、すへてアツトシに織る木の
皮をさしてアツといひ、カプはたゝの木の皮の事
にて、アツの木の皮といふ事也、此ヲビウといへる木は
海辺の山にはすくなくして、多く沢山窮谷の中に
あり、夷人これを尋ね求る事もつとも艱難の
わさとせり、専ら厳寒積雪のころに至りて、山
中の遠路ことーーくに埋れ、高低崎嶇たるところも
平になり歩行なしやすき時をまちて深山に入り、
幾日となく山中に日をかさねて尋る事也、其外
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第6巻, 11ページ, タイトル: アツヲンの図 |
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第6巻, 12ページ, タイトル: |
| 此図は剥来りしヲビウの皮を糸になさんとして、先温泉に
ひたしやはらかになすさま也、図のことく温泉の所に持行て、
浅瀬に皮を□し、うへに木をのせ流れさるよふになし、日数
四五日程もつけ置キ、其皮のよくやハらかになるを待て温泉より
出し、湯のあかをとくと洗ひ落して日に□し、是をアツヲン
といふ、アツはアツトシを織る木の皮をいひ、ヲンはやハらかになる事
をいひて、アツやハらかに成といふ事也、かくのことく温泉にひたし
日にさらして糸にさく計になしたるを、いつれの夷人も力の及ふ
限りハ貯へ置事、糧食の備をなし置と異なる事あらす、其皮を
やハらかになさんとするに、もし温泉なき地にてハ、止事を得すし
て常の池沼とふに□す事あれとも、皮のやハらきあしきゆへ
多くは是をなさす、遠方の地といへとも必す温泉の有
所に持行てひたす也、其辛苦せる事思ひはかるへし、すへて
皮を剥あつむるよりこれまてのわさハ夷人男女のわかち
なく、ともーーに為すといへとも、糸につくるより後の事ハ
女子の業にかきる事なり、
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第6巻, 13ページ, タイトル: アフンカルの図 |
| アフンカルといへるは、アフンは糸をいひ、カルは造る
事にて、糸を造るといふ事なり、是は前にいふ
如くアツの皮をよくーーやはらかになしてより、
麻を績する如くいつにもさきて次第につなき、
岐頭の木に巻つくる事図のことし、そのさまさなから
奥羽の両国にてしな太布を織る糸を績くとこと
なる事なし、
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第6巻, 14ページ, タイトル: |
| しな太布といふは、しなといへる木の皮にて織し
ものなり、是は奥羽の民家にて此布をもて
衣に製し、農務およひ力を労する業をなす時
に服するものなり、とりもなをさす今蝦夷の
人服用するアツトシは、此製の遺風を伝へたると
見ゆるなり、
凡衣服を製する業のうち、此糸を績事尤かた
き事にて、日かすを重ぬるにあらされは就しさる
ゆへ、昼夜のわかちなく、聊のいとまもすてをかす
して勤る也、時ありて旅行する事なとあれハ、
そのアツの皮を持行て夜々投宿のところおよひ
途中休息のところにても是を為す、其業を
勤るの心純一にして辛苦をかへりミさる事憐に
たへたり、
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第6巻, 19ページ, タイトル: アツトシカルヲケレの図 |
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第6巻, 20ページ, タイトル: |
| 是は糸を綜る事とゝのひてより織さまを図し
たるなり、アツトシカルといへるは、アツトシはすなハち
製するところの衣の名なり、カルは造る事をいひて、
アツトシを造るといふ事也、またアツトシシタイキとも
いへり、シタイキといふは、なを 本邦の語にうつと
いはんか如く、アツトシをうつといふ事なり、
本邦の語に、釧条の類を組む事をうつといへり、
其織る事の子細は、この図のミにしては尽し難き
ゆへ、別に器材の部の中、織機の具をわかちて委
しく録し置り、合せ見るへし、
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第6巻, 21ページ, タイトル: アツトシカルヲケレの図 |
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第6巻, 22ページ, タイトル: |
| 此図はアツトシを織りあけたるさま也、アツトシカル
ヲケレといふは、アツトシアルは前にしるせしと同しく、
ヲケレは終る事にて、アツトシ造る事終るといふ事也、
其織りあけたるまゝのアツトシをウセフアツトシといへり、
ウセフは純色といふか如き事にて、織りあけたるまゝの
アツトシといふ心なり、 本邦の語に、木綿の織りたる
まゝにて、何の色にも染さるを白木綿といふか如し、アツトシ
の織りあけたるさま図の如くに、下のかたの幅を狭くなし
たる事は、上の方は身衣となすへきつもりゆへ、幅を
広く織り、下の方は袖となすへきつもり故、幅を狭く
織るなり、その身衣幅と袖幅とに織りわくるさかひを
トシヤトイと称す、トシヤは袖をいひ、トイは切る事をいひ
て、袖を切るといふ事なり、又衣に製するところの
長短もかねて、著る人のたけをはかり定め置て、少しの
余尺もなきよふに織事なり、
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第6巻, 23ページ, タイトル: アツトシウカウカの図 |
| アツトシウカウカといへるは、ウカウカは縫ふ事を
いひて、アツトシを縫ふといふ事なり、是は前に
しるせる如く、著る人の形ちにより、たけの長短をハ
かねてよりはかり定めて織る事ゆへ、衣を縫んと
すれは、まつ初めにたけを定め置たるところより
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第6巻, 24ページ, タイトル: |
| 切り、またそれを二つにきりてこれを身衣になし、背の
ところは上より下まて縫ひ通す也、それより肩の
左右を弐寸五分ほとに切りて、其きりしところに木綿
にてもアツトシにても外のきれを入れて縫ひつくる
なり、其かたちまつ襟ともいふへきか如し、委しくハ
図を見てしるへし、すへてその縫ふといへるはアツトシ
の耳と耳とを合セ、糸をもて巻さまに縫ふ事也、
かくの如くに縫ふ事終りてより、背のところに木綿
の切をもて種々のかたちを刺繍する事、後の
全備の図のことし、
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第6巻, 25ページ, タイトル: トシヤウカウカの図 |
| 是は織りあけたるアツトシのうち、前にしるせし
ことく身衣を切りとりて、その残りたるところにて
図の如くなる筒袖を造るなり、これをトシヤウカ
ウカと称す、トシヤは袖の事にて、袖を縫ふと
いふ事なり、
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第6巻, 26ページ, タイトル: アツトシミアンベの図 |
| これは前にしるせし身衣と袖とを縫ひ合セ、背の
ところに刺繍の文をつけ、其外袖と裾との縁にもかさりを
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第6巻, 27ページ, タイトル: |
| なして衣の製全くとゝのひし図也、是をアツトシミアンベ
と称す、ミは著る事をいひ、アンベは物といふ事にて、アツトシ
の著るものといふ事也、すへて此衣は夷人の平日服するものなれ
とも、他の獣皮・鳥羽とふにて製したる衣とは格別に
たかひて、礼式の服のことくに尊ふ事也、ことに女子なとは
時により下に鳥羽・獣皮とふの衣を著する事ありても、
いつれその上にこのアツトシの衣を 本邦の
俗にかいとりともいふへきさまに打かけて服す、もし
しからすしてたゝ鳥羽・獣皮とふの衣のミを服する
をハ、甚の無礼となして戒る事なり、その厳密なる
事、女子衣服の製度ともいふへし、たゝ女子のミにあらす、
総説にもしるせし如く、男子といへともまた此衣を尊ミて、官
長の人にま見へおよひ、祭祀とふよろつ謹ミの時にのそミては、シツ
トク・シヤランベとふ装束ともいふへきものなきものは、ミなこの
アツトシのミを服用す、其外鳥羽・獣皮とふの衣はかたく
禁止して著用する事なし、
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第7巻, 6ページ, タイトル: チセチクニバツカリの図 |
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第7巻, 7ページ, タイトル: |
| ここに図したるところは、家を造るへき地をかんかへ
さためたるうへ、山中に入りて材木を伐り出し、梁・柱
とふのものを初め、用るところにしたかひて長短を
はかり、きりそろゆるさまなり、チセチクニパツカリと
いへるは、チセは家をいひ、チクニは木をいひ、パツカリは
度る事にて、家の木を度るといふ事也、其度ると
いへるも、夷人の境すへて寸尺の法なけれは、たゝ手と
指とにて長短を度る也、手をもて度るをチムといひ、
中指にてはかるをモウマケといひ、食指にてはかるを
モウサといふ也、此語の解未いつれも詳ならす、
追てかんかふへし、是はたゝ木をはかる事のミに
限るにあらす、いつれの物にても長短をはかるにハ
同しく手と指とを用てはかる事なり、
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☆ここに図示したところのものは、家を造る土地を考えて決めた上で、山中に入って材木を伐り出し、梁や柱などのものをはじめ、使うところの場所場所に従って長短を計って切り揃えているようすである。
チセチクニパツカリというのは、チセ【チセ:cise/家】は家の意味、チクニ【チクニ:cikuni/木】は木の意味、パツカリ【パカリ:pakari/計る】は計るという意味であって、家の木を測るということである。測るといっても、アイヌの国には総じて度量衡の規則などということがないため、もっぱら手と指とで長短を測るのである。手で測ることをチム【テ*ム:tem/両手を伸ばした長さ(1尋)】といい、中指で測ることをモウマケ【●?】といい、食指で測ることをモウサ【モウォ?:/人差し指と親指を広げた長さ】という。これらのことばの解釈はいまだどれも定かではない。改めて考えることにしよう。
これはただ木を測るだけではなく、どんなものでも長短を測るには同じように手と指を持って測るのである。
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第7巻, 23ページ, タイトル: キタイマコツプの図 |
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第7巻, 24ページ, タイトル: |
| 是は家のくミたてとゝのひてより、屋をふくさま也、
キタイマコツプといへるは、キタイは屋をいひ、マコツプは葺
事をいひて、屋をふくといふ事也、屋をふかんとすれは、蘆
簾あるは網の破れ損したるなとを屋をくミたてたる
木の上に敷て、其上に前に録したる葺草の中いつれ
なりともあつくかさねてふく也、こゝに図したるところハ
茅を用ひてふくさま也、この蘆簾あるハ網とふのものを
下に敷事ハ、くミたてたる木の間より茅のこほれ落るを
ふせくため也、家によりては右の物を用ひす、木の上を
すくに茅にてふく事もあれとも、多くは右のものを
下に敷事なり、
ここにいふ蘆簾は夷人の製するところのものなり、
網といへるも同しく夷人の製するところのものにて、
木の皮にてなひたる縄にてつくりたるものなり、
すへて夷人の境、障壁とふの事なけれハ、屋のミにかき
らす、家の四方といへとも同しくその屋をふくところの
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☆これは家の組み立てができてから屋根を葺くようすである。キタイマコツプというのは、キタイ【キタイ:kitay/てっぺん、屋根】は屋根をいい、マコツプ【アク*プ?:akup?/葺く】は葺くことをいうので、屋根を葺くということである。屋根を葺こうとするには、芦簾あるいは網の破れ損じたものなどを屋根を組み立てる木の上に敷いて、その上に前述の葺き草のうち、どれでも厚く重ねて葺くのである。ここに図示したのは茅を用いて葺いているようすである。
この芦簾あるいは網などのものを下に敷くことは、組み立てた木の間より茅が零れ落ちるのを防ぐためである。家によってはそれらを使わず、木の上に直に茅で葺くこともあるけれども多くは右にあげたものを下に敷くのである。
<註:ここでいう芦簾アイヌの人びとが造ったものである。網も同じくアイヌ製のもので
木の皮を綯って造ったものである。>
総じてアイヌの人びとの国には障子や壁などというものがないので、屋根ばかりではなく、家の四周さえも同様にその屋根を葺く茅で囲うの
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第7巻, 28ページ, タイトル: チセコツの図 |
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第7巻, 29ページ, タイトル: |
| 此図はシリキシナイの辺よりシラヲイの辺に
至るまての居家全備のさまにして、屋は茅を
もて葺さる也、是をキキタイチセと称す、キは
茅をいひ、キタイは屋をいひ、チセは家をいひて、茅の
屋の家といふ事なり、前にしるせし如く、屋をふく
にはさまーーのものあれとも、此辺の居家は専ら
茅と草との二種にかきりて用るなり、チセコツと
いへるは其家をたつる地の形ちをいふ也、チセは家を
いひ、コツは物の蹤跡をいふ、この図をならへ録せる事ハ、
総説にもいへる如く、居屋を製するの形ちはおほ
よそ三種にかきれるゆへ、其三種のさまの見わけやす
からんかためなり、後に図したる二種はミな此故と
しるへし、
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☆ この図はシリキシナイのあたりからシラヲイのあたりまでの家の完備したすがたで、屋根は茅で葺いてある。これをキキタイチセという。キ【キ:ki/カヤ】は茅をいい、キタイ【キタイ:kitay/てっぺん、屋根】は屋根をいい、チセ【チセ:cise/家】は家をいうから茅の屋根の家ということである。前述のように屋根の葺き方にはさまざまなものがあるが、このあたりの家はもっぱら、茅と草の二種だけを使うのである。
チセコツというのは、その家を建てる敷地のかたちをいう。チセは家をいい、コツ【コッ:kot/跡、くぼみ】はものの
あとかたをいう。この敷地の図を並べて記すのは総説でものべておいたように、家を造る際のかたちはだいたい三種類に限られるので、その三種類の形体を見分けやすくしようと考えたためである。後に図示した二種はミナこの理由によるのである。
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第7巻, 36ページ, タイトル: トツプラツプキタイチセの図 |
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第7巻, 37ページ, タイトル: |
| この図もまたビロウの辺よりクナシリ嶋に至る
まての居家全備のさまにして、屋を竹の葉にて
ふきたる也、これをトツプラツフキタイチセと称す、
トツプは竹をいひ、ラツプは葉をいひ、キタイチセは
前と同し事にて、竹の葉の屋の家といふ事也、
これ又木の皮と同し事にて、葺てより日かすを
ふれは竹の葉ミな枯れしほミて雨露を漏すゆへ、
やかて其上を草と茅にてふく也、この製又至て
堅固なりといへとも、力を労する事多きにより
て、造れるものまつはまれなりとしるへし、
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☆ この図もまた、ビロウのあたりからクナシリ島にいたる家屋完備のようすであって、屋根を竹の葉で葺いている。これをトツプラツフキタイチせという。トツプ【ト*プ:top/竹、笹】はたけをいい、ラツプ【ラ*プ:rap/竹などの葉】は葉をいう。キタイチセは前とおなじだから、竹の葉の屋根の家ということである。
これまた、木の皮とおなじで葺いてから日数がたてば、竹の葉はみんな枯れしぼんで雨露を漏らすようになるので、やがてその上を草と茅とで葺くのである。この造りはまたとても丈夫なのだけれども労力がたいへんなので、これを造っているものはまず少ないと理解してほしい。
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第7巻, 41ページ, タイトル: |
| プは夷人の物を入れ置ところにして、
本邦にいはゝ蔵の如きもの也、プといへるはもと器の
事にもいへり、たとへは矢を入る筒をアイイヨツプ
といふか如し、アイは矢をいひ、イヨツは入るをいひ、プは
器をいひて、矢を入る器といふ事也、又物といふ事にもきこ
ゆるにや、アイイヨツプといふを矢を入る物とも解すへし、然れ
とも物といふ語は別にベといふ事ある時は、いつれ器と
解するを得たりとす、しかれハ何のプ某のプといふときは
器の事になり、たゝプと計りいふときは蔵の事になる也、これは
蔵といへるも、もと物を入れをくところゆへ同しく
器の類といふ心にてかくいふと見ゆるなり、
プといへるの解は、委しく語解の部にミえたり、
すへて此等の事、夷人の境言語のかすすくなく
して、物をかねていふゆへなり、
言語のかす少して、言は一つにて物をかねていふ
といへる事は、アユシアマヽの部に委しくミえたり、
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☆プ【プ:pu/倉】はアイヌの人びとが物を入れておくところで、わが国でいう蔵のようなものである。プというのはもと器のことにもいう。たとえば、矢筒をアイイヨツプというように、アイ【アイ:ay/矢】は矢、イヨツ【オ:o/に入っている】は入れるをいい、プ【*プ:p/もの】は器をいって、矢を入れる器ということである。また、プは物ということという意味があるのかもしれない。アイイイヨツプを矢を入れる物とも解釈できる。しかしながら、物という語はほかにベ【ペ:pe/もの】という語もあり、どのみち器という意味に解釈することができる。だから、「何のプ」「だれそれのプ」というときは器のことになり、ただ、プとだけいうときは蔵のことになるのである。これは蔵といえども、もともと物を入れておくところなのでおなじく器のたぐいという意味あいがあってこのようにいうのであろう。
<註:プの解釈は、詳しくは「語解の部」にある。>
【●校訂者註:厳密に言うと、プpuと*プpは別の単語である。また、「もの」という意味の*プpとペpeは、直前の音が母音の場合は*プp、子音の場合はペpeのかたちをとる】
総じて、これらのようなことおこるのは、アイヌの人びとの国では語彙のかずが少ないので物を兼ねていうからである。
<註:語彙数が少ないのでことばひとつでいくつかの物をかねていうことは「アユシア
マヽの部」に詳しい。>
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第7巻, 44ページ, タイトル: |
| ふせく事なり、アツクウなといへる物を製して
鼠を捕る事もあり、
アツクウの図は、器財の部にミえたり、
しかれともいまた猫をやしなふ事流布なさる
ゆへ、心を労するのミにして物をそこなハるゝ事
多しと知へし、此板を床柱の上に置ところの
さまは前に出せる蔵の図を合セ見てしるへし、
|
防ぐのである。アツクウ【アック:akku/弓のついた罠】などを造ってねずみを捕らえることもある。
<註:アツクウの図は「器財の部」にある。>
しかしながら、いまだに猫を飼うことが広まっていないので、心労のわりには物の害が多いことを理解してほしい。この板を床柱の上に置いたところのようすは前に図示した蔵の図とあわせ見て理解してほしい。 |
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第8巻, 5ページ, タイトル: |
| たる也、是を行ふ事、たゝに刑罰の事のミとも
きこえす、時によりてハ其者を戒め慎ましめんか
ために行ふ事もありとミゆる也、後にしるせる
六種の法を見て知へし、
これを行ふの法、すへて六つあり、其一つは前に
いふ如く、悪行をなしたるものを打て其罪を督す也、
二つにハ夷人の法に、喧嘩争闘の事あれハ、負たる
者のかたよりあやまりの証として宝器を出す也、
是をツクノイと称す、
此宝器といへるは種類甚多して事長き故に、
こゝにしるさす、委しくハ宝器の部に見へたり、
其ツクノイを出すへき時にあたりて、ウカルの法を
行ひ拷掠する事あれハ、宝器を出すに及ハすして
其罪を免す事也、三つには人の変死する事有
とき、其子たる者に行ふ事あり、是ハ非業の死なる
ゆへ其家の凶事なりとて、其子を拷掠して恐懽
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たものである。これを行なうことはただ刑罰のため
だけとも解釈できない。時によってはその者を戒めてつつしませるために行なうこ
ともあるらしい。後述する六種の法を見て考えてほしい>
ウカルを行なうしきたりにはみんなで六種類ある。
そのひとつは前述のように、悪いことをしたものを打ってその罪をただすことである。ふたつめはアイヌの人びとのおきてに、けんかや争い事があれば、負けた方からお詫びのしるしとして宝物を差し出すことがある。これをツグノイ【トゥクナイ?:tukunay?/償い】という。
<註:この宝物というのは種類がとても多く、説明すると長くなるのでここには述べな
い。詳しくは「宝器の部」に記してあるので参照されよ。>
そのツグノイを差し出すに際して、ウカルを行なってむち打たれることがあれば、宝物を差し出す必要はなくして、その罪が許されるのである。みっつめは、人が変死したときにその子に行なうことがある。変死というのは非業の死なので、その家の凶事であるから、その子をむち打って怖れ
|
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第8巻, 6ページ, タイトル: |
| 戒慎せしめ、子孫の繁栄を祈る心なり、又其子
たる者親の非業の死をかなしミ憂苦甚しく、ほとんと
生をも滅せん事をおそれ、拷掠して其心気を励し
起さんかために行ふ事も有よし也、四つにハ父母の
死にあふ者に行ふ事有、是ハ其子たるものを強く
戒しめて父母存在せる時のことくに万の事をつゝしミ、
能家をさめしめん事を思ひて也、五つにハ流行の
病とふある時、其病の来れる方に草にて偶人を作り
立置て、其所の夷人のうち一人にウカルの法を行ひ
て、その病を祓ふ事有、六つにハ日を連て烈風暴雨等ある
とき、天気の晴和を祈て行ふ事有、此流行の
病を祓ふと天気の晴和をいのるの二つは、同しく拷掠
するといへとも、シユトに白木綿なとを巻て身の痛まさる
よふに軽く打事也、此ウカルの外に悪事をなしたる
者あれハ、それを罰するの法三つ有、一つにはイトラスケ、
二つにはサイモン、三つにはツクノイ也、イトラスケといふは、
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慎ませて子孫の繁栄を祈るこころなのである。また、その子は親の非業の死を悲しみうれうることがはなはだしく、ほとんど命を失わんばかりになることを心配して、むち打つことでかれの気持ちを奮い起こすために行なうこともあるという。
よっつめは父母の死にあったものに行なうことがある。これはその子どもを強く戒めて両親が生きていたときのように万事を慎んで、うまく家を守るようにと願ってのことである。いつつめは、伝染病が流行したときなど、伝染病が来る方向に草で作った人形を立ておいて、その村の住人のひとりにウカルを行なって、病気のお祓いをするのである。むっつめは連日、暴風雨が吹き荒れたとき、天候の回復を祈って行なうことがある。
この伝染病のお払いと、天気の回復を祈ることのふたつは、おなじむち打つといっても、シユト【ストゥ:sutu/棍棒、制裁棒】に白木綿などを巻いてからだが痛まないように軽く打つのである。
ウカルのほかに、悪いことをしたものがあれば、かれを罰する方法にみっつある。
ひとつはイトラスケ、二はサイモン【サイモン:saymon/神判、盟神探湯】、三はツクノイである。イトラスケというのは、
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第8巻, 7ページ, タイトル: |
| イトは鼻をいひ、ラスケは截るをいひて、鼻を截るといふ
事也、是ハ不義に女を犯したる者を刑する也、凡夷人の
境風俗純朴なるによりて、盗賊とふの事もすくなく、
其あやまりの証として宝器を出さしめ其罪を償ハする
なり、此三種の刑罰其義未詳ならさる事共多き
ゆへ、まつ其大略をこゝに附して記せる也、追て糺尋のうへ、
部を分ちて録すへし、
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イト【エトゥ:etu/鼻】は鼻をいい、ラスケ【ラ*シケ?:raske/を剃る?】は切るという意味だから、鼻を切るということである。これは不義密通で女性と関係もった男へのしおきである。おしなべて、アイヌの人びとの国ぶりは心が素直で人情が厚いので、盗賊などのことも少なく、まして殺人などはまれなので、刑罰の種類も多くはない。ここでいう鼻を切るなどはもっとも重罪にあたるのである。
サイモニというのは、このことばの解釈はまだよくわからないが、その方法は例えば罪を犯したものがあって、取調べをつくしてもあえてその罪を認めないとき、熱湯を用意してそれに手を入れさせて嘘か誠かただすのである。古い記録に武内宿祢がおこなったとある探湯の法というものであろう。この刑を行なうのは多く女性に対してである。
ツクノオイというのは、とりもなおさず、償うという意味で、前述のように、罪を犯したことがあればそのお詫びのしるしとして宝物を差し出させて罪を償わせるのである。この三種類の刑罰については、その意味がまだよくわからないことも多くあるけれども、まず、そのおおよそをここにあわせて記しておく。おって聞きただしたうえで、部を分けて記録することにしよう。
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