イナヲを製する図
いふ事のことーーくよりところありといふ事は
しらるへき事にこそ、
すへて夷人の言語のことーーく 本邦の語に
通する事は語解の部に委しく論したるゆへ、
其地のところにありてはミな欠て録さす、ひとり
此イナヲの部に限りては事により其語解を
なさすしては会すへからさる事多きか故に、
やむ事を得すして録せし也、此部の中、語解を
論せし事はミな此ゆへと知へし、
しらるへき事にこそ、
すへて夷人の言語のことーーく 本邦の語に
通する事は語解の部に委しく論したるゆへ、
其地のところにありてはミな欠て録さす、ひとり
此イナヲの部に限りては事により其語解を
なさすしては会すへからさる事多きか故に、
やむ事を得すして録せし也、此部の中、語解を
論せし事はミな此ゆへと知へし、
論拠のあるものだということを御理解いただけるはずである。
* 夷人の言葉がことごとく我が国の言葉に語源を有していることについての様々は、本稿「語解の部」に詳述してある。従って、本書の他の部分に関しては一々それを指摘することをしていない。但し、この「イナヲの部」に限っては、語源解釈をせずに論を進めることが困難だったため、やむを得ず触れた次第である。「イナヲの部」において語源解釈を論じているのはこうした理由からであることをご理解いただきたい。
* 夷人の言葉がことごとく我が国の言葉に語源を有していることについての様々は、本稿「語解の部」に詳述してある。従って、本書の他の部分に関しては一々それを指摘することをしていない。但し、この「イナヲの部」に限っては、語源解釈をせずに論を進めることが困難だったため、やむを得ず触れた次第である。「イナヲの部」において語源解釈を論じているのはこうした理由からであることをご理解いただきたい。







































