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第1巻, 37ページ, タイトル: |
| ハシとは木の小枝の事をいふ、すなハち
本邦にいふ柴の類にて、柴のイナヲといふ事也、
是は漁獵をせんとするとき、まつ海岸にて水伯
を祭る事あり、其時此イナヲを柴の□籬の如く
ゆひ立て奉くる事なり、其外コタンコルまたはヌシヤ
サンなとにも奉け用る事もあり、
コタンコル、ヌシヤサンの事は、カモイノミの部に
ミえたり、
右に録せし外、イナヲの類あまたありといへとも、
其用るところの義、未詳ならさる事多きか故に、
今暫く欠て録せす、後来糺尋の上、其義の
詳なるをまちて録すへし、 |
「ハシ」とは木の小枝のことである。即ち、わが国でいう柴の類であり、「柴のイナヲ」という意味である。漁猟をしようとするときには、まず海岸で水伯を祭ることをなす。その時に、このイナウを柴の□籬のように結い立てて奉げるのである。その他、コタンコルまたはヌシヤサンなどにも奉げ用いることもある。
* コタンコルやヌシヤサンのことについては、本稿「カモイノミの部」に記してある。
右に記した他にも、イナヲの類は沢山あるが、その用途の意義がいまだに詳らかではないものが多いので、とりあえず今は記さずにおくこととしたい。後日聞き取りの上、その意義が詳らかになるのを待って、記すことを期するものである。
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第2巻, 1ページ, タイトル: 蝦夷生計図説 トイタの部上 二 |
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第2巻, 6ページ, タイトル: |
| 食するに至るまてのわさことに心を用るなり、
其次第は後の図に委しく見へたり、是より
出たる糠といへともミたりにする事あらす、
其捨る所を家の側らに定め置き、ムルクタウシ
カモイと称して、神明の在るところとなし、尊ミ
おく事也、これまた後の図にミえたり、此稗を
奥羽の両国及ひ松前の地にてはまれに作れ
る者ありて、蝦夷稗と称す、外の穀類には
似す、地の肥瘠にかゝはらすしてよく生熟し、
荒凶の事なしといへり、其蝦夷稗と称する
事ハ 本邦の地には無き物にして、蝦夷
の地より伝へ来りたるによりてかく称すると
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食するまでの作法には、ことさら心を用いるのである。その作法の次第は、後掲の図に詳しい。彼らはそこから出る糠といえども粗末にすることはない。
棄てる場所を家の傍らに定めておき、ムルクタウシカモイと称し、神明のいますところとみなして、尊ぶのである。この様子も、後に掲げる図に見えるので参照されたい。
この稗についてであるが、奥羽の両国ならびに松前の地では稀に栽培する者がいて、「蝦夷稗」と称されて |
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第2巻, 10ページ, タイトル: ラタネの図 |
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第2巻, 11ページ, タイトル: |
| ラタ子と称する事は、ラタツキ子といへるを略せるの
言葉也、ラとはすへて食する草の根をいひ、タ
ツキ子とは短き事をいひて、根短しといふ事也、
これは此草の形ちによりてかくは称するなり、
是亦国の開けたる初め火の神降りたまひて、
アユシアマヽと同しく伝へ給ひしよし言ひ伝へて、
ことの外に尊み蝦夷のうちいつれの地にても作り
て糧食の助けとなす事なり、
但し、極北の地子モロ・クナシリ島とふの夷人作る
事のなきは、アユシアマヽに論したると同しき
ゆへとしるへし、
是を 本邦菜類のうちに考ふるに、すなハち
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ラタネとは、「ラタツキネ」という言葉を略した言葉である。「ラ」とは食用植物の根全般を指し、「タツキネ」は「短い」を表わし、あわせて「根が短い」という意味である。
この草がそういう形をしていることから付いた名称である。これもまた、国の開けし始め、火の神が降臨なさって、アユシアママと一緒にお伝えになったと言い伝えられており、ことのほか尊ばれている。この作物も、蝦夷地一円に栽培されており、糧食の一助として用いられている。
*但し、極北の地であるネモロ・クナシリ島等のアイヌの人々がこれを栽培することがないのは、アユシアママのところで論じたのと同じ理由であろう。
ラタネとは、
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第2巻, 12ページ, タイトル: |
| 蔓菁の一種なり、其食するに根葉ともに
用ゆる事全く蔓菁と異なる事あらすして、
味も又同し、夷人のいひ伝ふるところも、此菜ハ
よのつねの草とは事替りて、聊か毒の気なし
とて、疾病の人といへとも、此菜に限りてハ心を
おかすして食せしむる事也、すへて蝦夷のうち
極北の地にあらさるあひたは、土地の美悪にかゝ
ハらす作りたにすれはよく生熟する事也、多く
作る事もあらんには、荒凶のとしの備へになさん
も、便なるへし、
右の二種は蝦夷の闢けし初より自然に生し
たる所にして、外より伝ハり植たる物にハ
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我が国に生育する菜類のなかにある
「蔓菁」の一種である。食するときに根と葉とを共に用いることなど全く「蔓菁」と変わるところはなく、味もまた同じである。アイヌの人々の言うには、ラタネは通常の草とは異なり、少しも毒気がないとのことである。従ってこの菜に限っては、病人にも安心して食べさせているのである。蝦夷地のうち極北の地を除き、土地の美悪に拘らず、作りさえすればよく成熟するとのことである。よって多く作られた場合、凶作の年の備えとなり、便利なことである。
* 右に掲げたの二種の作物は、蝦夷地開闢以来の自生種であり、外部から伝来して植え付けられたものでは |
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第2巻, 13ページ, タイトル: |
| あらす、此うちアユシアマヽは穀類の一種にして、
ラタ子は菜類の一種なり、是によりて考ふるに、
後来に及ひ人民蕃湿し耕耘の力を致し、
稼穡の務を尽す事あるに至らんにハ、禾穀
菜草の類、森然として蝦夷の地に生せん事も
いまた知るへからす、此より後に図するところは、
此二種のものを作り立るより食するに
いたるまての次第、夷人ことに心を用る事を録
せるなり、 |
ない。このうちアユシアママは穀類の一種であり、ラタネは菜類の一種である。
このことから考えるに、将来蝦夷地に人民が殖え、農耕に力を尽くすことになった場合、禾穀・草菜の類が、この地に森の繁りのように生じてこないとも限らないであろう。なお、これから後に掲げる図は、この二種の作物を栽培するところから食するに至る迄の次第のうちから、アイヌの人々が殊に心を用いる場面を収録したものである。
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第2巻, 15ページ, タイトル: |
| 右二種のものを作る事をすへて称してトイタ
といふ、トイは土をいひ、タは掘る事をいひて、土を
掘るといふ事也、又一にはトイカルともいふ、トイは
上に同しく、カルは造る事をいひて、土を造ると
いふ事也、二つともに 本邦の語にしてはなを
耕作なといはんか如く、また場圃なといはん
ことし、
耕作と場圃とは殊にかハりたる事なるを、かく
いへるものは、すへて夷人の境、太古のさまにして
言語のかすも多からす、為すへき業も又少なし、
しかるゆへに此二種の物を作るか如き、其作り立る
の事業をもすへて称してトイタといひ、その
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右に掲げた二種の作物を作ることをトイタと総称する。「トイ」は土のことを、「タ」は掘ることを表わし、あわせて「土を掘る」という意味である。また別にトイカルともいう。「トイ」は土のことを、「カル」は造ることを表わし、あわせて「土を造る」という意味である。二つの語はともに、我が国の言葉で言えば、耕作といったり場圃といったりしている語を指しているようだ。
* 耕作と場圃という、異なった意味を持つ概念であるものを同じ語で表わしているのは、アイヌの人々の生活境遇が太古の状態にあるため、言葉の数が多くはなく、行なわれる生業活動もまた少なかったためである。
従って、この二種の作物を作るに際して、栽培作業の総称としてトイタの語を用い、
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第2巻, 16ページ, タイトル: |
| 作れる地にして場圃のさましたるところをも、又
称してトイタといふ也、凡これらの事、
本邦の事に比しては論し難きところなり、
これより後、其言葉は一にして、其事のたかひ
ある事は皆この故としるへし、
夷人のならひ、これらの事をなすに地の美悪を
えらふなといへる事はミえす、山中の不平なる
地あるは樹木の陰なとおもトイタとなして作れる
事なり、
但し、地をえらふ事のなしといへるはさたかなる
事にはあらす、外より打見たるさまハかく見
ゆれとも、すへて夷人の性は物事深くかんかへて
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栽培地である場圃様の所をもまた、トイタと称するのである。こうした事情につき、我が国における事例を挙げ、比較して論じるのは難しい。以下、本稿において同一語であるにもかかわらず、その示す意味が異なっているのは、皆こうした理由によるものと御承知置き願いたい。
アイヌの人々の慣習として、栽培をするに際しては土地の美悪を選ぶことはしない。山中の平らではない土地や樹木の陰になっている土地などをもトイタとなして栽培を行なっている。
* 但し、地を選ぶことがない、という見方は、実ははっきりしたことではない。傍から見ればそのように見えるのであるが、アイヌの人々は物事を深く考える
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第2巻, 17ページ, タイトル: |
| かろーーしき事をハせす、さらハ此等の事にも
別に意味のありてかくはなせるにや、其義
未詳ならす、追て糺尋の上録すへし、
是に図したるところは、トイタとなすへき
ためにまつ初めに其地の草をかるさま也、ムンカル
と称する事は、ムンは草をいひ、カルは則ち苅る
事をいひて、草をかるといふ事也、すへて
此のトイタの事は、初め草をかるより種を蒔き、
其外熟するに至て苅りおさむるとふの事
に至るまて、多くは老人の夷あるハ女子の
夷の業とする事也、
草をかるには先つ其ところにイナヲを奉けて
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軽々しい行いはしないものだ。そうしたことから考えるに、或いは別の意味があってトイタの地を定めているのかも知れず、その判断基準はいまだ詳らかではない。追って聞き取りの上、後考を期したい。
ここに掲げた図は、トイタとするために先ず初めにその地の草を刈る様子を示したものである。この作業をムンカルというのは、「ムン」が草を、「カル」が刈ることを表わし、あわせて草を刈ることを意味することによっている。トイタに関わる作業には、草を刈ることから始まり、種蒔きや稔ってからの収穫に至るまで、その多くに老人や女性が携わることとなっている。
* 草を刈るには、まず刈る場所にイナヲを捧げて
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第2巻, 20ページ, タイトル: |
| 刈りたる草をハ其所にあつめ置て図のことく
火に焼く也、これをムンウフイと称す、ムンは草を
いひ、ウフイは焼く事をいひて、草を焼といふ
事也、これは草をやきて地のこやしとなすと
いふにもあらす、唯かりたるまゝにすて置ては
トイタのさまたけとなる故にかくなす事也、
もし刈るところの草わすかなる事あれハ、
そのまゝ其地のかたハらにすて置く事も
あるなり、
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刈り取った草は、その場に集めて、図のように焼却を行なう。これをムンウフイという。「ムン」は草のことを、「ウフイ」は焼くことを表し、合わせて「草を焼く」という意味である。この行為は草を焼いて肥料をつくることを目的としたものではなく、ただ刈ったまま放置しておいてはトイタの妨げになるため行なわれるまでのことである。もし刈った草が僅かの量であった場合には、焼却せず、そのまま畑地の傍らに放置しておくこともある。 |
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第2巻, 22ページ, タイトル: |
| 草を焼てより其地の土を平らかにならす也、
是をトイラヽツカと称す、トイは前に同しく、
ラヽツカとはすへて物を平らかにする事をいひ
て、土をたいらかになすといふ事なり、夷人の境
釆槌とふの器もなけれハ、地をならすといへるも、
本邦にて隴畝なと耕作するか如きの事にハ非す、
唯其地にある木の根、あるは土くれとふの物
の種を蒔、さまたけとなるへき物を図のことく
タシロとふのものにてきり除くのミの事也、
タシロといへる物は 本邦にいふ庖丁の類也、
委しくは器材の部にミえたり、
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草を焼いてから、その場の土を平らに均す作業を行なう。これをトイララツカという。「トイ」は前に述べた通り、「ララツカ」は物を平らにすること一般を表し、合わせて「土を平らにする」という意味である。アイヌの人々は才槌などの器具を持たないため、土を均すといっても、わが国において田畑に畝をしつらえて耕作するような作業を行なうわけではない。ただその場にある木の根や土くれ等のなかで蒔く妨げとなるような物を、図に見えるようなタシロという用具で切り除くだけのことである。
*タシロというのは、わが国で言う包丁の一種である。詳しくは「器材の部」に述べてあるのでご参照ありたい。
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第2巻, 24ページ, タイトル: |
| 土をならす事終りて、それより種を蒔なり、
是をピチヤリパと称す、ピはすへて物の種を
いひ、チヤリパは蒔事をいひて、種をまくといふ
事也、凡トイタの事、地の美悪をえらふと
いへる事もミえす、又こやしなと用るといふ
事もなけれと、たゝこの種を蒔事のミ殊に
心を用ひて時節をかんかふる事也、その
時節といへるも、もとより暦といふ物もなけ
れは、時日をいつの頃と定め置といふ事には
あらす、唯ふりつミし雪の消行まゝ、山野
の草のおのつから生しぬるをうかゝひて
種を蒔の時節とはなす事也、
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土を均す作業が終わると、それより種蒔きとなる。これを「ピチヤリパ」という。「ピ」は種子一般を、「チヤリパ」は蒔くことを表し、合わせて種を蒔くことを意味する。全体的に見て、トイタの作業は、土地の美悪を選ぶということも確認されず、また肥料を用いるということもない。しかし、この作業、即ち種を蒔くことについてだけは、その時期をどうするかの判断に心を用いるのである。その時期であるが、もとより暦を持たないため、日時をいついつの頃とあらかじめ定めて置くわけではない。ただ降り積もった雪が消え行き、山野の草が自ずから芽吹いてくるのに接して、種を蒔く時節を見計らっているのである。 |
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第2巻, 29ページ, タイトル: テケヲツタセイコトクの図 |
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第2巻, 30ページ, タイトル: |
| 是はアユシアマヽ熟するの時に及て、その穂を
きらんかために手に貝をつけたるさま也、テケヲ
ツタセイコトクといへるは、テケは手の事をいひ、ヲツタ
は何にといふにの字の意なり、セイは貝をいひ、コト
クは附る事をいひて、手に貝を附るといふ事也、
これに用る貝は、夷語にビバセイといふ也、其を小刀
を磨する如くによくときて手に附る也、ヒバセイ
は別に貝類の部にくハしくミえたり、
凡穂をきるにはミなこれを用ひてきる事也、
決して小刀よふの物、すへて刃物を用ゆる事ハ
あらす、奥羽の両国の中まれにハ穂をきるに右の
如く貝を用ゆる事もあるよしをいへり、
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これは、アユシアママが稔るに及んで、その穂を切るために手に貝をつけた様子である。テケヲツタセイコトクというのは、「テケ」は手を、「ヲツタ」は「~に」という語を、「セイ」は貝を、「コトク」は「付ける」をそれぞれ表し、合わせて「手に貝を付ける」という意味である。
* これに用いられる貝を、アイヌ語でビバセイという。この貝を、小刀を研磨するようによく研いで手に装着するのである。ビバセイについては、別記「貝類の部」に詳細である。
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第3巻, 1ページ, タイトル: 蝦夷生計図説 トイタ之部下 三 |
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第3巻, 3ページ, タイトル: プヲツタシツカシマの図 |
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第3巻, 4ページ, タイトル: |
| 是は剪り採りし穂を収め置事をいふなり、
フヲツタシツカシマといへるは、フとは 本邦にしてハ
蔵なといへる物のことく、物を貯へ置ところ
をいふ、
其造れるさまも常の家とは事替りて、
いかにも床を高くなして住居より引はなれたる
所に造り置事也、委しくハ住居の部に
ミえたり、
ヲツタは前にいふ如くにの字の意也、シツカシマとハ
大事に物を収め置事をいひて、蔵に収め置と
いふ事也、其収め置にはサラニツプといへる物に
入れて置も有、あるは俵の如くになして入れ置
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これは、刈り取った穂を収め置くことをいう。フヲツタシツカシマという語のうち、「フ」はわが国でいうところの蔵のように、物を貯え置く場所を表す。
* その建築形態は通常の家とは異なり、何とか工夫して床を高くしつらえ、住居から引き離れた場所に建てられるものである。詳しくは本稿「住居の部」に記してある。
「ヲツタ」は前述の通り「~に」という語を表す。「シツカシマ」とは大事に物を収め置くことをいう。合わせて「蔵に収め置く」という意味である。収めておくに際しては、サラニツプという物に入れておくことがある。また、俵のようにこしらえて入れておく
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第3巻, 6ページ, タイトル: |
| 山野には昼の間□蝣あるは蚊なとの類
多して手足をさし、疥瘡のことくになり
て、其辛苦をきハむる事いふはかりなし、
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山野には昼の間はブヨや蚊などの類が多く、手足を刺し、カサブタのようになってしまう。その辛苦は言葉では言い表せないほどなのである。 |
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第3巻, 9ページ, タイトル: ユウタの図 |
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第3巻, 10ページ, タイトル: |
| ユウタとは舂事をいふ也、ヒロウなといへる所の
辺より奥の夷地に至りてはウタとも称する
なり、是は前の図のことく囲炉裏の上にてほし
たる穂をそのまゝ臼にいれてつく事なり、
其つく所は常に小棟屋にて為す事多し、
小棟屋は夷語にチセセムといひて、住居の側に
立てつきたる小き家をいふ也、
晴天の日なとは、家の外に出てつく事も
ある也、 |
ユウタとは、搗くことを意味する。ヒロウ(広尾)とかいう所の辺りより奥の蝦夷地に行くと、ウタとも称している。これは、前の図に見えるような囲炉裏の上で干した穂を、そのまま臼に入れて搗くことを指している。これを搗く場所であるが、常に小棟屋で行なわれることが多い。
* 小棟屋とは、アイヌ語でチセセムといって、住居のそばに建てられる小さな家のことである。
晴天の日などは、屋外に出て搗かれることもある。 |
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第3巻, 14ページ, タイトル: |
| ムルとは糠の事をいひ、ヲシヨラとは捨る事を
いひて、糠をすつるといふ事也、またムルクタと
も称す、是は簸事終りてより、その出たる
糠を捨るさま也、此糠をすつるにハことに意味
ある事にて、委しくハ後の図にミえたり、
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「ムル」とは糠を、「ヲシヨラ」とは捨てることを表し、合わせて「糠を捨てる」という意味である。また別にムルクタともいう。この図は、箕を用いて籾殻をあおり屑を取り除く作業を終えた後、その際に出た糠を捨てる様子である。糠を捨てることは、大変意味のある行為なので、次の図に詳しく示しておいた。
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第3巻, 15ページ, タイトル: ムルクタウシウンカモイの図 |
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第3巻, 16ページ, タイトル: |
| ムルクタウシウンカモイと称する事は、ムルクタは前に
いふか如く糠を捨る事をいひ、ウシは立事を
いひ、ウンは在る事をいひ、カモイは神をいひて、
糠を捨る所に立て在る神といふ事也、是はアユウシ
アマヽとラタ子の二種は神より授け給へるよし
いひ伝へて尊ひ重んする事、初めに記せる如く
なるにより、およそ此二種にかゝはりたる物は
聊にても軽忽にする事ある時は、必らす神の
罰を蒙るよしをいひて、それより出たる糠と
いへとも敢て猥りにせす、捨る所を住居のかたハらに
定め置き、イナヲを立て神明の在る所とし、尊ミ
をく事也、唯糠のミに限らす、凡て二種の物の
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ムルクウタウシウンカモイとは、「ムルクタ」は前に述べた通り糠を捨てることを、「ウシ」は立てることを、「ウン」は「在る」という語を、「カモイ」は神をそれぞれ表し、合わせて「糠を捨てる所に立ててある神」という意味である。これについてであるが、アユウシアママとラタネの二種類の作物が神から授けられ給うたものと言い伝えて尊び重んじられていることは前に記した通りである。
そして、この二種類の作物に関わる物は、どんなものであっても軽率に扱えば必ず神罰を蒙るといい慣わしている。よってそれらから出た糠といえどもみだりには扱わず、捨てるところを住居の傍らに定めて置き、イナヲを立て、神明のいます所として尊んでいるのである。これは糠に限っての扱いではない。この二種類の作物の |
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第3巻, 19ページ, タイトル: |
| 是はアユウシアマヽを烹るさまを図したる也、
アマヽシユケといふは、アマヽは穀食の事をいひ、シユケ
とは烹る事をいひて、穀食を烹るといふ事也、
穀食は炊くともいふへきを、烹るといへるものは、夷
人の境、未飯に為す事をハしらて、唯水を多く
入れ粥に烹る計りの事なるゆへ、かくは称する
なり、又ラタ子を食するは、汁に烹て喰ふ事也、
其食せんとする時、トイタに植をきたるを掘り
とり来りて、
ラタ子はよく熟するといへとも、一時に残らす掘
とりて貯へ置といふ事はせす、植たるまゝにて
トイタにをき、食するたひことに掘り出して用ゆる
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この図は、アユシアママを煮る様子を描いたものである。アママシユケとは、「アママ」が穀物のことを、「シユケ」が煮ることを表し、合わせて「穀物を煮る」という意味である。
穀物であるから「炊く」というのが通常であろうところを「煮る」といっているのは、アイヌの人々の住む地域では、いまだに穀物を飯とすることを知らず、ただ水を多く入れ粥として煮るのみであることによる。また、ラタネは、汁に入れて煮て食する。
ラタネを食べようとするときには、トイタに植えておいたものを掘り取ってきて、
* ラタネは、よく熟した場合でもいっぺんに残らず掘り取って貯えておくようなことはしない。植えたままでトイタに放置しておき、食する度ごとに掘り出して用いる
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第3巻, 20ページ, タイトル: |
| なり、但し寒気の甚しくして土地の氷れる
時に至れは、やむ事を得すしてミな掘り出して
貯へ置く也、
それを根菜ともにきりて、魚の肉と同しく鍋に
入れ、水をもて少しく塩けの有よふに烹て
食する也、是をラタ子ヲハワと称す、ヲハワトは
汁の事をいひて、ラタ子を入れたる汁といふ事也、
すへて汁の実に魚を用ゆる事、夷人の常
食にて、ラタ子は其助けに用ゆる也、然るゆへに、
いつれ魚と雑へ烹る事にて、ラタ子計り烹ると
いふ事ハあらす、唯根の格別に大なるは、湯煮
になして食事の外に喰ふ事あり、
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のである。
そして寒気が甚だしくなり、地面が凍ってしまうような時に至り、やむを得ず皆掘り出して貯え置くのである。
根と葉を取り除いた上で、それを魚の肉と一緒に鍋に入れ、水により少々塩気がきくように煮て、食するのである。この料理をラタネヲハワという。「ヲハワ」とは汁のことを表し、「ラタネを入れた汁」という意味である。
* 概ねにおいて汁の実に魚を用いるのがアイヌの人々の常食であり、ラタネは付け合わせとして用いられる。従って、魚に交えて煮られるものであり、ラタネ単独で煮られるということはない。ただし、格別に大きな根は、そのまま茹でて食事とは別に食されることがある。
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第3巻, 21ページ, タイトル: |
| 本邦にいはんには、なを菓子なとに用ゆるか如し、
其汁の実の助となす物は、ラタ子の外にも
海苔あるは草とふを用ゆる事有、其草のかす
又多し、委しくは食草の部にミえたり、
右のうちアユウシアマヽは 本邦の事に
比していはんには、なを飯の如く、ラタ子はなを
菜汁とふの如き物なれとも、夷人の習ひ然る
事にさたまりたるにハあらす、二つともにいつれも
糧食となす事也、すへて此等の類の飲食に
かゝはりたる事は、専ら女の夷人の業となす事、
本邦にことなる事あらす、其食するさまの
委曲は後の図にミえたり、
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わが国でいうと、ちょうど菓子などとして用いるようなものである。なお、汁の実のとして付け合わされるものには、ラタネの他に、海苔や草などが挙げられる。その草の種類は少なくない。詳しくは、本稿「食草の部」に記されている。
二種の作物のうちアユシアママは、わが国でいうならば飯のようなもので、ラタネは同じく菜汁のようなものといえる。しかし、アイヌの人々の流儀では、そのように定まっているわけではない。両者ともに等価の糧食としているのである。なお、こうした飲食に関わる作業が専らアイヌ女性の領分であることは、わが国のそれと同様である。食事の様子の詳細については、次に掲げた図に示した通りである。
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第3巻, 27ページ, タイトル: |
| 尊ミ拝するの詞なるよし夷人いひ伝へたり、此中
魚を喰ふにもチエツプトミカモイと唱へ、汁を喰ふ
にもまた同しくチエツプトミカモイと唱ふる事は、
前の条にしるせし如く、汁の実はいつれ魚肉を
用ゆる事、其本にして、ラタ子あるは草とふを
入る事はミな其助けなるゆへ、魚肉を重となすと
いふのこゝろにて、同しくチエツプトミカモイと唱ふる
なり、
これのミにあらす、すへて食するほとの物ハ何に
よらす其物の名を上に唱へ、某のトミカモイと
唱へて食する事、夷人の習俗なり、
一日に両度つゝ食するうち、朝の食は
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拝むために唱えられるのが、
この詞なのだそうだ。さてその詞についてであるが、魚を食べるに際してもチヱツプトミカモイと唱え、汁を食するにも同じくチヱツプトミカモイと唱えている。それは何故かというと、前条に記したように、汁の実には大抵魚肉を用いることが基本であり、ラタネあるいは草などを入れるのは付け合せに過ぎないため、魚肉が主であるという考えに立って、同じくチヱツプトミカモイと唱えているのである。
* これだけではなく、食材として用いるもののすべてに対して、それがどんなものであれ、その食材の名称を上に唱え、何々トミカモイと唱えてから食事を行なうのが、アイヌの人々の慣習である。
一日に二度の食事のうち朝食は、
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第4巻, 7ページ, タイトル: |
| 山中に入り敷となすへき良材を尋ね求め、
たつね得るにおよひて、其木の下に至り、
図の如くイナヲをさゝけて地神を祭り、その
地の神よりこひうくる也、その祭る詞に、
シリコルカモイタンチクニコレと唱ふ、シリは地を
いひ、コルは主をいひ、カモイは神をいひ、タンは
此といふ事、チクニは木をいひ、コレは賜れといふ
事にて、地を主る神此木を賜れといふ事也、
この祭り終りて後、其木を伐りとる事図の
如し、敷の木のミに限らす、すへて木を伐んと
すれハ、大小共に其所の地神を祭り、神にこひ請て
後伐りとる事、是又夷人の習俗なり、
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☆ 山中にはいって船体となる良材をさがして歩き、それが見つかったので、その木の下へ行って、図のように木にイナウを捧げて地の神さまをお祭りし、その神さまから譲りうけるのである。その祈りことばは「シリコルカモイタンチクニコレ」と唱えるのである。シリは地をいい、コルは主をいい、カモイは神をいい、タンは此ということ。チクニは木をいい、コレは賜われということであって、「地をつかさどる神さま、この木をくださいな」ということである。
この祭りが終わったあとで、その木をきりとる様子は図に示した。船体の木ばかりではなく、どんな場合でも木を伐ろうとするときは大小の区別なくそのところにまします地の神をまつって、神さまにお願いしたのちに伐採するのはアイヌの人びとの習慣なのである。
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第4巻, 19ページ, タイトル: |
| これは敷の初めて成就したる処也、
これより次第に後の図に出せる板等を
あつめて舟の製作にかゝる也、此敷は
夷語にイタシヤキチフと称して、丸木舟と
同しさましたれとも、また説ある事なり、
後の川を乗る舟とならへ図して委しく
論したり、合せ見るへし、
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これは船体がはじめてできあがったところである。これからだんだんあとのほうの図で示したいたなどを集めて舟の製作に取りかかるのである。船体はアイヌ語でイタシヤキチフといって、丸木舟と同じ形をしているけれども、さらに説明することがある。のちに川舟とともに図示して詳しく説明してあるのであわせて見てほしい。
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第4巻, 27ページ, タイトル: |
| 夷語にチプラプイタと称す、チプは舟をいひ、ラプは羽をいひ、イタは板の事にて、舟の羽板といふ事なり、 |
アイヌ語でチプラプイタという。チプは舟をいい、ラプは羽をいい、イタは板のことで、「舟の羽板」ということである。 |
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第4巻, 29ページ, タイトル: |
| 夷語に是をナムシヤムイタと称す、ナムとは舳を
いひ、シャムは出るをいひ、イタは板の事にて、
舳に出る板といふ事なり、
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アイヌ語でナムシヤムイタという。ナムとは舳をいい、シャムは出ることをいい、イタは板のことをいって、「舳に出る板」ということである。 |
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第4巻, 31ページ, タイトル: |
| 夷語に是をウムシヤムイタと称す、ウムは
艫をいひ、シヤムイタは前に同し事にて、
艫に出る板といふ事、
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イヌ語でウムシヤムイタという。ウムは艫をいい、シヤムイタは前と同じで「艫に出る板」ということ。 |
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第5巻, 4ページ, タイトル: |
| 舟の製作が完全に終ってから、図のようにイナヲを舳に立てて、舟神を祭るのである。舟神は、今、日本の船乗りのことばで舟霊(ふなだま)というものと同様である。それを祈ることばに「チプカシケタウエンアンベイシヤマヒリカノイカシコレ」という。
チプは舟をいい、カシケタは上にということ、ウエンは悪いことをいい、アンベは有ることをいい、イシヤマは無いということ、ヒリカは良いということ、イカシは守ることをいい、コレは賜れということで、「舟の上で悪いことがあることなくよく守り賜え」ということである。この舟神に祈ることはただ、船上での安全を祈願するだけではない。新しく作る
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舟の製作全く整ひて後、図の如くイナヲ
を舳に立て舟神を祭るなり、舟神は今
本邦舩師の語に舟霊といふか如し、其
祈る詞に、チプカシケタウエンアンベイシヤマヒリ
カノイカシコレと唱ふ、チプは舟をいひ、カシケタは
上にといふ事、ウエンは悪き事をいひ、アンベは
有る事をいひ、イシヤマは無き事をいひ、
ヒリカはよきをいひ、イカシは守護をいひ、
コレは賜れといふ事にて、舟の上悪き事
ある事なくよく守護を賜へといふ
事なり、此舟神を祈る事ハ、唯舟上の
安穏を願ふのミにあらす、新たに造れる
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第5巻, 6ページ, タイトル: タカマヂの図 |
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第5巻, 7ページ, タイトル: |
| 図の如くに木を製し、舟の左右の縁に
とち付てこれにカンヂといへる物をさしこ
ミて舟をこく、
カンヂの図後に見へたり、
是をタカマヂと称す、タカマは跨く事をいふ、
ヂはすへて小なる物の高く出たるは乳の
如くなるをいふ、此タカマヂと称する事、其義
いまた詳ならす、夷人のいふところは、舟を
こくにあはら木のある舟はそれに左右の
足をふミあて、左右のタカマヂにカンヂをさし
こミて、跨り居てこぐ、あばら木のなきハ舟
底に横木をいれ、それに足をふミかけ跨り
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図のように木で作り、舟の左右の縁に綴じつけて、これにカンヂという物を挿し込んで舟を漕ぐ。
<註:カンヂの図はのちに出している>
これをアイヌ語で「タカマヂ」と称する。タカマは跨くことをいう。ヂはとは小さなものが高く突出して乳のようになっているものをいう。これをタカマヂということの意味はまだよくわからない。アイヌの人びとがいうには、「あばら木」のある舟はそこに両足を広げて踏みあてて、左右のタカマヂにカンヂを挿し込んで漕ぐ。「あばら木」のない舟は舟底に横木をいれてそれに両足を広げて踏み
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第5巻, 8ページ, タイトル: |
| 居てこぐ、何れまたかる所の左右の
ふちに乳の如く高く出たるもの故、ま
たがる乳といふ心にてタカマヂと唱ふるよしなり、
されとも此義さたかなる解とハおも
はれす、追て考ふへし、
|
あてて漕ぐ。
いずれにしてもまたがるところの左右のふちに乳のように高く出ているものなので、またがる乳というほどの心でタカマヂというのであると。しかし、この意味も確かなものとは思われないので追って考えることにしよう。
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第5巻, 10ページ, タイトル: |
| 是をカンヂと称し、左右のタカマヂにさし
こミて舟をこぐ、カンヂと称する事其義
未た詳ならす、考ふへし、たゞし奥羽の
両国ならびに松前とふの猟船に此具を
用るもありて、くるまかひといふ、これハその
形ちかひに似て、左右の手にてまはしーーー
水をこぐ事、車のめくるか如くなる故、
かくはいへる也、
|
これをカンヂと称して、左右のタカマヂに挿し込んで舟を漕ぐ。カンヂと称することの意味はまだはっきりとはわからない。考えておくことにしよう。ただし、奥羽の両国と松前などの漁船にはこのような道具を用いるものがあり、それをくるまかい(車櫂)という。これはその形がかい(櫂)に似ていて左右の手で回すように漕ぐようすが、車が回るようなのでこの名がある。
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第5巻, 21ページ, タイトル: |
| 夷語にこれをカイタと称す、三種ある事
図のことし、カイタの語解しかたし、追て
考ふへし、
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アイヌ語でカイタという。図のように三種類ある。カイタの語を解すことはむつかしい。追って考えることとしよう。
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第5巻, 22ページ, タイトル: シヨイタの図 |
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第5巻, 23ページ, タイトル: |
| シヨは座する事をいひ、イタは板の事にて、
座する板といふ事也、是を舟敷の上に
横に入れ、舟をこく時足を左右のあハら木に
ふミかけ、腰を此板に掛てこぐ也、
右七種の具は、舟の大小によりて製作も
また大小あり、此具備りてより初て舟に
乗る事、後の図のことし、
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シヨは坐ることであり、イタは板のことで、「坐る板」ということである。
これを船体のなかに横に入れて、足を左右のあばら木に踏み掛けて腰をこの板におろして漕ぐのである。
<註:以上の七種類の器具は舟の大小によりまた作りかたにも大小があ
る。この器具がすべて備わってはじめて舟にのることができる。
そのようすはのちの図に出しておいた>
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第5巻, 35ページ, タイトル: イタシヤキチプの図 |
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第5巻, 36ページ, タイトル: |
| 是は前に出せる舟敷の事也、夷語に
イタシヤキチプと称するは、イタは板をいひ、シヤ
キは無きをいひ、チプは舟の事にて、板なき
舟といふ事也、もと舩の敷なるをかくいふ
ものは、丸木をくりたるまゝにて左右の板を
付す、夷人河を乗るところの舟とことならさる故、
時によりては其まゝにて川を乗る
事も有ゆへにかくはいえるなり、万葉集に
棚なし小舟といへるはこれなるにや、今に
至りて舩工の語に、敷より上に付る板を
棚板といふ、さらは無棚小舟は棚板なき舟と
いふの心なるへし、今 本邦の舩の
|
これは前述した船体のことである。アイヌ語でイタシヤキチプというのは、イタは板のことをいい、シヤキは無いということ、チプは舟のことであって、「板の無い舟」ということである。もともと船体であるものをこのようにいうのは、丸木を刳りぬいたままで左右の板をつけず、アイヌの人びとが川で用いるところの舟と変らないし、場合によっては、そのままで川で乗ることもあるのでこのようにいうのである。
万葉集に「棚なし小舟」というのはこれではなかろうか。現在の船大工のことばに、船体より上につける板を棚板という。それならば「無棚小舟」は「棚板なき舟」といういみであろう。今、日本の船の
|
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第5巻, 37ページ, タイトル: |
| 製作にかゝる敷の法を用ひさるはいつの頃より
にか有けん、カシキヲモキなといふ事の
舩工ともの製作に初りしより、
カシキといへるもヲモキといへるも、少し
つゝ其製にかハりたる事ハあれとも、
格別にたかふところは非す、いつれも敷を
厚き板にて作り、それに左右の板を釘
にて固くとちつけて、本文にいへるイタシ
ヤキチプの如くになし、それより上に左右の
板を次第に付仕立る也、此製至て堅固也、
今の舩工の用る敷の法ミなこれ也、
其製の堅固なるを利として専らそれのミを
|
製作に、このような船体を用いなくなったのはいつの頃からであろうか。
カシキ、ヲモキなどというものが船大工たちの製作にはじまってから、
<註:カシキというものも、ヲモキというものも、少しずつその製法に
変化はあるけれども、格別の違いはない。いずれも船体を厚い板で
作り、それに左右の板を釘で固く綴じつけて、本文で述べたイタ
シヤキチプのようにして、それより上に左右の板をだんだんに付
けていって仕立てるのである。この製法はとても堅固である。
今の船大工が用いる船体の製法はみなこの方式である。>
その製法の堅固であることを利として専らその製法ばかりを
|
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第5巻, 38ページ, タイトル: |
| 用ひしより、終に其法をは失ひし成へし、
今奥羽の両国松前とふにてハ、なを其法を
伝へて猟舩にはことーーく敷に右のイタシヤキ
チプを用ゆ、是をムダマと称す、ムタマはムタナの
転語にして、とりもなをさす棚板なき舟といふ心也
、
其敷に左右の板をつけ、夷人の舟と
ひとしく仕立たるをモチフと称す、モチフは
モウイヨツプの略にして、舟の事也、凡そ夷地
にしては舟の事をチプといふ事よのつねな
れとも、その実はモウイヨツプといへるが舟の
実称にして、チブといへるは略していふの詞なる
よし、老人の夷はいひ伝ふる事也、モウは乗る
|
用いてから、ついに「無棚小舟」の製法は伝承されなくなったのである。今、奥羽の両国と松前などでは、まだその方法を伝えていて、漁船にはことごとく船体に右のイタシヤキチプを用いていて、これをムダマと称している。ムダマはムタナの転語であって、とりもなおさず「棚板なき舟」という意味である。
船体に左右の板をつけ、アイヌの人びとの舟と同様に作ったものをモチフという。モチフは「モウイヨツプ」の略語であって舟のことである。そもそも蝦夷地においては舟のことをチプということがあたりまえであるけれども、その実は「モウイヨツプ」というのが舟の実称であって、チプというのは略していうことばであるとは、老人のアイヌのいい伝えることである。モウは乗る
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第5巻, 42ページ, タイトル: |
| これ俗にいふ丸木舟の事也、製作すること
イタシヤキチプとことなる事なし、形ちの小し
くたかひたるハ、図を見て考ふへし、二種の中、
前の図は流の緩き川ならひに沼とふを乗る
舟なり、後の図は急流の川をのり、または
川に格別の高底ありて水の落す事飛泉の
如くなるところをさかさのほる事とふある時、
水の入らさるかために、舟の舳に板をとち付たるさまなり、
|
これは俗にいふ丸木舟のことである。製作する方法はイタシヤキチプとことなることはない。形が少しく違っていることは、図を見て考えてほしい。二種類の中、前の図は流が緩い川ならひに沼などで乗る舟である。後の図は急流の川で乗ったり、または川にとくに高低があって、水が落ること飛泉のようなところをさかのぼることなどがある時、舟に水が入らないようにするために、舳に板を綴じつけたところである。 |
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第5巻, 48ページ, タイトル: ナムシヤムイタの図 |
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第5巻, 49ページ, タイトル: ウムシヤムイタの図 |
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第5巻, 51ページ, タイトル: |
| 三種の中、ナムシヤムイタとウムシヤムイとハ、前に
出せるとことならす、トムシの義いまた詳ならす、
追て考ふへし、ウヘマムチプに用る此よそをひの
三種は、破れ損すといへともことーーく尊敬して
ゆるかせにせす、もし破れ損する事あれは、
家の側のヌシヤサンに収め置て、ミたりにとり
すつる事ハあらす、
ヌシヤサンの事はカモイノミの部にくハしく
見えたり
かくの如くせされは、かならす神の罸を蒙る
とて、ことにおそれ尊ふ事也、罸は夷語にハルと
称す、
|
三種類の中、ナムシヤムイタとウムシヤムイとは、前述のものと違いはないし、トムシの意味はまだよくわからないので、改めて考えることとしたい。
ウイマムチプで用いるこの装具三種類は、破損したとしてもことごとく尊敬しておろそかにしない。もし破損することがあれば、家の側にあるヌシヤサンに収めておいて、みだりに捨てたりすることはない。
<註:ヌシヤサンのことは「カモイノミの部」(これも欠)に詳述してあ
る>
このようにしなければ、かならず神罸をこうむるからといって、ことに怖れ尊ぶという。罸はアイヌ語でハルという。
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第6巻, 3ページ, タイトル: 衣服製作の総説 |
| 衣服製作の総説
凡夷人の服とするもの九種あり、一をジツトクと
いひ、二をシヤランベといひ、三をチミツプといひ、
四をアツトシといひ、五をイタラツペといひ、六をモウウリといひ、
七をウリといひ、八をラプリといひ、九をケラといふ、
シツトクといへるは其品二種あり、一種ハ 本邦より
わたるところのものにて、綿繍をもて製し、かたち
陣羽織に類したるもの也、一種は同しく綿繍
にて製し、形ち明服に類したるものなり、夷人の
伝言するところは、極北の地サンタンといふ所の人カラ
フト島に携へ来て獣皮といふ物と交易するよしを
いへり、すなはち今 本邦の俗に蝦夷にしきと
いふものこれ也、この二種の中、 本邦よりわた
るところのものは多してサンタンよりきたるといふ
ものハすくなしとしるへし、シヤランベといへるは
|
衣服製作の総説
☆一般にアイヌの人びとが衣服としているものに九種類ある。一はジツトク、二はシヤランベ【サランペ:saranpe/絹】、三はチミツプ【チミ*プ:cimip/衣服】、四はアツトシ【アットゥ*シ:attus/木の内皮を使った衣服】、五はイタラツペ【レタ*ラペ?:retarpe?/イラクサ製の衣服】、六はモウウリ【モウ*ル:mour/女性の肌着】、七はウリ【ウ*ル:ur/毛皮の衣服】、八はラプリ【ラプ*ル:rapur/鳥の羽の衣服】、そして九はケラ【ケラ:kera/草の上着】である。
☆ジットクというものには二種類ある。一種は本邦より渡ったもので、錦で作られたもので、かたちは陣羽織に類するものである。いまひとつはおなじく錦で作られており、そのかたちは明の朝服に類するものである。アイヌの人びとの伝えていうには、極北のサンタン【サンタ:santa/アムール川周辺】というところの地に住んでいる人びとがカラフト【カラ*プト:karapto/樺太】島へ持ってきて、アイヌの人びとのもつ獣皮というものと物々交換するのであると。これがいま世間でいう「蝦夷にしき」なのである。この二種類のジットクのうち、わが国からわたったものが多く、サンタンから来たものはすくないと知っておくべきである。 |
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第6巻, 4ページ, タイトル: |
| 本邦よりわたるところのものにて、古き絹の
服なり、チミツブといへるも同しく 本邦より
わたるところの古き木綿の服なり、此三種の衣は
いつれも其地に産せさるものにて得かたき品ゆへ、
殊の外に重んし、礼式の時の装束ともいふへきさま
になし置き、鬼神祭礼の盛礼か、あるは
本邦官役の人に初て謁見するとふの時にのミ服用
して、尋常の事にもちゆる事はあらす、其中殊に
シツトクとシヤランベの二種は、其品も美麗なるをもて、
もつとも上品の衣とする事也、アツトシ、イタラツベ、モウウリ、
ウリ、ラプリ、ケラこの六種の衣はいつ
れも夷人の製するところのもの也、その中、モウウリ
は水豹の皮にて造りしをいひ、ウリはすへて獣皮
にて造りしをいひ、ラフリは鳥の羽にて造りしを
いひ、ケラは草にて造りしをいふ、この四種はいつれも
下品の衣として礼服とふには用る事をかたく禁
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第6巻, 5ページ, タイトル: |
| するなり、たゝアツトシ、イタラツベの二種は夷人の
製するうちにて殊に上品の衣とす、其製するさまも
本邦機杼の業とひとしき事にて、心を尽し力を
致す事尤甚し、此二種のうちにもわけてアツトシ
の方を重んする事にて、夷地をしなへて男女ともに
平日の服用とし、前にしるせし鬼神祭祀の時あるは
貴人謁見の時とふの礼式にシツトク、シヤランベ、チミツプ
三種の衣なきものは、ミな此アツトシのミを服用する事也、
其外の鳥羽・獣皮とふにて製せし衣はかたく禁
断して服する事を許さす、
凡この衣服の中、機杼より出たるをは尊ミ、鳥
獣の羽皮とふにて製したるを賤しミ、かつ
礼式ともいふへき時に服用する衣は製禁を
もふけ置く事なと、辺辟草莽の地にありてハ
いかにも尊ふへき事なり、其左衽せるをもて戎狄の
属といはん事、尤以て然るへからす、教といふ事のなき
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第6巻, 7ページ, タイトル: |
| 其造れるさまも殊に艱難にて、 本邦機杼
の業とひとしき事ゆへ、其製しかたの始終本末
子細に図に録せるなり、イタラツベといふもアツトシ
とひとしき物ゆへ、これ又委しく録すへき理
なりといへとも、此衣は夷地のうち南方の地とふにてハ造り
用る者尤すくなくして、ひとり北地の夷人のミ稀に
製する事ゆへ、其製せるさま詳ならぬ事とも
多し、しかれともその製するに用る糸は夷語に
モヲセイ、ニハイ、ムンハイ、クソウといへる四種の草を
日にさらし、糸となして織事ゆへ、其製方の始末
全くアツトシとことならさるよしをいへり、こゝをもて
此書にはたゝアツトシの製しかたのミを録して、
イタラツペのかたは略せるなり、
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第6巻, 15ページ, タイトル: カタキの図 |
| この図は前にしるせし如く、岐頭の木に巻たる糸を
玉に作りしさまなり、
本邦の語に、糸を図の如く丸く作りたるを玉といへり、
これをカタキと称す、カタキはカタマキといへるを略
するの言葉にして、カは糸をいひ、タマは玉をいひ、
キは造る事をいひ、糸を玉につくるといふ事也、是にて
まつ糸を製するの業は終れりとす、これよりこの
糸をもて、はたに綜る事、下の図の如し、 |
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第6巻, 20ページ, タイトル: |
| 是は糸を綜る事とゝのひてより織さまを図し
たるなり、アツトシカルといへるは、アツトシはすなハち
製するところの衣の名なり、カルは造る事をいひて、
アツトシを造るといふ事也、またアツトシシタイキとも
いへり、シタイキといふは、なを 本邦の語にうつと
いはんか如く、アツトシをうつといふ事なり、
本邦の語に、釧条の類を組む事をうつといへり、
其織る事の子細は、この図のミにしては尽し難き
ゆへ、別に器材の部の中、織機の具をわかちて委
しく録し置り、合せ見るへし、
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第7巻, 14ページ, タイトル: |
| さすといへるは、もと 本邦の言葉にして、
茅葺の屋を造る時図の如く左右より木を合せ
たるものをいふ也、是を夷人の語に何といひしにや
尋る事をわすれたる故、追て糺尋すへし、
本邦に用るところとハ少しくたかひたるゆへに図し
たる也、此外屋に用る諸木のうち、棟木は造れる
さま常の柱とたかふ事あらす、是を夷語にキタイ
ヲマニといふ、キタイは上をいひ、ヲマは入る事をいひ、ニは
木をいひて、上に入る木といふ事なり、梁は前に図し
たる桁と同しさまに造りて用ゆ、是を夷語に
イテメニといふ、其義解しかたし、追て考へし、又
本邦の茅屋にながわ竹を用る如くにつかふ物をリカ
ニといふ、是は細き木の枝をきりてゆかミくるいとふ有
ところは削りなをして用る也、此三種のもの大小のたかひ
あるのミにて、いつれも常の柱とことなる事ハなきゆへ、
別に図をあらハすに及はす、
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☆ 「さす」というのはもともとわが国のことばで、茅葺きの家を造るとき、図のように左右から木を合わせたものをいうのである。これをアイヌ語でなんというのか聞くのを忘れたので、改めて聞きただすことにしよう。
(さすは)わが国で用いているものとはすこし違っているので図示したのである。このほか、家で使う種々の木のうち、棟木を造るようすは通常の柱と違うことはない。これをアイヌ語でキタイヲマニという。キタイ【キタイ:kitay/てっぺん、屋根】は上ということ、ヲマ【オマ:oma/にある、に入っている】は入ることをいい、ニ【ニ:ni/木】は木をいうから上に入る木ということである。
梁は前に図示した桁と同じように造って使う。これをアイヌ語でイテメニ【イテメニ:itemeni/梁】という。その意味は解釈できない。改めて考えてみたい。
また、わが国の萱葺きの家でながわ竹?を用いるように使うものをリカニという。これは細い木の枝を切って、ゆがみや狂いなどがあるときは削りなおして使うのである。これらの三種類のものは、大小の違いあるのみで、どれも通常の柱と違いはないので、格別、図示することはしない。 |
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第7巻, 17ページ, タイトル: シリカタカルの図 |
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第7巻, 18ページ, タイトル: |
| 前に図したるものミな備りてより、家を立る
にかゝるなり、先つ初めに屋のくミたてをなす
事図の如し、是をシリカタカルと称す、シリは下の事
をいひ、カタは方といはんか如し、カルは造る事をいひ
て、下の方にて造るといふ事なり、これは夷人の境、
万の器具そなハらすして、梯とふの製もたゝ独木に
脚渋のところを施したるのミなれは、高きところに
登る事便ならす、まして 本邦の俗に足代
なといふ物の如き、つくるへきよふもあらす、然るゆへ
に柱とふさきに立るときは屋をつくるへきた
よりあしきによりて、先つ地の上にて屋のくミ立を
なし、それより柱の上に荷ひあくる事也、これ屋の下の
方にて造れるをもてシリカタカルとはいふ也、右屋の
くミたて調ひ荷ひあくる計りになし置て、其大小
広狭にしたかひて柱を立る事後の図のことし、
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☆ 以上に図示したものがみんなそろってから、家を建てるのにかかるのである。まずはじめに屋根の組みたてをすること図のとおりである。これをシリカタカルという。シリ【シ*リ:sir/地面】は下のことをいい、カタ【カ タ:ka ta/の上 で】は方というのとおなじであり、カル【カ*ラ:kar/作る】は作ることをいって、下の方で造るということである。
これはアイヌの人びとの国ではたくさんの有用な道具がそろっていないので、はしごなどをこしらえるのもただ丸木に足がかりを彫っただけなので高いところに上るには向いていない。まして、わが国のならわしにある足がかり?などというようなものを造ることもしない。だから、柱などをはじめに建ててしまったら、屋根を造るのにぐあいが悪いので、まず、地上で屋根の組み立てをおこなって、それから柱の上にかつぎ上げるのである。このように、屋根を下の方で造るのでシリカタカルというのである。右のように、屋根を組み立て整えておいて、かつぎ上げるばかりにしておいて、その家の大小や広い狭いにしたがって柱を建てるようすは後の図に示しておいた。
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第7巻, 21ページ, タイトル: リキタフニの図 |
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第7巻, 22ページ, タイトル: |
| リキタフニと称する事は、リキタは天上といはんか
如し、フニは持掲る事をいひて、天上に持掲ると
いふ事なり、是は前にいふか如く、柱を立ならふる
事終りてより、数十の夷人をやとひあつめてくミたてたる
屋を柱の上に荷ひあくるさま也、屋を荷ひあくる事終れハ、それより柱の根を
はしめ、すへてゆるきうこきとふなきよふによ
くーーかたむる事なり、
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☆リキタフニということ、リキタ【リ*ク タ:rik ta/高い所 に】は天上という意味であり、フニ【プニ:puni/を持ち上げる】は持ち上げることをいって、天上に持ち上げるということである。これは前にいったように、柱を立て並べることがおわってから、数十のひとを雇い集めて、組み立てておいた屋根を柱の上にかつぎ上げるさまである。屋根をかつぎ上げることが終ったら、それから柱の根をはじめ、みんな揺るぎ動くことがないようによくよく固めるのである。 |
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第7巻, 23ページ, タイトル: キタイマコツプの図 |
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第7巻, 24ページ, タイトル: |
| 是は家のくミたてとゝのひてより、屋をふくさま也、
キタイマコツプといへるは、キタイは屋をいひ、マコツプは葺
事をいひて、屋をふくといふ事也、屋をふかんとすれは、蘆
簾あるは網の破れ損したるなとを屋をくミたてたる
木の上に敷て、其上に前に録したる葺草の中いつれ
なりともあつくかさねてふく也、こゝに図したるところハ
茅を用ひてふくさま也、この蘆簾あるハ網とふのものを
下に敷事ハ、くミたてたる木の間より茅のこほれ落るを
ふせくため也、家によりては右の物を用ひす、木の上を
すくに茅にてふく事もあれとも、多くは右のものを
下に敷事なり、
ここにいふ蘆簾は夷人の製するところのものなり、
網といへるも同しく夷人の製するところのものにて、
木の皮にてなひたる縄にてつくりたるものなり、
すへて夷人の境、障壁とふの事なけれハ、屋のミにかき
らす、家の四方といへとも同しくその屋をふくところの
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☆これは家の組み立てができてから屋根を葺くようすである。キタイマコツプというのは、キタイ【キタイ:kitay/てっぺん、屋根】は屋根をいい、マコツプ【アク*プ?:akup?/葺く】は葺くことをいうので、屋根を葺くということである。屋根を葺こうとするには、芦簾あるいは網の破れ損じたものなどを屋根を組み立てる木の上に敷いて、その上に前述の葺き草のうち、どれでも厚く重ねて葺くのである。ここに図示したのは茅を用いて葺いているようすである。
この芦簾あるいは網などのものを下に敷くことは、組み立てた木の間より茅が零れ落ちるのを防ぐためである。家によってはそれらを使わず、木の上に直に茅で葺くこともあるけれども多くは右にあげたものを下に敷くのである。
<註:ここでいう芦簾アイヌの人びとが造ったものである。網も同じくアイヌ製のもので
木の皮を綯って造ったものである。>
総じてアイヌの人びとの国には障子や壁などというものがないので、屋根ばかりではなく、家の四周さえも同様にその屋根を葺く茅で囲うの
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第7巻, 27ページ, タイトル: キキタイチセの図 |
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第7巻, 29ページ, タイトル: |
| 此図はシリキシナイの辺よりシラヲイの辺に
至るまての居家全備のさまにして、屋は茅を
もて葺さる也、是をキキタイチセと称す、キは
茅をいひ、キタイは屋をいひ、チセは家をいひて、茅の
屋の家といふ事なり、前にしるせし如く、屋をふく
にはさまーーのものあれとも、此辺の居家は専ら
茅と草との二種にかきりて用るなり、チセコツと
いへるは其家をたつる地の形ちをいふ也、チセは家を
いひ、コツは物の蹤跡をいふ、この図をならへ録せる事ハ、
総説にもいへる如く、居屋を製するの形ちはおほ
よそ三種にかきれるゆへ、其三種のさまの見わけやす
からんかためなり、後に図したる二種はミな此故と
しるへし、
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☆ この図はシリキシナイのあたりからシラヲイのあたりまでの家の完備したすがたで、屋根は茅で葺いてある。これをキキタイチセという。キ【キ:ki/カヤ】は茅をいい、キタイ【キタイ:kitay/てっぺん、屋根】は屋根をいい、チセ【チセ:cise/家】は家をいうから茅の屋根の家ということである。前述のように屋根の葺き方にはさまざまなものがあるが、このあたりの家はもっぱら、茅と草の二種だけを使うのである。
チセコツというのは、その家を建てる敷地のかたちをいう。チセは家をいい、コツ【コッ:kot/跡、くぼみ】はものの
あとかたをいう。この敷地の図を並べて記すのは総説でものべておいたように、家を造る際のかたちはだいたい三種類に限られるので、その三種類の形体を見分けやすくしようと考えたためである。後に図示した二種はミナこの理由によるのである。
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第7巻, 30ページ, タイトル: シヤリキキタイチセの図 |
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第7巻, 32ページ, タイトル: |
| 此図はシラヲイの辺よりヒロウの辺にいたる
まての居家全備のさまにして、屋は蘆をもて
葺たるなり、是をシヤリキキタイチセと称す、シヤリ
キは蘆をいひ、キタイは屋をいひ、チセは家を
いひて、蘆の屋の家といふ事なり、此辺の居家
にては多く屋をふくに蘆のミをもちゆ、下品
の家にてはまれに茅と草とを用る事もある
なり、
右二種の製は四方のかこひを藩籬の如くになし
たるなり、
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☆この図はシラヲイのあたりからヒロウのあたりまでの家の完備したようすで、屋根は芦で葺いている。これをシヤリキキタイチセという。シヤリキ【サ*ラキ:sarki/アシ、ヨシ】は芦のこと、キタイ【キタイ:kitay/てっぺん、屋根】は屋根、チセ【チセ:cise/家】は家をいうから、芦の屋根の家ということである。このあたりの家の多くは屋根を葺くのに芦だけを使う。下品の家ではまれに茅と草とを用いることもある。
右に図示した二種の造りは四方の囲いを垣根のようにしてある。 |
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第7巻, 33ページ, タイトル: ヤアラキタイチセの図 |
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第7巻, 35ページ, タイトル: |
| 是はビロウの辺よりクナシリ島にいたるまての
居家全備のさまにして、屋は木の皮をもて
葺たるなり、是をヤアラキタイチセと称す、ヤア
ラは木の皮をいひ、はタイチセは前と同しことにて、
木の皮の屋の家といふ事なり、たゝしこの木の
皮にてふきたる屋は、日数六七十日をもふれは
木の皮乾きてうるをひの去るにしたかひ裂け
破るゝ事あり、其時はその上に草茅とふをもて
重ね葺事也、かくの如くなす時は、この製至て
堅固なりとす、しかれとも力を労する事ことに深き
ゆへ、まつはたゝ草と茅とのミを用ひふく事多し
と知へし、木の皮の上を草茅とふにてふきたる
さまは、後の図にミえたり、
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☆ これはビロウのあたりからクナシリ島にいたる家屋完備のようすである。屋根は木の皮で葺いている。これをヤアラキタイチセという。ヤアラ【ヤ*ラ:yar/樹皮】は木の皮をいい、キタイチセは前とおなじことで、木の皮の屋根の家ということである。ただし、この木の皮で葺いた屋根は日数六、七十日もたてば、木の皮が乾いて潤いがなくなるにしたがって、裂けて破れることがある。そのときは上に草や茅などでもって重ねて葺くのである。このようにしたときは、造りはいたって丈夫であるという。しかしながら、この作業は労力がたいへんなので、一応は草と茅だけを使って葺くことが多いと理解しておいてほしい。木の皮の上に草や茅などでふいているさまは後に図示してある。
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第7巻, 36ページ, タイトル: トツプラツプキタイチセの図 |
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第7巻, 37ページ, タイトル: |
| この図もまたビロウの辺よりクナシリ嶋に至る
まての居家全備のさまにして、屋を竹の葉にて
ふきたる也、これをトツプラツフキタイチセと称す、
トツプは竹をいひ、ラツプは葉をいひ、キタイチセは
前と同し事にて、竹の葉の屋の家といふ事也、
これ又木の皮と同し事にて、葺てより日かすを
ふれは竹の葉ミな枯れしほミて雨露を漏すゆへ、
やかて其上を草と茅にてふく也、この製又至て
堅固なりといへとも、力を労する事多きにより
て、造れるものまつはまれなりとしるへし、
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☆ この図もまた、ビロウのあたりからクナシリ島にいたる家屋完備のようすであって、屋根を竹の葉で葺いている。これをトツプラツフキタイチせという。トツプ【ト*プ:top/竹、笹】はたけをいい、ラツプ【ラ*プ:rap/竹などの葉】は葉をいう。キタイチセは前とおなじだから、竹の葉の屋根の家ということである。
これまた、木の皮とおなじで葺いてから日数がたてば、竹の葉はみんな枯れしぼんで雨露を漏らすようになるので、やがてその上を草と茅とで葺くのである。この造りはまたとても丈夫なのだけれども労力がたいへんなので、これを造っているものはまず少ないと理解してほしい。
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第7巻, 43ページ, タイトル: エリモシヨアルキイタの図 |
| エリモシヨアルキイタといふは、エリモは鼠を
いひ、シヨアルキは来らすといはんか如し、
イタは板の事にて、鼠の来らさる板といふ事なり、
是は前に図したる如く、蔵の床を高くなし
て鼠をふせくといへとも、なを柱をつたひ上らん事を
はかりて、床柱の上に図の如くなる板を置、のほる
事のならさるよふになす也、すへて夷人の境、鼠
多して物をそこなふゆへ、さまーーに心を用ひて
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☆ エリモシヨアルキイタというのは、エリモ【エ*レム、エル*ム:ermu, erum/ネズミ】はねずみをいい、シヨアルキ【ソモ ア*ラキ:somo arki/ない 来る→来ない】は来ないというような意味、イタ【イタ:ita/板】は板のことで、ねずみが来ない板という意味である。
これは前に図示したように蔵の床が高くなっていてそれでねずみを防ぐのではあるけれども、さらに柱を伝いあがってくるかもしれないことを考えて、床柱の上に図のような板をおいて、登ることがないようにするのである。総じて、アイヌの人びとの国はねずみが多くて物が被害にあうのでさまざまに用心して |