|
第1巻, 26ページ, タイトル: ハルケイナヲの図 |
|
|
|
第1巻, 27ページ, タイトル: |
| ハルケとは縄の事をいひて、縄のイナヲといふ事
なり、又一つにはトシイナヲともいふ、トシは舩中に
用ゆる綱の事をいひて、綱のイナヲといふ事
なり、是はこのイナヲの形ち縄の如く、又綱の如く
によれたるゆへに、かくは称する也、此イナヲはすへて
カモイノミを行ふの時、其家の四方の囲ひより初め
梁柱とふに至るまて、 本邦の民家にて
正月注連を張りたる如く奉けかさる也、按るに、
本邦辺鄙の俗、注連にはさむ紙をかきたれと
称し、又人家の門戸に正月あるひは神を祭る
事ある時は、枝のまゝなる竹を杭と同しく立て、
注連を張り、其竹につけたる紙をも又かきたれと
|
「ハルケ」とは縄のことを表わし、「縄のイナヲ」という意味である。また、別にトシイナヲともいう。「トシ」とは船で用いる綱のことをいい、「綱のイナヲ」という意味である。これは、このイナヲの形状が縄のように、あるいは綱のように撚れているために、こう称されるのである。このイナヲは、カモイノミを行なうときに、家の四方の囲いからはじめ、梁柱などに至るまでの隅々を、我が国の民家において正月に注連縄を張るように奉げ飾るのに用いられるのである。按ずるに、我が国の辺鄙の地における風俗に、注連縄に挟む紙を「かきたれ」と称し、また人家の門戸に正月あるいは神事がある時に枝のままの竹を杭のように立て注連縄を張るのであるが、その竹につけた紙のことも「かきたれ」と
|
|
第1巻, 30ページ, タイトル: |
| シユトといへるは、もと杖の名にして、ウカルを行ふ
時にもちゆる物也、
ウカルといふは、夷人の俗罪を犯したる者あれハ、
それをむちうつ事のある也、シユトは其むち
うつ杖の事をいふ、委しくは、ウカルの部にミえたり、
此イナヲを製するには、まつ木をシユトの形ちの
如くにして、それより次第に削り立る事をなすに
よりて、かくは名つけし也、 本邦の語に
罪人をうつ杖の事をしもとゝいふ、さらはシユトは
しもとの転語にして、これ又 本邦の語に
通するにや、このイナヲはいつれの神を祈るにも
通し用ゆる事也、
|
「シユト」とは、もと杖の意味であり、ウカル( )を行なう時に用いられる。
* ウカルといって、アイヌの人々のなかで俗罪を犯した者がいた場合、その者を鞭打つことがある。シユトは、その際に用いられる杖のことをいう。詳しくは、本稿「ウカルの部」に記してある。このイナヲを作製するときに、まず木をシユトの形のように加工してから順次削っていくことにより、こう名づけられたのである。わが国の言葉で罪人を打つ杖のことを「しもと」という。つまり、「シユト」は「しもと」の転語であり、これまたわが国の言葉と通じていることになろう。なお、このイナヲはどの神を祈るにも共通して用いられるものである。
|
|
第1巻, 37ページ, タイトル: |
| ハシとは木の小枝の事をいふ、すなハち
本邦にいふ柴の類にて、柴のイナヲといふ事也、
是は漁獵をせんとするとき、まつ海岸にて水伯
を祭る事あり、其時此イナヲを柴の□籬の如く
ゆひ立て奉くる事なり、其外コタンコルまたはヌシヤ
サンなとにも奉け用る事もあり、
コタンコル、ヌシヤサンの事は、カモイノミの部に
ミえたり、
右に録せし外、イナヲの類あまたありといへとも、
其用るところの義、未詳ならさる事多きか故に、
今暫く欠て録せす、後来糺尋の上、其義の
詳なるをまちて録すへし、 |
「ハシ」とは木の小枝のことである。即ち、わが国でいう柴の類であり、「柴のイナヲ」という意味である。漁猟をしようとするときには、まず海岸で水伯を祭ることをなす。その時に、このイナウを柴の□籬のように結い立てて奉げるのである。その他、コタンコルまたはヌシヤサンなどにも奉げ用いることもある。
* コタンコルやヌシヤサンのことについては、本稿「カモイノミの部」に記してある。
右に記した他にも、イナヲの類は沢山あるが、その用途の意義がいまだに詳らかではないものが多いので、とりあえず今は記さずにおくこととしたい。後日聞き取りの上、その意義が詳らかになるのを待って、記すことを期するものである。
|
|
第2巻, 6ページ, タイトル: |
| 食するに至るまてのわさことに心を用るなり、
其次第は後の図に委しく見へたり、是より
出たる糠といへともミたりにする事あらす、
其捨る所を家の側らに定め置き、ムルクタウシ
カモイと称して、神明の在るところとなし、尊ミ
おく事也、これまた後の図にミえたり、此稗を
奥羽の両国及ひ松前の地にてはまれに作れ
る者ありて、蝦夷稗と称す、外の穀類には
似す、地の肥瘠にかゝはらすしてよく生熟し、
荒凶の事なしといへり、其蝦夷稗と称する
事ハ 本邦の地には無き物にして、蝦夷
の地より伝へ来りたるによりてかく称すると
|
食するまでの作法には、ことさら心を用いるのである。その作法の次第は、後掲の図に詳しい。彼らはそこから出る糠といえども粗末にすることはない。
棄てる場所を家の傍らに定めておき、ムルクタウシカモイと称し、神明のいますところとみなして、尊ぶのである。この様子も、後に掲げる図に見えるので参照されたい。
この稗についてであるが、奥羽の両国ならびに松前の地では稀に栽培する者がいて、「蝦夷稗」と称されて |
|
第2巻, 9ページ, タイトル: |
| 本邦の人より伝へて作れる夷人ことに多し、
蝦夷のうち、シリキシナイなといへる所よりサル
なといへる所迄の夷人は、ことーーく作る事也、
これを糧食に供する事も、よのつねの魚鳥の
肉とふに比すへきものにはあらすといひて、其尊ひ
重んする事甚厚し、凡そこれらの事に
よらんには、いかんそ蝦夷の地にしては禾穀の
類の生する事なく、蝦夷の人は禾穀の類を
食する事なしとはいふへき、 |
「本邦の人」から伝えられて作るアイヌの人々が少なくない。
*蝦夷地のうちでも、シリキシナイ(尻岸内)という所からサル(沙流)という所までに住むアイヌの人々は、皆作物の栽培を行なっている。
彼らが農作物を糧食に供する場合、主食である魚や鳥の肉等とは比較にならないものだとして、非常に篤く尊び重んじている。こうしたことから考えるに、蝦夷地には禾穀類が生じずアイヌの人々が禾穀類を食することはない、ということは誤りであるといえよう。
|
|
第2巻, 14ページ, タイトル: ムンカルの図 |
|
|
|
第2巻, 15ページ, タイトル: |
| 右二種のものを作る事をすへて称してトイタ
といふ、トイは土をいひ、タは掘る事をいひて、土を
掘るといふ事也、又一にはトイカルともいふ、トイは
上に同しく、カルは造る事をいひて、土を造ると
いふ事也、二つともに 本邦の語にしてはなを
耕作なといはんか如く、また場圃なといはん
ことし、
耕作と場圃とは殊にかハりたる事なるを、かく
いへるものは、すへて夷人の境、太古のさまにして
言語のかすも多からす、為すへき業も又少なし、
しかるゆへに此二種の物を作るか如き、其作り立る
の事業をもすへて称してトイタといひ、その
|
右に掲げた二種の作物を作ることをトイタと総称する。「トイ」は土のことを、「タ」は掘ることを表わし、あわせて「土を掘る」という意味である。また別にトイカルともいう。「トイ」は土のことを、「カル」は造ることを表わし、あわせて「土を造る」という意味である。二つの語はともに、我が国の言葉で言えば、耕作といったり場圃といったりしている語を指しているようだ。
* 耕作と場圃という、異なった意味を持つ概念であるものを同じ語で表わしているのは、アイヌの人々の生活境遇が太古の状態にあるため、言葉の数が多くはなく、行なわれる生業活動もまた少なかったためである。
従って、この二種の作物を作るに際して、栽培作業の総称としてトイタの語を用い、
|
|
第2巻, 17ページ, タイトル: |
| かろーーしき事をハせす、さらハ此等の事にも
別に意味のありてかくはなせるにや、其義
未詳ならす、追て糺尋の上録すへし、
是に図したるところは、トイタとなすへき
ためにまつ初めに其地の草をかるさま也、ムンカル
と称する事は、ムンは草をいひ、カルは則ち苅る
事をいひて、草をかるといふ事也、すへて
此のトイタの事は、初め草をかるより種を蒔き、
其外熟するに至て苅りおさむるとふの事
に至るまて、多くは老人の夷あるハ女子の
夷の業とする事也、
草をかるには先つ其ところにイナヲを奉けて
|
軽々しい行いはしないものだ。そうしたことから考えるに、或いは別の意味があってトイタの地を定めているのかも知れず、その判断基準はいまだ詳らかではない。追って聞き取りの上、後考を期したい。
ここに掲げた図は、トイタとするために先ず初めにその地の草を刈る様子を示したものである。この作業をムンカルというのは、「ムン」が草を、「カル」が刈ることを表わし、あわせて草を刈ることを意味することによっている。トイタに関わる作業には、草を刈ることから始まり、種蒔きや稔ってからの収穫に至るまで、その多くに老人や女性が携わることとなっている。
* 草を刈るには、まず刈る場所にイナヲを捧げて
|
|
第2巻, 26ページ, タイトル: ムンカルの図 |
|
|
|
|
第2巻, 27ページ, タイトル: |
| 是も初めにしるせしムンカルと同しく、草を
かるといふ事也、されと其義はたかひ有事にて、
前にしるせるは、たゝ草を苅る事をいふ也、こゝに
いふところも蒔置たる二種のものゝ芽を出せし
より、其たけもやゝのひたる頃に及ひ、其間に
野草の交り生して植し物のさハりとなる故に、
其草を抜きすつる事をいふ也、されハ同しく
草を除くといふにも、其わけはたかひてあれ
とも、上に論する如く、夷人の言語は数少く
して物をかねていふ事のあるゆへ、これらの
類もひとしくムンカルとのミ称する也
、
本邦にて禾菜の類を作るにハおろぬくと |
これも、初めに記したムンカルと同様、草を刈るという言葉である。しかし、その意味内容は異なっている。前に記したものは、ただ草を刈ることをいうのみであった。ここでいうムンカルは、蒔いて置いた二種の作物が発芽し、丈もやや伸びた頃に、その間に交じって生えてきて成長の妨げとなる雑草を取り除く作業をいう。従って同じく草を除くという言葉ではあるが、その意味するところは異なっているのである。これは、前述のように、アイヌの人々の言葉は単語の数が少なく、物事を兼ねていうことがあるためである。いま述べた二つの作業について、同じくムンカルと称するのは、そのためである。 |
|
第3巻, 7ページ, タイトル: ルシヤシヤツツケの図 |
|
|
|
第3巻, 8ページ, タイトル: |
| ルシヤシヤツヽケと称する事は、ルシヤとハ蘆をあミ
て簾の如くなしたる物をいひ、シャツヽケとは干す
事をいひて、簾にほすといふ事也、是は蔵に
入れ置たる穂を食せんとする時に及ひて蔵より
とりいてゝ簾にのせ、囲炉裏の上に図の如くに
干す事也、いかなるゆへにやいとま有時といへとも
残らす舂てそれを貯へ置といふ事ハあらす、
いつれ穂のまゝに蔵に収め置て、食するたひ
ことに蔵よりとり出し図の如くに干して、
それより舂く事をもなす事なり、 |
ルシヤシヤツツケとは、「ルシヤ」がアシを編んで簾のように作ったものを、「シヤツツケ」が干すことを表し、合わせて「簾に干す」という意味である。これは、蔵に入れておいた穂を食しようとする時に、蔵から取り出して簾に乗せ、囲炉裏の上に図のように干すことを指す。どういうわけか、いくら時間があったとしても、蔵の穂をすべて搗いたうえで貯えるということは行なわれない。
穂のままで蔵に収めておき、食する度ごとに取り出して図のように干したうえで搗くことになっているのである。 |
|
第3巻, 13ページ, タイトル: ムルヲシヨラの図 |
|
|
|
第3巻, 14ページ, タイトル: |
| ムルとは糠の事をいひ、ヲシヨラとは捨る事を
いひて、糠をすつるといふ事也、またムルクタと
も称す、是は簸事終りてより、その出たる
糠を捨るさま也、此糠をすつるにハことに意味
ある事にて、委しくハ後の図にミえたり、
|
「ムル」とは糠を、「ヲシヨラ」とは捨てることを表し、合わせて「糠を捨てる」という意味である。また別にムルクタともいう。この図は、箕を用いて籾殻をあおり屑を取り除く作業を終えた後、その際に出た糠を捨てる様子である。糠を捨てることは、大変意味のある行為なので、次の図に詳しく示しておいた。
|
|
第3巻, 15ページ, タイトル: ムルクタウシウンカモイの図 |
|
|
|
第3巻, 16ページ, タイトル: |
| ムルクタウシウンカモイと称する事は、ムルクタは前に
いふか如く糠を捨る事をいひ、ウシは立事を
いひ、ウンは在る事をいひ、カモイは神をいひて、
糠を捨る所に立て在る神といふ事也、是はアユウシ
アマヽとラタ子の二種は神より授け給へるよし
いひ伝へて尊ひ重んする事、初めに記せる如く
なるにより、およそ此二種にかゝはりたる物は
聊にても軽忽にする事ある時は、必らす神の
罰を蒙るよしをいひて、それより出たる糠と
いへとも敢て猥りにせす、捨る所を住居のかたハらに
定め置き、イナヲを立て神明の在る所とし、尊ミ
をく事也、唯糠のミに限らす、凡て二種の物の
|
ムルクウタウシウンカモイとは、「ムルクタ」は前に述べた通り糠を捨てることを、「ウシ」は立てることを、「ウン」は「在る」という語を、「カモイ」は神をそれぞれ表し、合わせて「糠を捨てる所に立ててある神」という意味である。これについてであるが、アユウシアママとラタネの二種類の作物が神から授けられ給うたものと言い伝えて尊び重んじられていることは前に記した通りである。
そして、この二種類の作物に関わる物は、どんなものであっても軽率に扱えば必ず神罰を蒙るといい慣わしている。よってそれらから出た糠といえどもみだりには扱わず、捨てるところを住居の傍らに定めて置き、イナヲを立て、神明のいます所として尊んでいるのである。これは糠に限っての扱いではない。この二種類の作物の |
|
第4巻, 7ページ, タイトル: |
| 山中に入り敷となすへき良材を尋ね求め、
たつね得るにおよひて、其木の下に至り、
図の如くイナヲをさゝけて地神を祭り、その
地の神よりこひうくる也、その祭る詞に、
シリコルカモイタンチクニコレと唱ふ、シリは地を
いひ、コルは主をいひ、カモイは神をいひ、タンは
此といふ事、チクニは木をいひ、コレは賜れといふ
事にて、地を主る神此木を賜れといふ事也、
この祭り終りて後、其木を伐りとる事図の
如し、敷の木のミに限らす、すへて木を伐んと
すれハ、大小共に其所の地神を祭り、神にこひ請て
後伐りとる事、是又夷人の習俗なり、
|
☆ 山中にはいって船体となる良材をさがして歩き、それが見つかったので、その木の下へ行って、図のように木にイナウを捧げて地の神さまをお祭りし、その神さまから譲りうけるのである。その祈りことばは「シリコルカモイタンチクニコレ」と唱えるのである。シリは地をいい、コルは主をいい、カモイは神をいい、タンは此ということ。チクニは木をいい、コレは賜われということであって、「地をつかさどる神さま、この木をくださいな」ということである。
この祭りが終わったあとで、その木をきりとる様子は図に示した。船体の木ばかりではなく、どんな場合でも木を伐ろうとするときは大小の区別なくそのところにまします地の神をまつって、神さまにお願いしたのちに伐採するのはアイヌの人びとの習慣なのである。
|
|
第5巻, 45ページ, タイトル: |
| 蝦夷の地、松前氏の領せし間は、其場所ーーの
ヲトナと称するもの、其身一代のうち一度ツヽ
松前氏に目見へに出ることありて、貢物を献せし
事也、その貢物を積むところの舟をウイマム
チプと称す、其製作のさまよのつねの舟と替
りたる事は図を見て知へし、ウイマムは官長の
人に初てまみゆる事をいふ、
此義いまた詳ならす、追て考ふへし
チプは舟の事にて、官長の人に初てまミゆる
舟といふ事なるへし、老夷のいひ伝へに、古は
松前氏へ貢する如くシヤモロモリへも右の舩にて
貢物を献したる事也といへり、シヤモはシヤハクル
|
蝦夷の地、松前氏が領していた間、場所場所のヲトナと称するものは、その身一代のうち、一度は松前の殿様に目見えに出て、貢物を献上するのである。その貢物を積む舟をウイマムチプという。その作り方は普通の舟とかわっていることは図を見ればわかるだろう。ウイマムというのは官長の人(役人のおさ)に初めてお目にかかることをいう。
この意味はまだよくわからない。改めて考えることとしよう。
チプは舟のことだから「官長の人に初めて目見える舟」ということである。
アイヌの故老がいいつたえるには、昔は松前の殿様に貢ぐようにシヤモロモ
シリへもウイマムチプで出かけ貢物を献上したのだという。シヤモというのはシヤハクル
|
|
第5巻, 46ページ, タイトル: |
| の略也、シヤハはかしらだちたる事をいふ、クルは
人といふ事にて、かしらたちたる人をいふ、ロは
語助也、モシリは島をいふ、此義ことに意味有
事なり、夷語に水の流るゝ事をモムといふ、
地の事をシリといふ、モシリはモムシリの略にして、
流るゝ地といふ事也、そのゆへは、凡島の水上に
うかひたるを遠くよりのぞめは、流れつ
へき地のさましたるゆへに、嶋の事をモシリと
称する也、さすれはシヤモロモリとは、かしら
たちたる人の島といふ事にて、 本邦をさして
いへるなり、古のとき蝦夷といへともことーーく
本邦に属せし事故、 本邦をさしてかし
|
の略である。シヤハは人の上にたつことをいい、クルは人ということであって、だからシヤハクルは「人の上にたつひと」ということをいう。ロは助語である。モシリは島をいう。モシリはことに意味あることであって、アイヌ語で水が流れることをモムという。地のことをシリという。
モシリはモムシリの略であって、「流れる地」ということである。その理由は、そもそも島が水上にうかんでいるのを遠くからのぞめば、流れゆくべき地のようすをしているので、嶋のことをモシリというのである。だからシヤモロモシリとは、人の上にたつひとの島ということであって、日本をさしていう。
古い昔は蝦夷といえどもすべて日本に属していたので、蝦夷は日本をさして
|
|
第5巻, 51ページ, タイトル: |
| 三種の中、ナムシヤムイタとウムシヤムイとハ、前に
出せるとことならす、トムシの義いまた詳ならす、
追て考ふへし、ウヘマムチプに用る此よそをひの
三種は、破れ損すといへともことーーく尊敬して
ゆるかせにせす、もし破れ損する事あれは、
家の側のヌシヤサンに収め置て、ミたりにとり
すつる事ハあらす、
ヌシヤサンの事はカモイノミの部にくハしく
見えたり
かくの如くせされは、かならす神の罸を蒙る
とて、ことにおそれ尊ふ事也、罸は夷語にハルと
称す、
|
三種類の中、ナムシヤムイタとウムシヤムイとは、前述のものと違いはないし、トムシの意味はまだよくわからないので、改めて考えることとしたい。
ウイマムチプで用いるこの装具三種類は、破損したとしてもことごとく尊敬しておろそかにしない。もし破損することがあれば、家の側にあるヌシヤサンに収めておいて、みだりに捨てたりすることはない。
<註:ヌシヤサンのことは「カモイノミの部」(これも欠)に詳述してあ
る>
このようにしなければ、かならず神罸をこうむるからといって、ことに怖れ尊ぶという。罸はアイヌ語でハルという。
|
|
第6巻, 1ページ, タイトル: 蝦夷生計図説 アツシカル之部 六 |
|
|
|
第6巻, 3ページ, タイトル: 衣服製作の総説 |
| 衣服製作の総説
凡夷人の服とするもの九種あり、一をジツトクと
いひ、二をシヤランベといひ、三をチミツプといひ、
四をアツトシといひ、五をイタラツペといひ、六をモウウリといひ、
七をウリといひ、八をラプリといひ、九をケラといふ、
シツトクといへるは其品二種あり、一種ハ 本邦より
わたるところのものにて、綿繍をもて製し、かたち
陣羽織に類したるもの也、一種は同しく綿繍
にて製し、形ち明服に類したるものなり、夷人の
伝言するところは、極北の地サンタンといふ所の人カラ
フト島に携へ来て獣皮といふ物と交易するよしを
いへり、すなはち今 本邦の俗に蝦夷にしきと
いふものこれ也、この二種の中、 本邦よりわた
るところのものは多してサンタンよりきたるといふ
ものハすくなしとしるへし、シヤランベといへるは
|
衣服製作の総説
☆一般にアイヌの人びとが衣服としているものに九種類ある。一はジツトク、二はシヤランベ【サランペ:saranpe/絹】、三はチミツプ【チミ*プ:cimip/衣服】、四はアツトシ【アットゥ*シ:attus/木の内皮を使った衣服】、五はイタラツペ【レタ*ラペ?:retarpe?/イラクサ製の衣服】、六はモウウリ【モウ*ル:mour/女性の肌着】、七はウリ【ウ*ル:ur/毛皮の衣服】、八はラプリ【ラプ*ル:rapur/鳥の羽の衣服】、そして九はケラ【ケラ:kera/草の上着】である。
☆ジットクというものには二種類ある。一種は本邦より渡ったもので、錦で作られたもので、かたちは陣羽織に類するものである。いまひとつはおなじく錦で作られており、そのかたちは明の朝服に類するものである。アイヌの人びとの伝えていうには、極北のサンタン【サンタ:santa/アムール川周辺】というところの地に住んでいる人びとがカラフト【カラ*プト:karapto/樺太】島へ持ってきて、アイヌの人びとのもつ獣皮というものと物々交換するのであると。これがいま世間でいう「蝦夷にしき」なのである。この二種類のジットクのうち、わが国からわたったものが多く、サンタンから来たものはすくないと知っておくべきである。 |
|
第6巻, 13ページ, タイトル: アフンカルの図 |
| アフンカルといへるは、アフンは糸をいひ、カルは造る
事にて、糸を造るといふ事なり、是は前にいふ
如くアツの皮をよくーーやはらかになしてより、
麻を績する如くいつにもさきて次第につなき、
岐頭の木に巻つくる事図のことし、そのさまさなから
奥羽の両国にてしな太布を織る糸を績くとこと
なる事なし、
|
|
|
第6巻, 19ページ, タイトル: アツトシカルヲケレの図 |
|
|
|
第6巻, 20ページ, タイトル: |
| 是は糸を綜る事とゝのひてより織さまを図し
たるなり、アツトシカルといへるは、アツトシはすなハち
製するところの衣の名なり、カルは造る事をいひて、
アツトシを造るといふ事也、またアツトシシタイキとも
いへり、シタイキといふは、なを 本邦の語にうつと
いはんか如く、アツトシをうつといふ事なり、
本邦の語に、釧条の類を組む事をうつといへり、
其織る事の子細は、この図のミにしては尽し難き
ゆへ、別に器材の部の中、織機の具をわかちて委
しく録し置り、合せ見るへし、
|
|
|
第6巻, 21ページ, タイトル: アツトシカルヲケレの図 |
|
|
|
第6巻, 22ページ, タイトル: |
| 此図はアツトシを織りあけたるさま也、アツトシカル
ヲケレといふは、アツトシアルは前にしるせしと同しく、
ヲケレは終る事にて、アツトシ造る事終るといふ事也、
其織りあけたるまゝのアツトシをウセフアツトシといへり、
ウセフは純色といふか如き事にて、織りあけたるまゝの
アツトシといふ心なり、 本邦の語に、木綿の織りたる
まゝにて、何の色にも染さるを白木綿といふか如し、アツトシ
の織りあけたるさま図の如くに、下のかたの幅を狭くなし
たる事は、上の方は身衣となすへきつもりゆへ、幅を
広く織り、下の方は袖となすへきつもり故、幅を狭く
織るなり、その身衣幅と袖幅とに織りわくるさかひを
トシヤトイと称す、トシヤは袖をいひ、トイは切る事をいひ
て、袖を切るといふ事なり、又衣に製するところの
長短もかねて、著る人のたけをはかり定め置て、少しの
余尺もなきよふに織事なり、
|
|
|
第7巻, 1ページ, タイトル: 蝦夷生計図説 チセカル之部 七 |
|
|
|
第7巻, 15ページ, タイトル: ハルケの図 |
| ハルケは縄をいふ也、此語の解いまた詳ならす、追て
かんかふへし、凡夷人の縄として用るもの三種有、
其一は菅に似たる草をかりて、とくと日にほし、
それを縄になひて用ゆ、この草は松前の方言に
ヤラメといふものなり、
此草の名夷語に何といひしにや尋る事をわすれ
たるゆへ、追て糺尋すへし、夷人の用る筵よふのものにて
キナと称するものもミな此草を編て作れる也、夷地の
|
☆ ハルケ【ハ*ラキカ:harkika/縄】は縄のことをいうのである。このことばの解釈はまだよくわからないので、改めて考えることにしたい。総じて、アイヌの人びとが縄として使うものには三種類がある。そのひとつは、
菅に似た草を刈って、よく日に干してそれを縄に綯って使う。この草は松前の方言でヤラメというものである。
<註:この草の名をアイヌ語でなんというのか聞くことを忘れたので、改めて聞きただす
ことにしたい。アイヌの人びとが用いる筵のようなもので、キナ【キナ:kina/ござ】というものもすべ
てこの草を編んで作るのである。蝦夷地の
|
|
第7巻, 17ページ, タイトル: シリカタカルの図 |
|
|
|
第7巻, 18ページ, タイトル: |
| 前に図したるものミな備りてより、家を立る
にかゝるなり、先つ初めに屋のくミたてをなす
事図の如し、是をシリカタカルと称す、シリは下の事
をいひ、カタは方といはんか如し、カルは造る事をいひ
て、下の方にて造るといふ事なり、これは夷人の境、
万の器具そなハらすして、梯とふの製もたゝ独木に
脚渋のところを施したるのミなれは、高きところに
登る事便ならす、まして 本邦の俗に足代
なといふ物の如き、つくるへきよふもあらす、然るゆへ
に柱とふさきに立るときは屋をつくるへきた
よりあしきによりて、先つ地の上にて屋のくミ立を
なし、それより柱の上に荷ひあくる事也、これ屋の下の
方にて造れるをもてシリカタカルとはいふ也、右屋の
くミたて調ひ荷ひあくる計りになし置て、其大小
広狭にしたかひて柱を立る事後の図のことし、
|
☆ 以上に図示したものがみんなそろってから、家を建てるのにかかるのである。まずはじめに屋根の組みたてをすること図のとおりである。これをシリカタカルという。シリ【シ*リ:sir/地面】は下のことをいい、カタ【カ タ:ka ta/の上 で】は方というのとおなじであり、カル【カ*ラ:kar/作る】は作ることをいって、下の方で造るということである。
これはアイヌの人びとの国ではたくさんの有用な道具がそろっていないので、はしごなどをこしらえるのもただ丸木に足がかりを彫っただけなので高いところに上るには向いていない。まして、わが国のならわしにある足がかり?などというようなものを造ることもしない。だから、柱などをはじめに建ててしまったら、屋根を造るのにぐあいが悪いので、まず、地上で屋根の組み立てをおこなって、それから柱の上にかつぎ上げるのである。このように、屋根を下の方で造るのでシリカタカルというのである。右のように、屋根を組み立て整えておいて、かつぎ上げるばかりにしておいて、その家の大小や広い狭いにしたがって柱を建てるようすは後の図に示しておいた。
|
|
第7巻, 43ページ, タイトル: エリモシヨアルキイタの図 |
| エリモシヨアルキイタといふは、エリモは鼠を
いひ、シヨアルキは来らすといはんか如し、
イタは板の事にて、鼠の来らさる板といふ事なり、
是は前に図したる如く、蔵の床を高くなし
て鼠をふせくといへとも、なを柱をつたひ上らん事を
はかりて、床柱の上に図の如くなる板を置、のほる
事のならさるよふになす也、すへて夷人の境、鼠
多して物をそこなふゆへ、さまーーに心を用ひて
|
☆ エリモシヨアルキイタというのは、エリモ【エ*レム、エル*ム:ermu, erum/ネズミ】はねずみをいい、シヨアルキ【ソモ ア*ラキ:somo arki/ない 来る→来ない】は来ないというような意味、イタ【イタ:ita/板】は板のことで、ねずみが来ない板という意味である。
これは前に図示したように蔵の床が高くなっていてそれでねずみを防ぐのではあるけれども、さらに柱を伝いあがってくるかもしれないことを考えて、床柱の上に図のような板をおいて、登ることがないようにするのである。総じて、アイヌの人びとの国はねずみが多くて物が被害にあうのでさまざまに用心して |
|
第8巻, 1ページ, タイトル: 蝦夷生計図説 ウカル之部 八 大尾 |
|
|
|
第8巻, 3ページ, タイトル: ウカルの図 |
|
|
|
第8巻, 4ページ, タイトル: |
| 夷人のうち悪事をなす者あれハ、其所の夷人
ならひに親族のもの集りて、図の如くに其者を
拷掠し、罪を督す事也、是をウカルといふ、此語の
解未さたかならすといへとも、夷語に戦の事をも
ウカルといふ事あり、
戦の事をイトミともいひ、またウカルとも
いふ也、夷人の戦といへる事ハ、意味殊に深き事にて、
委しくハ戦の部にみえたり、
これハ 本邦辺鄙の人の言葉に、人を強く
うち倒す事をウチカスムルといふ事あり、戦は
いつれ人をうち倒すをもて事とするゆへ、此
言葉を略してウカルとはいふなるへし、さらは
此処にて人の罪あるを督すも、又拷掠するを
以てのゆへに同しくウカルとハ称するにや、
ここにウカルのさまを図したる事ハ、夷人に
望て其行ふさまをなさしめて其侭を図し
|
☆ アイヌのなかで悪事をはたらくものがあれば、そのところのアイヌの人びとやかれの親族のものが集まって、図のようにかれをむち打って罪を責めとがめることがある。これをウカル【ウカ*ラ?:ukar?】というが、このことばの意味はまだよくわからないけれども、アイヌ語にいくさのことをウカルということがある。
<註:いくさのことはイトミ【イトゥミ:itumi/戦争】ともいい、またウカルともいうのである。アイヌの人びとの
いくさというのは、その意味にことさら深いものがあるが、詳しくは「いくさの部」
に述べてある>
これはわが国の辺鄙な土地に住んでいる人びとのことばに、人を強く打ち倒すことをウチカスムルということがある。いくさはどのみち人を打ち倒すことが目的なので、このことばを略してウカルというのであろう。そうであるならばこのところで人の罪をただすのも、また、むち打って罪を責めとがめるということであるからおなじくウカルというのではなかろうか。
<註:ここにウカルのようすを図示したのは、アイヌの人びと頼んでそれを行なうようす
をしてもらってそのままを描い
|
|
第8巻, 5ページ, タイトル: |
| たる也、是を行ふ事、たゝに刑罰の事のミとも
きこえす、時によりてハ其者を戒め慎ましめんか
ために行ふ事もありとミゆる也、後にしるせる
六種の法を見て知へし、
これを行ふの法、すへて六つあり、其一つは前に
いふ如く、悪行をなしたるものを打て其罪を督す也、
二つにハ夷人の法に、喧嘩争闘の事あれハ、負たる
者のかたよりあやまりの証として宝器を出す也、
是をツクノイと称す、
此宝器といへるは種類甚多して事長き故に、
こゝにしるさす、委しくハ宝器の部に見へたり、
其ツクノイを出すへき時にあたりて、ウカルの法を
行ひ拷掠する事あれハ、宝器を出すに及ハすして
其罪を免す事也、三つには人の変死する事有
とき、其子たる者に行ふ事あり、是ハ非業の死なる
ゆへ其家の凶事なりとて、其子を拷掠して恐懽
|
たものである。これを行なうことはただ刑罰のため
だけとも解釈できない。時によってはその者を戒めてつつしませるために行なうこ
ともあるらしい。後述する六種の法を見て考えてほしい>
ウカルを行なうしきたりにはみんなで六種類ある。
そのひとつは前述のように、悪いことをしたものを打ってその罪をただすことである。ふたつめはアイヌの人びとのおきてに、けんかや争い事があれば、負けた方からお詫びのしるしとして宝物を差し出すことがある。これをツグノイ【トゥクナイ?:tukunay?/償い】という。
<註:この宝物というのは種類がとても多く、説明すると長くなるのでここには述べな
い。詳しくは「宝器の部」に記してあるので参照されよ。>
そのツグノイを差し出すに際して、ウカルを行なってむち打たれることがあれば、宝物を差し出す必要はなくして、その罪が許されるのである。みっつめは、人が変死したときにその子に行なうことがある。変死というのは非業の死なので、その家の凶事であるから、その子をむち打って怖れ
|
|
第8巻, 6ページ, タイトル: |
| 戒慎せしめ、子孫の繁栄を祈る心なり、又其子
たる者親の非業の死をかなしミ憂苦甚しく、ほとんと
生をも滅せん事をおそれ、拷掠して其心気を励し
起さんかために行ふ事も有よし也、四つにハ父母の
死にあふ者に行ふ事有、是ハ其子たるものを強く
戒しめて父母存在せる時のことくに万の事をつゝしミ、
能家をさめしめん事を思ひて也、五つにハ流行の
病とふある時、其病の来れる方に草にて偶人を作り
立置て、其所の夷人のうち一人にウカルの法を行ひ
て、その病を祓ふ事有、六つにハ日を連て烈風暴雨等ある
とき、天気の晴和を祈て行ふ事有、此流行の
病を祓ふと天気の晴和をいのるの二つは、同しく拷掠
するといへとも、シユトに白木綿なとを巻て身の痛まさる
よふに軽く打事也、此ウカルの外に悪事をなしたる
者あれハ、それを罰するの法三つ有、一つにはイトラスケ、
二つにはサイモン、三つにはツクノイ也、イトラスケといふは、
|
慎ませて子孫の繁栄を祈るこころなのである。また、その子は親の非業の死を悲しみうれうることがはなはだしく、ほとんど命を失わんばかりになることを心配して、むち打つことでかれの気持ちを奮い起こすために行なうこともあるという。
よっつめは父母の死にあったものに行なうことがある。これはその子どもを強く戒めて両親が生きていたときのように万事を慎んで、うまく家を守るようにと願ってのことである。いつつめは、伝染病が流行したときなど、伝染病が来る方向に草で作った人形を立ておいて、その村の住人のひとりにウカルを行なって、病気のお祓いをするのである。むっつめは連日、暴風雨が吹き荒れたとき、天候の回復を祈って行なうことがある。
この伝染病のお払いと、天気の回復を祈ることのふたつは、おなじむち打つといっても、シユト【ストゥ:sutu/棍棒、制裁棒】に白木綿などを巻いてからだが痛まないように軽く打つのである。
ウカルのほかに、悪いことをしたものがあれば、かれを罰する方法にみっつある。
ひとつはイトラスケ、二はサイモン【サイモン:saymon/神判、盟神探湯】、三はツクノイである。イトラスケというのは、
|
|
第8巻, 9ページ, タイトル: |
| 是はウカルを行ふの時、拷掠するに用る杖なり、
シユトと称する事はシモトの転語なるへし、
本邦の語に□笞をしもとゝ訓したり、
これを製するには、いつれの木にても質の堅固
なる木をもて製するなり、其形ちさまーー変り
たるありて、名も又同しからす、後に出せる図を
見てしるへし、此に図したるをルヲイシユト
と称す、ルとは樋をいひ、ヲイは在るをいひて、
樋の在るシユトといふ事也、後に図したる如く
種類多しといへとも、常にはこのルヲイシユト
のミを用ゆる事多し、夷人の俗、此具をことの
外に尊ひて、男の夷人はいつれ壱人に壱本
つゝを貯蔵する事也、人によりてハ壱人にて
三、四本を蔵するもあり、女の夷人なとには
聊にても手をふるゝ事を許さす、かしらの
ところにハルケイナヲを巻て枕の上に懸置也、
|
☆ これはウカルをおこなうとき、むち打つのに用いる杖である。シユトという語はシモトの転語であろう。
<註:わが国のことばで楉笞を「しもと」と訓じている>
これを作るには、どんな木でも木質の堅い木を用いる。そのかたち、いろいろ変ったものがあって、名称も同じではない。あとに出した図を見て理解してほしい。
ここに図示したものをルヲイシユト【ruosutuあるいはruunsutu→ruuysutuか?】という。ル【ル:ru/筋】は樋をいい、ヲイ【オ:o/にある。ウン→ウイ?:un→uy?/ある?】は在るということで、樋の在るシユト【ストゥ:sutu/棍棒、制裁棒】ということである。後に図示したように種類は多くあるが、通常はこのルヲイシユトのみを使うことが多い。
アイヌの人びとのならいでは、この道具をことのほか尊んで、男はみなひとり一本づつもっているのである。ひとによっては、ひとりで三、四本をもっているものもあるが、女などにはわずかでも手を触れることを許さない。その頭のところにはハルケイナヲ【ハ*ラキ● イナウ:harki inaw/●】を巻いて、枕の上に掛けておくのである。
|
|
第8巻, 10ページ, タイトル: |
| またチセコルヌシヤサンの棚の上に納め置事も
あり、旅行する事なとあれハかならす身
をはなさす携へ持する事なり、年久しく家に
持伝へたるなとにハ、人をたひーー拷掠なしたるに
よりて、打たるところに皮血とふ乾き付て、
いかにもつよく拷掠したるさまミゆるなり、
それをは殊に尊敬して家に伝へ置事也、
|
またチセコルヌシャサン【チセコ*ロヌササン:cisekornusasan/屋内の祭壇】の棚の上に納めて置くこともあり、また、旅行をすることがあれば、かならず身からはなさず携えているのである。長年、家に伝世したものなどには、ひとをたびたびむち打ったので、打ったところには皮や血などが乾き付いていて、確かに強く打ったようすがみえるのである。それをまことに尊敬して家に伝えていくのである。
|