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"マチ": 4 件ヒット
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第1巻, 16ページ, タイトル: マチ子アベシヤマウシイナヲの図 |
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第1巻, 17ページ, タイトル: |
| この二つはひとしく火の神を祭るに用ゆれ
とも、男女のわかちあるによりて其形ちの替れる
なり、ビン子アベシヤマウシイナヲといふは、ビンは男子を
いふ、子は助語也、シヤマウシイナヲは前にいへると同し
事にて、男子火のそはに立るイナヲといふ事也、
マチ子アベシヤマウシイナヲといへるは、マチは婦女をいひ、
子は助語なり、アベシヤマウシは前と同し事にて、
婦女火のそはに立るイナヲといふ事也、此イナヲに
男女のわかちある事ハ、火の神に男女あるといふにも
あらす、唯祭れるイナヲに男女のわかち有よし也、
これを夷人に糺尋するといへとも、いまた其義の
詳なるを得す、追て考ふへし、思ふに乾男坤女の
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この二つは、同じく火の神を祭る際に用いるものであるが、男女の別があるために、その形状が異なっているものである。ビンネアベシヤマウシイナヲとは、「ビン」は男子を表わし、「ネ」は助詞、「シヤマウシイナヲ」は前述の通りであり、合わせて「男子の火のそばに立つイナヲ」という意味である。「マチネアベシヤマウシイナヲ」とは、「マチ」は婦女を表わし、「ネ」は助詞、「アベシヤマウシ」は前述の通りであり、合わせて「婦女の火のそばに立つイナヲ」という意味である。このイナヲに男女の別があるのは、火の神に男女の別があるからというわけではない。ただ祭るイナヲに男女の別があるのみであるという。このわけについてアイヌの人々に聞き尋ねてみたのだが、いまだにその理由を詳らかにできないでいる。追って後考を期したい。ただ思うに、乾男坤女の |
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第1巻, 18ページ, タイトル: |
| 義にて、たゝ陰陽の二つを男女と分ちたる事なる
へし、これらの事誰おしへたるにもあらねと、用る
ところのイナヲ男女のミなるにしたかひて、其削れ
るかたち自ら仰伏のたかひありて、陰陽の象を
表したること誠に天地の自然に出たるにてそある
へき、委しくは図を見てしるへし、夷語に男子を
ビンといへる事は、其義いまた詳ならす、婦女を
マチといへる事は、まさしく日本紀に命婦とかきて
マチと訓したり、此マチ子アベシヤマウシイナヲを一には
メノコアベシヤマウシイナヲともいへり、メノコといふも女の
事にて、是はとりもなをさす女子なるへし、
此二つのイナヲはヒロウといへる所の辺より
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意味合いで、単に陰陽の二つを男女として分けたのではないか。こうした区分を誰が教えたというわけでもなかろうが、用いられるイナヲが男女のみであり、また、その削られた形状も自然と仰伏の相違があり、陰陽の象を表わしている。こうした区分は、誠に天地の自然が為さしめたものであろう。詳しくは、図を御参照ありたい。アイヌ語で男子を「ビン」という訳は、いまだ詳らかではない。しかし、婦女のことを「マチ」というのは、まさしく『日本紀』に命婦と書いて「まち」と訓じているのと通じている。また、このマチネアベシヤマウシイナヲは別にメノコアベシヤマウシイナヲともいう。「メノコ」という語も女を意味しており、これはとりもなおさず女子のことであろう。この二つのイナヲは、ヒロウという所辺りから
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第4巻, 13ページ, タイトル: |
| なくよく守護たまはれといふ事也、
これは夷人の心に、およそ性ある物にハ
ことーーく魂魄ありとおほへたるによりて、
無情の木なれともかくイナヲをさゝけて
祭りをなし、其伐りとりしことハりを
のへて尊敬する也、魂魄を夷語にラマチと
称す、草木たにかくの如くなれハ、まして
有情の禽獣なと殺すときは、その精を
祭る事甚厚し、
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起こらないようによくお守りください」ということである。
これはアイヌの人びとの心のなかに、すべて性?あるものにはことごとく魂魄がそなわっているという考えがあるので、情というもののない樹木でさえも(それを伐採するときには)とのかくイナヲを捧げてお祈りをして、伐採する理由などをのべて敬虔に接するのである。魂魄をアイヌ語でラマチという。
草木にたいしてさえこのように接するのだから、情のある鳥やけだものを殺すときはその霊をお祭りすることにはとても敬虔なのである。
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