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第1巻, 12ページ, タイトル: アベシヤマウシイナヲの図 |
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第1巻, 13ページ, タイトル: |
| 此イナヲは火の神を祭る時に奉け用ゆるなり、
アべシヤマウシイナヲと称する事は、アベは火の事をいひ、
シヤマは物のそばをいひ、ウシは立つ事をいひて、
火のそはに立つイナヲといふ事也、此語なとハまさ
しく 本邦の語にも通するにや、アベは火の事
をいふにあたれり、
此事ハ語解の部に委しく論したり、こと
長けれはこゝにしるさす、
シヤマはソバの転語にして、ウシはアシの転語なる
へし、アシといへる事は、もと立つ事をいふとミゆる也、
人の脚をあしといへるも立つ事より出たるにや、
机案の類のしたに立たるところをあしといひ、
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このイナヲは、火の神を祭るときに奉げ用いるものである。アベシヤマウシイナヲとは、「アベ」が火を、「シヤマ」が物のそばを、「ウシ」が立つことをそれぞれ表わし、合わせて「火のそばに立つイナヲ」という意味である。この語などはまさしく、我が国の言葉にも通じているように思われる。「アベ」とは、まさに火のことを言うのに当たっている。
* 「アベ」が火のことを指すということについては、本稿「語解の部」で詳しく論じている。長くなるのでここには記さない。
「シヤマ」は「そば」の転語であり、「ウシ」は「あし」の転語であろう。「あし」というのは、元来立つことを指していたと考えられる。人の足を「あし」というのも、立つことから出た言葉であろう。机などで下に立ててある部分を「あし」といい、 |
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第1巻, 14ページ, タイトル: |
| 其外雲あし、雨あしなといへる事も、ミなその
立るかたちをいへる也、かく見る時はアベシヤマウシ
は火のそばに立つといふ事に通するなり、この
イナヲは夷地のうちシリキシナイといふ所の辺
よりヒロウといへる所の辺まてにもちゆる也、
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またその他「雲あし」・「雨あし」などという事例も、皆それが立っている形を指しての言葉である。こう考えてくると、「アベシヤマウシ」を「火のそばに立つ」と言っていることと相通じてくるのである。このイナヲは、蝦夷地のうちシリキシナイ(尻岸内)という所からヒロウ(広尾)という所の辺りまでの地域で用いられている。 |
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第1巻, 15ページ, タイトル: ビン子アベシヤマウシイナヲの図 |
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第1巻, 16ページ, タイトル: マチ子アベシヤマウシイナヲの図 |
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第1巻, 17ページ, タイトル: |
| この二つはひとしく火の神を祭るに用ゆれ
とも、男女のわかちあるによりて其形ちの替れる
なり、ビン子アベシヤマウシイナヲといふは、ビンは男子を
いふ、子は助語也、シヤマウシイナヲは前にいへると同し
事にて、男子火のそはに立るイナヲといふ事也、
マチ子アベシヤマウシイナヲといへるは、マチは婦女をいひ、
子は助語なり、アベシヤマウシは前と同し事にて、
婦女火のそはに立るイナヲといふ事也、此イナヲに
男女のわかちある事ハ、火の神に男女あるといふにも
あらす、唯祭れるイナヲに男女のわかち有よし也、
これを夷人に糺尋するといへとも、いまた其義の
詳なるを得す、追て考ふへし、思ふに乾男坤女の
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この二つは、同じく火の神を祭る際に用いるものであるが、男女の別があるために、その形状が異なっているものである。ビンネアベシヤマウシイナヲとは、「ビン」は男子を表わし、「ネ」は助詞、「シヤマウシイナヲ」は前述の通りであり、合わせて「男子の火のそばに立つイナヲ」という意味である。「マチネアベシヤマウシイナヲ」とは、「マチ」は婦女を表わし、「ネ」は助詞、「アベシヤマウシ」は前述の通りであり、合わせて「婦女の火のそばに立つイナヲ」という意味である。このイナヲに男女の別があるのは、火の神に男女の別があるからというわけではない。ただ祭るイナヲに男女の別があるのみであるという。このわけについてアイヌの人々に聞き尋ねてみたのだが、いまだにその理由を詳らかにできないでいる。追って後考を期したい。ただ思うに、乾男坤女の |
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第1巻, 18ページ, タイトル: |
| 義にて、たゝ陰陽の二つを男女と分ちたる事なる
へし、これらの事誰おしへたるにもあらねと、用る
ところのイナヲ男女のミなるにしたかひて、其削れ
るかたち自ら仰伏のたかひありて、陰陽の象を
表したること誠に天地の自然に出たるにてそある
へき、委しくは図を見てしるへし、夷語に男子を
ビンといへる事は、其義いまた詳ならす、婦女を
マチといへる事は、まさしく日本紀に命婦とかきて
マチと訓したり、此マチ子アベシヤマウシイナヲを一には
メノコアベシヤマウシイナヲともいへり、メノコといふも女の
事にて、是はとりもなをさす女子なるへし、
此二つのイナヲはヒロウといへる所の辺より
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意味合いで、単に陰陽の二つを男女として分けたのではないか。こうした区分を誰が教えたというわけでもなかろうが、用いられるイナヲが男女のみであり、また、その削られた形状も自然と仰伏の相違があり、陰陽の象を表わしている。こうした区分は、誠に天地の自然が為さしめたものであろう。詳しくは、図を御参照ありたい。アイヌ語で男子を「ビン」という訳は、いまだ詳らかではない。しかし、婦女のことを「マチ」というのは、まさしく『日本紀』に命婦と書いて「まち」と訓じているのと通じている。また、このマチネアベシヤマウシイナヲは別にメノコアベシヤマウシイナヲともいう。「メノコ」という語も女を意味しており、これはとりもなおさず女子のことであろう。この二つのイナヲは、ヒロウという所辺りから
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第3巻, 23ページ, タイトル: |
| アマヽイベといへる事は、アマヽは穀食をいひ、イベ
は喰ふ事をいひて、穀食を喰ふといふ事也、
夷人の食事は、多くは一日に両度なり、時に
より客なと来りて物語らふ夜なとハ、三四度
其余にも及へる事あり、
但し、食するの度数たしかにかく定り
たるといふにはあらす、時によりてかハれる事もあれと、
まつ平常のさまを録せる也、凡是等の事、
本邦食事の度数さたまりたるなとには比して、
論しかたきところ也、
其食せるにハ、まつ初めに汁を食してそれ
より粥を食する也、いつれ汁を先に食し粥を
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アママイベとは、「アママ」が穀物を、「イベ」が食べることを表し、「穀物を食べる」という意味である。アイヌの人々の食事は、多くは一日二度である。時によって、来客などがあり、語り合いがなされる夜などは、一日三~四度、あるいはそれ以上に及ぶこともある。
*但し、食事の回数はきっちりとこう定まっている、というわけではなく、時によって変わることもあるが、とりあえず通常の回数を記したまでである。こうした点は、わが国において食事の回数がきっちりと定められているのとは比較して論じ難いところである。
食事の時には、まず最初に汁を食して、それから粥に移る。何としても汁をにして粥を
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第3巻, 25ページ, タイトル: |
| 粥計りを食しをく事もあり、又あるときは
魚はかりを食しをく時もある也、ここに図する
ところは粥を食するさまゆへ、アマヽイベと題表を
しるせし也、右三種のものを食するに、
本邦の人の如くいく椀をもかへて喰ふという
事はあらす、いつれも一椀をもて其限りとす、
三種の物の中あるは二種あるは一種の物を
食する時も、又各一椀つゝをもて限りとする也、
是等の事いかなるゆへによりてかくハ定め
たりけん、三種の物ミな次第して烹るときハ、一種を
一椀つゝ喰ひても凡て三椀の食にあたるへし、三種の
物の具さらんにハ、あるは二椀を食するにとゝまり、
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あるいは粥だけの食事もある。またある時は魚だけの食事もある。ここに掲げた図は、
粥を食する様子なので、「アママイベ」と表題をつけたのである。いま記した三種類のものを食するに際して、わが国の人のように、幾椀もお代わりして食べるということはない。すべて一椀ずつで済ませてしまう。
三種類のもののうち二種類あるいは一種類だけの食事の場合も、同じく一椀ずつで済ませるのである。
* どうした理由で、こうしたことを定めているのだろうか。三種類のものを皆そろえて煮ることができる場合は、一種類を一椀ずつとしても三椀食することになろう。一方、三種類のものが揃わなかったときは、二椀もしくは
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第4巻, 11ページ, タイトル: 舟敷の大概作り終りて木の精を祭る図 |
| 舟敷の大概つくり終りてより、其伐り
とりし木の株ならひに梢にイナヲを
さゝけて木の精を祭る事図の如し、其祭る
詞にチクニヒリカノヌウハニチツフカモイキ
ヤツカイウエンアンベイシヤムヒリカノイカシコレ
と唱ふ、チクニは木をいひ、ヒリカはよくといふ事、
ヌウハニは聞けといふ事、チツフは舟をいひ、
カモイは神をいひ、キは為すをいひ、ヤツカイは
よつてといふ事、ウエンアンベは悪き事を
いひ、イシヤムは無きをいひ、ヒリカは上に同し、
イカシは守護をいひ、コレは賜れといふ事にて、
木よく聞け、舟の神となすによつて悪事
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☆ 船体のおおよそを造り終わってから、その伐りとった木の株と梢にイナウを捧げて木の霊をお祭りすることは図にしめしたとおりである。その祈りことばは「チクニヒリカノヌウハニチツフカモイキヤツカイウエンアンベイシヤムヒリカノイカシコレ」と唱えるのである。その意味はチクニは木のことをいい、ヒリカはよくということ、ヌウハニは聞けということ、チツフは舟のことをいい、カモイは神をいい、キはするといい、ヤツカイはよってということ、ウエンアンベは悪いことをいい、イシヤムは無いということ、ヒリカは上と同じ、イカシは守護をいい、コレはしてくださいということであって、「木よ、よく聞いてください。あなたを舟の神とするので、悪いことが
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第4巻, 12ページ, タイトル: |
| 舟敷の大概つくり終りてより、其伐り
とりし木の株ならひに梢にイナヲを
さゝけて木の精を祭る事図の如し、其祭る
詞にチクニヒリカノヌウハニチツフカモイキ
ヤツカイウエンアンベイシヤムヒリカノイカシコレ
と唱ふ、チクニは木をいひ、ヒリカはよくといふ事、
ヌウハニは聞けといふ事、チツフは舟をいひ、
カモイは神をいひ、キは為すをいひ、ヤツカイは
よつてといふ事、ウエンアンベは悪き事を
いひ、イシヤムは無きをいひ、ヒリカは上に同し、
イカシは守護をいひ、コレは賜れといふ事にて、
木よく聞け、舟の神となすによつて悪事
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☆ 船体のおおよそを造り終わってから、その伐りとった木の株と梢にイナウを捧げて木の霊をお祭りすることは図にしめしたとおりである。その祈りことばは「チクニヒリカノヌウハニチツフカモイキヤツカイウエンアンベイシヤムヒリカノイカシコレ」と唱えるのである。その意味はチクニは木のことをいい、ヒリカはよくということ、ヌウハニは聞けということ、チツフは舟のことをいい、カモイは神をいい、キはするといい、ヤツカイはよってということ、ウエンアンベは悪いことをいい、イシヤムは無いということ、ヒリカは上と同じ、イカシは守護をいい、コレはしてくださいということであって、「木よ、よく聞いてください。あなたを舟の神とするので、悪いことが |
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第4巻, 38ページ, タイトル: |
| これ舟を造るに板を縫ひあハするの縄なり、
テシカと称するハ、テシは木をとちあはする
事をもいひ、又筵なとをあむことをもいふ、カは糸の
事にて、物をとちあハする糸といふ事也、テシカ
に三種あり、一種はニベシといふ、木の皮をはき縄
となして用ゆ、一種は桜の皮をはきて其侭
もちゆ、一種は鯨のひけをはぎて其まゝ
用ゆ、いつれも図を見て知へし、三種の中
鯨のひげをハ多くビロウよりクナシリまての
舟にもちゆ、シリキシナイよりビロウ迄の地は
鯨をとる事まれなる故、用るところのテシカ
多くは桜とニベシとの皮を用ゆる也、
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これは舟を造るとき、板を縫い合わせる縄である。テシカと称するのは、テシは木を綴じ合わせることもいい、またむしろなどを編むこともいう。カは糸のことで、「物を綴じ合わせる糸」ということである。
テシカに三種類あって、ひとつはニベシという。木の皮を剥いで縄に作って用いる。ひとつは桜の皮を剥いでそのまま使う。いまひとつは鯨の髭を剥いでそのまま用いる。いずれも図で見てほしい。三種類のうち、鯨のひげはビロウからクナシリまでの舟で多く使用される。シリキシナイからビロウまでの地方は鯨を捕ることがあまりないので、使用するテシカの多くは桜とニベシの皮である。
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第5巻, 4ページ, タイトル: |
| 舟の製作が完全に終ってから、図のようにイナヲを舳に立てて、舟神を祭るのである。舟神は、今、日本の船乗りのことばで舟霊(ふなだま)というものと同様である。それを祈ることばに「チプカシケタウエンアンベイシヤマヒリカノイカシコレ」という。
チプは舟をいい、カシケタは上にということ、ウエンは悪いことをいい、アンベは有ることをいい、イシヤマは無いということ、ヒリカは良いということ、イカシは守ることをいい、コレは賜れということで、「舟の上で悪いことがあることなくよく守り賜え」ということである。この舟神に祈ることはただ、船上での安全を祈願するだけではない。新しく作る
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舟の製作全く整ひて後、図の如くイナヲ
を舳に立て舟神を祭るなり、舟神は今
本邦舩師の語に舟霊といふか如し、其
祈る詞に、チプカシケタウエンアンベイシヤマヒリ
カノイカシコレと唱ふ、チプは舟をいひ、カシケタは
上にといふ事、ウエンは悪き事をいひ、アンベは
有る事をいひ、イシヤマは無き事をいひ、
ヒリカはよきをいひ、イカシは守護をいひ、
コレは賜れといふ事にて、舟の上悪き事
ある事なくよく守護を賜へといふ
事なり、此舟神を祈る事ハ、唯舟上の
安穏を願ふのミにあらす、新たに造れる
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第6巻, 3ページ, タイトル: 衣服製作の総説 |
| 衣服製作の総説
凡夷人の服とするもの九種あり、一をジツトクと
いひ、二をシヤランベといひ、三をチミツプといひ、
四をアツトシといひ、五をイタラツペといひ、六をモウウリといひ、
七をウリといひ、八をラプリといひ、九をケラといふ、
シツトクといへるは其品二種あり、一種ハ 本邦より
わたるところのものにて、綿繍をもて製し、かたち
陣羽織に類したるもの也、一種は同しく綿繍
にて製し、形ち明服に類したるものなり、夷人の
伝言するところは、極北の地サンタンといふ所の人カラ
フト島に携へ来て獣皮といふ物と交易するよしを
いへり、すなはち今 本邦の俗に蝦夷にしきと
いふものこれ也、この二種の中、 本邦よりわた
るところのものは多してサンタンよりきたるといふ
ものハすくなしとしるへし、シヤランベといへるは
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衣服製作の総説
☆一般にアイヌの人びとが衣服としているものに九種類ある。一はジツトク、二はシヤランベ【サランペ:saranpe/絹】、三はチミツプ【チミ*プ:cimip/衣服】、四はアツトシ【アットゥ*シ:attus/木の内皮を使った衣服】、五はイタラツペ【レタ*ラペ?:retarpe?/イラクサ製の衣服】、六はモウウリ【モウ*ル:mour/女性の肌着】、七はウリ【ウ*ル:ur/毛皮の衣服】、八はラプリ【ラプ*ル:rapur/鳥の羽の衣服】、そして九はケラ【ケラ:kera/草の上着】である。
☆ジットクというものには二種類ある。一種は本邦より渡ったもので、錦で作られたもので、かたちは陣羽織に類するものである。いまひとつはおなじく錦で作られており、そのかたちは明の朝服に類するものである。アイヌの人びとの伝えていうには、極北のサンタン【サンタ:santa/アムール川周辺】というところの地に住んでいる人びとがカラフト【カラ*プト:karapto/樺太】島へ持ってきて、アイヌの人びとのもつ獣皮というものと物々交換するのであると。これがいま世間でいう「蝦夷にしき」なのである。この二種類のジットクのうち、わが国からわたったものが多く、サンタンから来たものはすくないと知っておくべきである。 |
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第6巻, 4ページ, タイトル: |
| 本邦よりわたるところのものにて、古き絹の
服なり、チミツブといへるも同しく 本邦より
わたるところの古き木綿の服なり、此三種の衣は
いつれも其地に産せさるものにて得かたき品ゆへ、
殊の外に重んし、礼式の時の装束ともいふへきさま
になし置き、鬼神祭礼の盛礼か、あるは
本邦官役の人に初て謁見するとふの時にのミ服用
して、尋常の事にもちゆる事はあらす、其中殊に
シツトクとシヤランベの二種は、其品も美麗なるをもて、
もつとも上品の衣とする事也、アツトシ、イタラツベ、モウウリ、
ウリ、ラプリ、ケラこの六種の衣はいつ
れも夷人の製するところのもの也、その中、モウウリ
は水豹の皮にて造りしをいひ、ウリはすへて獣皮
にて造りしをいひ、ラフリは鳥の羽にて造りしを
いひ、ケラは草にて造りしをいふ、この四種はいつれも
下品の衣として礼服とふには用る事をかたく禁
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第6巻, 5ページ, タイトル: |
| するなり、たゝアツトシ、イタラツベの二種は夷人の
製するうちにて殊に上品の衣とす、其製するさまも
本邦機杼の業とひとしき事にて、心を尽し力を
致す事尤甚し、此二種のうちにもわけてアツトシ
の方を重んする事にて、夷地をしなへて男女ともに
平日の服用とし、前にしるせし鬼神祭祀の時あるは
貴人謁見の時とふの礼式にシツトク、シヤランベ、チミツプ
三種の衣なきものは、ミな此アツトシのミを服用する事也、
其外の鳥羽・獣皮とふにて製せし衣はかたく禁
断して服する事を許さす、
凡この衣服の中、機杼より出たるをは尊ミ、鳥
獣の羽皮とふにて製したるを賤しミ、かつ
礼式ともいふへき時に服用する衣は製禁を
もふけ置く事なと、辺辟草莽の地にありてハ
いかにも尊ふへき事なり、其左衽せるをもて戎狄の
属といはん事、尤以て然るへからす、教といふ事のなき
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第6巻, 6ページ, タイトル: |
| 地なれは、其人から小児とことなる事なし、左手の
便なるものは左衽し、右手の便なるものは右衽
せるなるへし、すてに蝦夷のうちまれにハたれ
教るにもあらすして、右衽せるものもあるなり、
もし教化の明に開けんには、靡然として 本邦の人
物とならん事、何の疑かあるへき、
右九種の服のうち、其上下の品わかりたる事かく
の如し、今この書に其図を録せんとするに、九種の
うちジツトクは蝦夷錦と称して 本邦の人
熟知するところの物、シヤランベ、チミツプの二種ハすな
はち 本邦の服なるをもて、此三種の衣は
いつれも図をあらはすに及ハす、モウウリ、ウリ、
ラプリ、ケラ四種のものはいつれもたゝ鳥羽・獣
皮とふにて造れる事ゆへ、其製しかた別に
録すへきよふもあらす、こゝをもて唯其全備のさ
まを一種つゝ図にあらハせり、たゝアツトシの一種のミハ
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第6巻, 7ページ, タイトル: |
| 其造れるさまも殊に艱難にて、 本邦機杼
の業とひとしき事ゆへ、其製しかたの始終本末
子細に図に録せるなり、イタラツベといふもアツトシ
とひとしき物ゆへ、これ又委しく録すへき理
なりといへとも、此衣は夷地のうち南方の地とふにてハ造り
用る者尤すくなくして、ひとり北地の夷人のミ稀に
製する事ゆへ、其製せるさま詳ならぬ事とも
多し、しかれともその製するに用る糸は夷語に
モヲセイ、ニハイ、ムンハイ、クソウといへる四種の草を
日にさらし、糸となして織事ゆへ、其製方の始末
全くアツトシとことならさるよしをいへり、こゝをもて
此書にはたゝアツトシの製しかたのミを録して、
イタラツペのかたは略せるなり、
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第6巻, 26ページ, タイトル: アツトシミアンベの図 |
| これは前にしるせし身衣と袖とを縫ひ合セ、背の
ところに刺繍の文をつけ、其外袖と裾との縁にもかさりを
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第6巻, 27ページ, タイトル: |
| なして衣の製全くとゝのひし図也、是をアツトシミアンベ
と称す、ミは著る事をいひ、アンベは物といふ事にて、アツトシ
の著るものといふ事也、すへて此衣は夷人の平日服するものなれ
とも、他の獣皮・鳥羽とふにて製したる衣とは格別に
たかひて、礼式の服のことくに尊ふ事也、ことに女子なとは
時により下に鳥羽・獣皮とふの衣を著する事ありても、
いつれその上にこのアツトシの衣を 本邦の
俗にかいとりともいふへきさまに打かけて服す、もし
しからすしてたゝ鳥羽・獣皮とふの衣のミを服する
をハ、甚の無礼となして戒る事なり、その厳密なる
事、女子衣服の製度ともいふへし、たゝ女子のミにあらす、
総説にもしるせし如く、男子といへともまた此衣を尊ミて、官
長の人にま見へおよひ、祭祀とふよろつ謹ミの時にのそミては、シツ
トク・シヤランベとふ装束ともいふへきものなきものは、ミなこの
アツトシのミを服用す、其外鳥羽・獣皮とふの衣はかたく
禁止して著用する事なし、
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第7巻, 8ページ, タイトル: トンドベレバの図 |
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第7巻, 9ページ, タイトル: |
| トントベレバといへるは、トンドは柱をいひ、ベレバは
割事をいひて、柱を割といふ事なり、是は伐り
出せし木の長短を度りて、よりよくーー切り
揃へ、細きは其まゝ用ひ、太きは二つに割て柱と
なす事也、すへて夷人の境、器具とほしくし
て鋸よふの物もなけれは、かゝる事をなすにも図の
如く斧をもて切りわり、その上を削りなをす也、
柱のミならす板を製するといへとも、又同しく
斧にて切りわる事ゆへ、其困難にして力を
労する事いふはかりなし、
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☆トントベレバというのは、トンド【トゥントゥ:tuntu/(大黒)柱】は柱の意味、ベレバ【ペ*レパ:perpa/割る】は割ることで、柱を割るということである。これは伐り出した木の長短を測ってよりよくよりよく切り揃えて、細い木はそのまま用い、太い木はふたつに割って柱とするのである。総じて、アイヌの国では道具に乏しくて鋸のようなものもなければ、木をふたつに割るのにも図のように斧でもって切り割り、その上を削りなおすのである。
柱ばかりではなく、板を造るときであってもまた同様に斧で切り割るのでその作業の困難でかつつかれることについてはいうこともできない。 |
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第7巻, 11ページ, タイトル: |
| トンドは柱の事也、図に二種出せる事は、上
下の品あるゆへなり、上に図したるは岐頭の木に
して、桁のくゝみに其まゝ岐頭のところを用る也、
是をイクシベトンドと称す、イクシベは岐頭の木を
いひ、トンドは柱をいひて、岐頭の木の柱といふ事也、
是を下品の柱とす、下に図したるは常の柱にして、
桁のくゝみを筥の如くなして用る也、これをバロ
ウシトンドと称す、バロは口をいひ、ウシは在るをいひて、
口のある柱といふ事なり、是を上品の柱とす、
すへて夷人の境、居家の製はその形ち大小広狭の
たかひありて一ならすといへとも、柱の製はこの
二種に限る事なり、
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☆ トンドは柱のことである。二種類を図示したのは、上下の品があるためである。上に図示したのは頭が分かれた二股の木で、桁のくくみ?にそのまま二股のところを使うのである。これをイクシベトンドという。イクシベ【イク*シペ:ikuspe/柱】は二股の木をいい、トンド【トゥントゥ:tuntu/(大黒)柱】は柱のことで二股の木の柱ということである。これを下品の柱とする。
下に図示したのは通常の柱で、桁のくくみ?を丸い箱のようにして使うのである。これをバロウシトンドという。バロ【パロ:paro/その口】は口のことをいい、ウシ【ウ*シ:us/にある】は在るといって、口のある柱という意味である。これを上品の柱とする。総じてアイヌの人びとの国は、家の製法はその形、大小、広狭の違いがあって、同一ではないといっても、柱の製法はこの二種類に限られているのである。
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第7巻, 12ページ, タイトル: シヨベシニの図 |
| シヨベシニといふは桁の
事なり、この語の解
いまた詳ならす、其造れる
さまは 本邦の
茅屋なとに用る桁と
たかふ事はあらす、
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☆ シヨベシニ【ソペ*シニ:sopesni/桁】というのは桁のことである。このことばの解釈はまだはっきりとはしない。その造ったようすはわが国の茅葺き屋根の家などで用いている桁と違いはない。 |
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第7巻, 41ページ, タイトル: |
| プは夷人の物を入れ置ところにして、
本邦にいはゝ蔵の如きもの也、プといへるはもと器の
事にもいへり、たとへは矢を入る筒をアイイヨツプ
といふか如し、アイは矢をいひ、イヨツは入るをいひ、プは
器をいひて、矢を入る器といふ事也、又物といふ事にもきこ
ゆるにや、アイイヨツプといふを矢を入る物とも解すへし、然れ
とも物といふ語は別にベといふ事ある時は、いつれ器と
解するを得たりとす、しかれハ何のプ某のプといふときは
器の事になり、たゝプと計りいふときは蔵の事になる也、これは
蔵といへるも、もと物を入れをくところゆへ同しく
器の類といふ心にてかくいふと見ゆるなり、
プといへるの解は、委しく語解の部にミえたり、
すへて此等の事、夷人の境言語のかすすくなく
して、物をかねていふゆへなり、
言語のかす少して、言は一つにて物をかねていふ
といへる事は、アユシアマヽの部に委しくミえたり、
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☆プ【プ:pu/倉】はアイヌの人びとが物を入れておくところで、わが国でいう蔵のようなものである。プというのはもと器のことにもいう。たとえば、矢筒をアイイヨツプというように、アイ【アイ:ay/矢】は矢、イヨツ【オ:o/に入っている】は入れるをいい、プ【*プ:p/もの】は器をいって、矢を入れる器ということである。また、プは物ということという意味があるのかもしれない。アイイイヨツプを矢を入れる物とも解釈できる。しかしながら、物という語はほかにベ【ペ:pe/もの】という語もあり、どのみち器という意味に解釈することができる。だから、「何のプ」「だれそれのプ」というときは器のことになり、ただ、プとだけいうときは蔵のことになるのである。これは蔵といえども、もともと物を入れておくところなのでおなじく器のたぐいという意味あいがあってこのようにいうのであろう。
<註:プの解釈は、詳しくは「語解の部」にある。>
【●校訂者註:厳密に言うと、プpuと*プpは別の単語である。また、「もの」という意味の*プpとペpeは、直前の音が母音の場合は*プp、子音の場合はペpeのかたちをとる】
総じて、これらのようなことおこるのは、アイヌの人びとの国では語彙のかずが少ないので物を兼ねていうからである。
<註:語彙数が少ないのでことばひとつでいくつかの物をかねていうことは「アユシア
マヽの部」に詳しい。>
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