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第1巻, 6ページ, タイトル: |
| イナヲは 本邦にいふ幣帛の類なるにや、
都て蝦夷の俗は質素純朴なるによりて、天地の
事より初め神道を尊ひおそるゝ事、其国第一の
戒めたり、然るゆへに何事を為すにつきても、まつ
神明を尊ひ祭る事をつとめとして、是をカモイ
ノミと称す、
カモイは神をいひ、ノミは祈る事をいひて、
神を祈るといふ事也、日本紀に神祈とかきて
カミイノミと訓したると同し事なるにや、
委しくはカモイノミの部に見ゑたり、カモイノミの部未成
其カモイノミを行ふには、かならす此イナヲを用る
事故、神明を祭るにさしつひて大切なる物と
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イナヲとは、わが国でいう幣帛の一種のことと考えられる。「蝦夷」の風俗は、概ねにおいて質素純朴である。彼らの国の開闢以来一番の戒めとして、神道を尊び畏怖することを挙げているほどだ。従って、何事をするにつけても、まず神明を尊び祭ることを旨としており、それをカモイノミと称している。
*カモイは神を意味し、ノミは祈るという意味であり、神を祈るという意味である。『日本紀』(『日本書紀』)に「神祈」とかいて「カミイノミ」と訓ませている事例と同じことであろうか。詳しくは本書「カモイノミの部」を参照されたい。<割注:カモイノミの部未成>
カモイノミを行なうには、必ずこの図にあるようなイナヲを用いることになっている。それゆえ彼らにとってイナヲは、神明を祭るにあたって重要なものと
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第1巻, 7ページ, タイトル: |
| する事也、是を製せんとすれは、潔斎ともいゝつ
へきさまに、まつ其身を慎ミいさきよくす
る事をなして、それより図の如くに製する也、
潔斎ともいふへき事は夷語にイコイコイと
いひて、身を慎ミいさきよくする事のある也、委し
くはカモイノミの部にミえたり、
是を製するに、小刀よふの器も、よのつねのは
用ひす、別にイナヲを製するためにたくハへ置
たるを取りいてゝ用ゆ、イナヲに為すへき木ハ何の
木とさたまりたるにもあらねと、いつれ質の白く
して潔き木にあらされハ用ひす、其の削り出し
たる木のくすといへとも妄にとりすつる事は
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位置づけられている。
イナヲを作製するにあたっては、まるで潔斎でもするかのような様子で、その身を慎み清める行ないをしたうえで、図のような作業にかかるのである。
*潔斎でもするかのような行為のことについてであるが、彼らの言葉でイコイコイという、身を慎み清める行ないがある。イコイコイについての詳細は、本稿「カモイノミの部」を参照されたい。
イナヲを作製するにあたっては、日常用いている小刀は使用されない。特別にイナヲ作成用としてしまってあるものを取り出して用いるのである。イナヲとなる樹木の種類についてであるが、定まった決まりがあるわけではない。ただし、どんな種類であっても材質が白く清潔な木でなければ用いられることはない。こうした木からイナヲを作製する過程で生じた削りくずといえども、妄りに捨ててしまうことは
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第1巻, 8ページ, タイトル: |
| あらす、
ことーーく家のかたハらのヌシヤサンにおさめ
置事也、
ヌシヤサンの事、カモイノミの部にミえたり、
其製するところの形ちは、神を祭るの法にした
かひて、ことーーくたかひあり、後の図を見て知へし、
凡て是をイナヲと称し、亦ヌシヤとも称す、此二つの語
未さたかならすといへとも、イナヲはイナボの転語
なるへし、 本邦関東の農家にて正月十五日に
質白なる木をもて稲穂の形ちに作り糞壤にたてゝ
俗にいふこひつかの事也、
五穀の豊穣を祈り、是をイナボと称す、此事いか
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ない。
それらは一つ残らず家の傍らにあるヌシヤサンに納め置かれるのである。
*ヌシヤサンのことについてであるが、本稿「カモイノミの部」を参照されたい。
作製されたイナヲの形状についてであるが、神を祭るに際しての法に従って、ひとつひとつに相違がある。後掲の図を参照されたい。
これらを総称してイナヲまたはヌシヤという。この二つの語源は未詳であるが、うちイナヲはイナボ(稲穂)の転訛と考えられよう。我が国の関東農村において、正月一五日に材質の白い樹木を用いて稲穂の形にこしらえたものを糞壌に立てて
*俗にいう「こひつか」(肥塚)のことである。
五穀豊穣を祈る儀礼があるが、その木製祭具を「イナボ」と称している。
この儀礼は、 |
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第1巻, 27ページ, タイトル: |
| ハルケとは縄の事をいひて、縄のイナヲといふ事
なり、又一つにはトシイナヲともいふ、トシは舩中に
用ゆる綱の事をいひて、綱のイナヲといふ事
なり、是はこのイナヲの形ち縄の如く、又綱の如く
によれたるゆへに、かくは称する也、此イナヲはすへて
カモイノミを行ふの時、其家の四方の囲ひより初め
梁柱とふに至るまて、 本邦の民家にて
正月注連を張りたる如く奉けかさる也、按るに、
本邦辺鄙の俗、注連にはさむ紙をかきたれと
称し、又人家の門戸に正月あるひは神を祭る
事ある時は、枝のまゝなる竹を杭と同しく立て、
注連を張り、其竹につけたる紙をも又かきたれと
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「ハルケ」とは縄のことを表わし、「縄のイナヲ」という意味である。また、別にトシイナヲともいう。「トシ」とは船で用いる綱のことをいい、「綱のイナヲ」という意味である。これは、このイナヲの形状が縄のように、あるいは綱のように撚れているために、こう称されるのである。このイナヲは、カモイノミを行なうときに、家の四方の囲いからはじめ、梁柱などに至るまでの隅々を、我が国の民家において正月に注連縄を張るように奉げ飾るのに用いられるのである。按ずるに、我が国の辺鄙の地における風俗に、注連縄に挟む紙を「かきたれ」と称し、また人家の門戸に正月あるいは神事がある時に枝のままの竹を杭のように立て注連縄を張るのであるが、その竹につけた紙のことも「かきたれ」と
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第1巻, 37ページ, タイトル: |
| ハシとは木の小枝の事をいふ、すなハち
本邦にいふ柴の類にて、柴のイナヲといふ事也、
是は漁獵をせんとするとき、まつ海岸にて水伯
を祭る事あり、其時此イナヲを柴の□籬の如く
ゆひ立て奉くる事なり、其外コタンコルまたはヌシヤ
サンなとにも奉け用る事もあり、
コタンコル、ヌシヤサンの事は、カモイノミの部に
ミえたり、
右に録せし外、イナヲの類あまたありといへとも、
其用るところの義、未詳ならさる事多きか故に、
今暫く欠て録せす、後来糺尋の上、其義の
詳なるをまちて録すへし、 |
「ハシ」とは木の小枝のことである。即ち、わが国でいう柴の類であり、「柴のイナヲ」という意味である。漁猟をしようとするときには、まず海岸で水伯を祭ることをなす。その時に、このイナウを柴の□籬のように結い立てて奉げるのである。その他、コタンコルまたはヌシヤサンなどにも奉げ用いることもある。
* コタンコルやヌシヤサンのことについては、本稿「カモイノミの部」に記してある。
右に記した他にも、イナヲの類は沢山あるが、その用途の意義がいまだに詳らかではないものが多いので、とりあえず今は記さずにおくこととしたい。後日聞き取りの上、その意義が詳らかになるのを待って、記すことを期するものである。
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第2巻, 6ページ, タイトル: |
| 食するに至るまてのわさことに心を用るなり、
其次第は後の図に委しく見へたり、是より
出たる糠といへともミたりにする事あらす、
其捨る所を家の側らに定め置き、ムルクタウシ
カモイと称して、神明の在るところとなし、尊ミ
おく事也、これまた後の図にミえたり、此稗を
奥羽の両国及ひ松前の地にてはまれに作れ
る者ありて、蝦夷稗と称す、外の穀類には
似す、地の肥瘠にかゝはらすしてよく生熟し、
荒凶の事なしといへり、其蝦夷稗と称する
事ハ 本邦の地には無き物にして、蝦夷
の地より伝へ来りたるによりてかく称すると
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食するまでの作法には、ことさら心を用いるのである。その作法の次第は、後掲の図に詳しい。彼らはそこから出る糠といえども粗末にすることはない。
棄てる場所を家の傍らに定めておき、ムルクタウシカモイと称し、神明のいますところとみなして、尊ぶのである。この様子も、後に掲げる図に見えるので参照されたい。
この稗についてであるが、奥羽の両国ならびに松前の地では稀に栽培する者がいて、「蝦夷稗」と称されて |
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第3巻, 15ページ, タイトル: ムルクタウシウンカモイの図 |
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第3巻, 16ページ, タイトル: |
| ムルクタウシウンカモイと称する事は、ムルクタは前に
いふか如く糠を捨る事をいひ、ウシは立事を
いひ、ウンは在る事をいひ、カモイは神をいひて、
糠を捨る所に立て在る神といふ事也、是はアユウシ
アマヽとラタ子の二種は神より授け給へるよし
いひ伝へて尊ひ重んする事、初めに記せる如く
なるにより、およそ此二種にかゝはりたる物は
聊にても軽忽にする事ある時は、必らす神の
罰を蒙るよしをいひて、それより出たる糠と
いへとも敢て猥りにせす、捨る所を住居のかたハらに
定め置き、イナヲを立て神明の在る所とし、尊ミ
をく事也、唯糠のミに限らす、凡て二種の物の
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ムルクウタウシウンカモイとは、「ムルクタ」は前に述べた通り糠を捨てることを、「ウシ」は立てることを、「ウン」は「在る」という語を、「カモイ」は神をそれぞれ表し、合わせて「糠を捨てる所に立ててある神」という意味である。これについてであるが、アユウシアママとラタネの二種類の作物が神から授けられ給うたものと言い伝えて尊び重んじられていることは前に記した通りである。
そして、この二種類の作物に関わる物は、どんなものであっても軽率に扱えば必ず神罰を蒙るといい慣わしている。よってそれらから出た糠といえどもみだりには扱わず、捨てるところを住居の傍らに定めて置き、イナヲを立て、神明のいます所として尊んでいるのである。これは糠に限っての扱いではない。この二種類の作物の |
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第3巻, 17ページ, タイトル: |
| 朽たる根、あるは枯たる葉、其余二種の物に
あつかるほとの器具は、臼・杵・鐺・椀より初め、炉上
に穂を干すの簾、あるは自在とふの物に至る
まて、破れ損する事あれはひとしく是を右の
所に捨置て他にすつる事決てあらす、ことに其
破れたる器具を水を遣ふの事に用ひ、及ひ
水中に捨る事なとは甚忌ミきらふ事也、
其神を祭るの事はカモイノミの部に委しく
見ゑたり、
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すべての部分、
たとえば根や枯れた葉、またその接触したすべての器具、たとえば臼・杵・鍋・椀を始め囲炉裏の上で穂を干す簾や自在鈎などの物に至るまで、破損してしまったものがあるとすべて同じ所に捨てることとなっており、決して他の場所に捨てられることはない。特に破損した器具を水をつかう作業に用いたり、水中に捨てることは、大変忌み嫌われている。
こうした神を祭ることについては、本稿「カモイノミの部」に詳しく記してある。
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第3巻, 26ページ, タイトル: |
| あるは一椀を食するに止りて、其□歉ひとし
からぬ事あるへきを、夷人の習ひいささか是等の
事をもて意となさゝる事とミゆる也、
一椀を喰ふことに粥をはアマヽトミカモイと唱へ、
魚肉及ひ汁をはチエツプトミカモイと唱へてより喰ふ
なり、アマヽトミカモイといへるは、アマヽは穀食をいひ、
トミは尊き事をいひ、カモイは神をいひて、穀食
尊き神といふ事也、チエツプトミカモイといへるは、チエ
ツプは魚をいひ、トミカモイは上と同し事にて、魚の
尊き神といふ事也、是は右いつれの食も天地
神明のたまものにて、人の身命を保つところの
物なれは、それーーに主る神ある事故、其神を
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一椀を食するに止まることになる。これでは、食事の度に、食べ飽きてしまったり、あるいは逆に食べ足りなくなってしまったりすることが生じてきそうなものである。しかし、アイヌの人々の習慣では、こうしたことについて、いささかも意に介していないように見えるのである。
こうした椀は、一椀ごとに、粥をアママトミカモイと唱え、魚肉および汁をチヱツプトミカモイと唱えてから食される。アママトミカモイとは、「アママ」が穀物を、「トミ」が「尊い」という語を、「カモイ」が神をそれぞれ表し、合わせて「穀物の尊い神」という意味である。チヱツプトミカモイとは、「チヱツプ」が魚を表し、「トミカモイ」は前に同じであるから、合わせて「魚の尊い神」という意味である。アイヌの人々の言うには、右に記したいずれの食材も、天地神明の賜物であり、人の身命を保ってくれるものであるという。従って、食材それぞれに司る神があることでもあるので、その神を |
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第3巻, 27ページ, タイトル: |
| 尊ミ拝するの詞なるよし夷人いひ伝へたり、此中
魚を喰ふにもチエツプトミカモイと唱へ、汁を喰ふ
にもまた同しくチエツプトミカモイと唱ふる事は、
前の条にしるせし如く、汁の実はいつれ魚肉を
用ゆる事、其本にして、ラタ子あるは草とふを
入る事はミな其助けなるゆへ、魚肉を重となすと
いふのこゝろにて、同しくチエツプトミカモイと唱ふる
なり、
これのミにあらす、すへて食するほとの物ハ何に
よらす其物の名を上に唱へ、某のトミカモイと
唱へて食する事、夷人の習俗なり、
一日に両度つゝ食するうち、朝の食は
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拝むために唱えられるのが、
この詞なのだそうだ。さてその詞についてであるが、魚を食べるに際してもチヱツプトミカモイと唱え、汁を食するにも同じくチヱツプトミカモイと唱えている。それは何故かというと、前条に記したように、汁の実には大抵魚肉を用いることが基本であり、ラタネあるいは草などを入れるのは付け合せに過ぎないため、魚肉が主であるという考えに立って、同じくチヱツプトミカモイと唱えているのである。
* これだけではなく、食材として用いるもののすべてに対して、それがどんなものであれ、その食材の名称を上に唱え、何々トミカモイと唱えてから食事を行なうのが、アイヌの人々の慣習である。
一日に二度の食事のうち朝食は、
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第4巻, 4ページ, タイトル: |
| 凡夷人の舟は敷をもて其基本とす、しかるか
故に舟を作んとすれは、まつ初めに山中に
入て敷となすへき大木を求むる事也、
夷人の舟は、敷をもて本とする事、後に
くハしく見へたり、
其山中に入んとする時にあたりてハ、かならす先つ
山口にて図の如くイナヲをさゝけて山神を祭り、
イナヲといへるは、 本邦にいふ幣帛の類也、
くハしくはイナヲの部にミえたり、
埼嶇□嶢のミちを歴るといへとも、身に
恙なくかつは猛獣の害にあはさる事とふを
祈る也、其祈る詞にキムンカモイヒリカノ
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☆すべてアイヌの舟は船体が基本である。だから舟を作ろうとすれば、まずはじめにおこなうのは山に入って船体とする大木を探し求めることである。
<註:アイヌの舟は船体が基本であることは、後に詳しく述べられている>
☆そのために山の中に入ろうとするときには、かならず最初に山の入り口で図のようにイナウを捧げて山の神を祭り、
<註:イナウというのはわが国でいうところの御幣のたぐいである。詳しく
は「イナヲの部」に述べられている>
☆ 崖や@@の道を歩きまわっても、自分のからだにつつがなく、さらに猛獣に襲われないことを祈るのである。その祈りことばに「キムンカモイヒリカノ
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第4巻, 5ページ, タイトル: |
| イカシコレと唱ふ、キムンは山をいひ、カモイは
神をいひ、ヒリカは善をいひ、ノは助語なり、
イカシは守護をいひ、コレは賜れといふ事にて、
山神よく守護賜れといふ事也、かくの如く
山神を祭り終りて、それより山中に入る也、
木を尋る時のミに限らす、すへて深山に入んと
すれハ、右も祭りを為す事夷人の習俗也、
こゝに雪中のさまを図したる事ハ、夷人の
境、極北辺陲の地にして、舟とふを作るの時、
多くは酷寒風雪のうちにありて、その
艱険辛苦の甚しきさまを思ふによれり、後の
雪のさまを図したるはミな是故としるへし、
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イカシコレ」と唱える。キムンというのは山をいい、カモイは神をいい、ヒリカは善くをいい、ノは助詞である。
イカシは守ることをいい、コレはしてくださいなという意味であって、「どうぞ山の神様よろしくお守りくださいませ」ということである。このように、山の神へのお祈りを終えてそれから山の中にはいるということなのである。木を探すときばかりではなく、山の中に入ろうとすれば、右のようなような祭りをすることはすべてアイヌの人びとの習俗なのである。
ここに雪中での作業の様子を図にしたのは、アイヌの人びと境域?は極北の辺地であって、舟などを作るとき、多くは酷寒の風雪はなはだしい時期におこなわれるので、その作業の困難辛苦のようすを思うためである。後にも雪の中での作業を描いているのはみなその理由であることを知っておいてほしい。 |
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第4巻, 7ページ, タイトル: |
| 山中に入り敷となすへき良材を尋ね求め、
たつね得るにおよひて、其木の下に至り、
図の如くイナヲをさゝけて地神を祭り、その
地の神よりこひうくる也、その祭る詞に、
シリコルカモイタンチクニコレと唱ふ、シリは地を
いひ、コルは主をいひ、カモイは神をいひ、タンは
此といふ事、チクニは木をいひ、コレは賜れといふ
事にて、地を主る神此木を賜れといふ事也、
この祭り終りて後、其木を伐りとる事図の
如し、敷の木のミに限らす、すへて木を伐んと
すれハ、大小共に其所の地神を祭り、神にこひ請て
後伐りとる事、是又夷人の習俗なり、
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☆ 山中にはいって船体となる良材をさがして歩き、それが見つかったので、その木の下へ行って、図のように木にイナウを捧げて地の神さまをお祭りし、その神さまから譲りうけるのである。その祈りことばは「シリコルカモイタンチクニコレ」と唱えるのである。シリは地をいい、コルは主をいい、カモイは神をいい、タンは此ということ。チクニは木をいい、コレは賜われということであって、「地をつかさどる神さま、この木をくださいな」ということである。
この祭りが終わったあとで、その木をきりとる様子は図に示した。船体の木ばかりではなく、どんな場合でも木を伐ろうとするときは大小の区別なくそのところにまします地の神をまつって、神さまにお願いしたのちに伐採するのはアイヌの人びとの習慣なのである。
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第4巻, 11ページ, タイトル: 舟敷の大概作り終りて木の精を祭る図 |
| 舟敷の大概つくり終りてより、其伐り
とりし木の株ならひに梢にイナヲを
さゝけて木の精を祭る事図の如し、其祭る
詞にチクニヒリカノヌウハニチツフカモイキ
ヤツカイウエンアンベイシヤムヒリカノイカシコレ
と唱ふ、チクニは木をいひ、ヒリカはよくといふ事、
ヌウハニは聞けといふ事、チツフは舟をいひ、
カモイは神をいひ、キは為すをいひ、ヤツカイは
よつてといふ事、ウエンアンベは悪き事を
いひ、イシヤムは無きをいひ、ヒリカは上に同し、
イカシは守護をいひ、コレは賜れといふ事にて、
木よく聞け、舟の神となすによつて悪事
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☆ 船体のおおよそを造り終わってから、その伐りとった木の株と梢にイナウを捧げて木の霊をお祭りすることは図にしめしたとおりである。その祈りことばは「チクニヒリカノヌウハニチツフカモイキヤツカイウエンアンベイシヤムヒリカノイカシコレ」と唱えるのである。その意味はチクニは木のことをいい、ヒリカはよくということ、ヌウハニは聞けということ、チツフは舟のことをいい、カモイは神をいい、キはするといい、ヤツカイはよってということ、ウエンアンベは悪いことをいい、イシヤムは無いということ、ヒリカは上と同じ、イカシは守護をいい、コレはしてくださいということであって、「木よ、よく聞いてください。あなたを舟の神とするので、悪いことが
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第4巻, 12ページ, タイトル: |
| 舟敷の大概つくり終りてより、其伐り
とりし木の株ならひに梢にイナヲを
さゝけて木の精を祭る事図の如し、其祭る
詞にチクニヒリカノヌウハニチツフカモイキ
ヤツカイウエンアンベイシヤムヒリカノイカシコレ
と唱ふ、チクニは木をいひ、ヒリカはよくといふ事、
ヌウハニは聞けといふ事、チツフは舟をいひ、
カモイは神をいひ、キは為すをいひ、ヤツカイは
よつてといふ事、ウエンアンベは悪き事を
いひ、イシヤムは無きをいひ、ヒリカは上に同し、
イカシは守護をいひ、コレは賜れといふ事にて、
木よく聞け、舟の神となすによつて悪事
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☆ 船体のおおよそを造り終わってから、その伐りとった木の株と梢にイナウを捧げて木の霊をお祭りすることは図にしめしたとおりである。その祈りことばは「チクニヒリカノヌウハニチツフカモイキヤツカイウエンアンベイシヤムヒリカノイカシコレ」と唱えるのである。その意味はチクニは木のことをいい、ヒリカはよくということ、ヌウハニは聞けということ、チツフは舟のことをいい、カモイは神をいい、キはするといい、ヤツカイはよってということ、ウエンアンベは悪いことをいい、イシヤムは無いということ、ヒリカは上と同じ、イカシは守護をいい、コレはしてくださいということであって、「木よ、よく聞いてください。あなたを舟の神とするので、悪いことが |
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第5巻, 26ページ, タイトル: |
| 是は上に出せる六種の具ことーーく備りて
海上に走らんとするの図なり、まつ海上に走らんとすれハ水伯に祈り、海上安穏ならん事を願ふ、其祈る詞に、アトイカモイ子トヒリカノイカシコレと唱ふ、アトイは海をいひ、カモイは神をいひ、子トは風波の穏かなるをいひ、
俗になきといふか如し、
ヒリカノイカシコレは前にしるせるか如く、海の
神風波のおたやかなるよふによく守護
たまへといふ事也、右の祈り終りてそれ
より出帆するなり、すへて夷人の舟を乗るにもことーーく法有ことにて、
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これは上述した六種類の器具が完備して海上を航行しようとする図である。
まず、海上を航行しようとすれば、水の神にお祈りして海上での安穏無事をお願いする。その祈り詞は「アトイカモイ子トヒリカノイカシコレ」と唱える。アトイは海のことをいい、カモイは神をいい、ネトは風波の穏かなことをいい(俗に凪という)、ヒリカノイカシコレは前述したように、「海の神さま、風波のおたやかであるよう、よくお守りしてください」ということである。
このお祈りが終って、それから出帆するのである。総じて、アイヌの人びとは舟に乗るにもことごとく法則があって、
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第5巻, 51ページ, タイトル: |
| 三種の中、ナムシヤムイタとウムシヤムイとハ、前に
出せるとことならす、トムシの義いまた詳ならす、
追て考ふへし、ウヘマムチプに用る此よそをひの
三種は、破れ損すといへともことーーく尊敬して
ゆるかせにせす、もし破れ損する事あれは、
家の側のヌシヤサンに収め置て、ミたりにとり
すつる事ハあらす、
ヌシヤサンの事はカモイノミの部にくハしく
見えたり
かくの如くせされは、かならす神の罸を蒙る
とて、ことにおそれ尊ふ事也、罸は夷語にハルと
称す、
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三種類の中、ナムシヤムイタとウムシヤムイとは、前述のものと違いはないし、トムシの意味はまだよくわからないので、改めて考えることとしたい。
ウイマムチプで用いるこの装具三種類は、破損したとしてもことごとく尊敬しておろそかにしない。もし破損することがあれば、家の側にあるヌシヤサンに収めておいて、みだりに捨てたりすることはない。
<註:ヌシヤサンのことは「カモイノミの部」(これも欠)に詳述してあ
る>
このようにしなければ、かならず神罸をこうむるからといって、ことに怖れ尊ぶという。罸はアイヌ語でハルという。
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第7巻, 39ページ, タイトル: |
| 此図は木の皮にてふきたる屋の上を草と茅
とにてかさね葺たる家のさま也、竹の葉にて
ふきたる屋の上を草と茅とにてふきたる家も、
又たゝ草と茅とはかりにてふきたる家も、其形ち
図にあらハしたるところにてはいさゝかかはれる事な
きゆへ、此図一を録して右二の図をは略せる也、
右に録せる数種の家、いつれにても経営の事全く
終りてより移住セんとするには、まつ爐を開きて
火神を祭り、また屋の上にイナヲをたてゝ日神を
祭り、それより 本邦にいふわたましなとの
如き事を行ふよし也、然れともこれらの事いまた詳
ならさる事多きゆへ、子細に録しかたし、追て糺尋
の上録すへし、
火神・日神とふを祭る事ハ、委しくカモイノミ
の部に見えたり、
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☆ この図は木の皮で葺いた屋根の上に草と茅とを重ねて葺いた家のさまである。竹の葉で葺いた屋根の上を草と茅とで吹いた家も、また、ただ草と茅ばかりで葺いた家も、そのかたちを図にあらわしたら、すこしもかわるところはないので、この図ひとつを記してあとのふたつは略してある。
右に記した数種の家はいずれも建築がおわってから移り住もうとするには、まず、炉をきって
火の神をまつり、また屋根の上にイナヲをたてて日の神をまつり、それからわが国でいう「わたまし?」などのようなことをおこなうのだという。しかしながら、これらのことはまだよくわからないことが多いのでくわしくしるすことはできない。いずれ改めて聞きただした上でき記録することにしよう。
<註:火の神・日の神などを祭る事は、詳しく「カモイノミの部」に記してある。>
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