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第2巻, 1ページ, タイトル: 蝦夷生計図説 トイタの部上 二 |
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第2巻, 15ページ, タイトル: |
| 右二種のものを作る事をすへて称してトイタ
といふ、トイは土をいひ、タは掘る事をいひて、土を
掘るといふ事也、又一にはトイカルともいふ、トイは
上に同しく、カルは造る事をいひて、土を造ると
いふ事也、二つともに 本邦の語にしてはなを
耕作なといはんか如く、また場圃なといはん
ことし、
耕作と場圃とは殊にかハりたる事なるを、かく
いへるものは、すへて夷人の境、太古のさまにして
言語のかすも多からす、為すへき業も又少なし、
しかるゆへに此二種の物を作るか如き、其作り立る
の事業をもすへて称してトイタといひ、その
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右に掲げた二種の作物を作ることをトイタと総称する。「トイ」は土のことを、「タ」は掘ることを表わし、あわせて「土を掘る」という意味である。また別にトイカルともいう。「トイ」は土のことを、「カル」は造ることを表わし、あわせて「土を造る」という意味である。二つの語はともに、我が国の言葉で言えば、耕作といったり場圃といったりしている語を指しているようだ。
* 耕作と場圃という、異なった意味を持つ概念であるものを同じ語で表わしているのは、アイヌの人々の生活境遇が太古の状態にあるため、言葉の数が多くはなく、行なわれる生業活動もまた少なかったためである。
従って、この二種の作物を作るに際して、栽培作業の総称としてトイタの語を用い、
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第2巻, 16ページ, タイトル: |
| 作れる地にして場圃のさましたるところをも、又
称してトイタといふ也、凡これらの事、
本邦の事に比しては論し難きところなり、
これより後、其言葉は一にして、其事のたかひ
ある事は皆この故としるへし、
夷人のならひ、これらの事をなすに地の美悪を
えらふなといへる事はミえす、山中の不平なる
地あるは樹木の陰なとおもトイタとなして作れる
事なり、
但し、地をえらふ事のなしといへるはさたかなる
事にはあらす、外より打見たるさまハかく見
ゆれとも、すへて夷人の性は物事深くかんかへて
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栽培地である場圃様の所をもまた、トイタと称するのである。こうした事情につき、我が国における事例を挙げ、比較して論じるのは難しい。以下、本稿において同一語であるにもかかわらず、その示す意味が異なっているのは、皆こうした理由によるものと御承知置き願いたい。
アイヌの人々の慣習として、栽培をするに際しては土地の美悪を選ぶことはしない。山中の平らではない土地や樹木の陰になっている土地などをもトイタとなして栽培を行なっている。
* 但し、地を選ぶことがない、という見方は、実ははっきりしたことではない。傍から見ればそのように見えるのであるが、アイヌの人々は物事を深く考える
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第2巻, 17ページ, タイトル: |
| かろーーしき事をハせす、さらハ此等の事にも
別に意味のありてかくはなせるにや、其義
未詳ならす、追て糺尋の上録すへし、
是に図したるところは、トイタとなすへき
ためにまつ初めに其地の草をかるさま也、ムンカル
と称する事は、ムンは草をいひ、カルは則ち苅る
事をいひて、草をかるといふ事也、すへて
此のトイタの事は、初め草をかるより種を蒔き、
其外熟するに至て苅りおさむるとふの事
に至るまて、多くは老人の夷あるハ女子の
夷の業とする事也、
草をかるには先つ其ところにイナヲを奉けて
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軽々しい行いはしないものだ。そうしたことから考えるに、或いは別の意味があってトイタの地を定めているのかも知れず、その判断基準はいまだ詳らかではない。追って聞き取りの上、後考を期したい。
ここに掲げた図は、トイタとするために先ず初めにその地の草を刈る様子を示したものである。この作業をムンカルというのは、「ムン」が草を、「カル」が刈ることを表わし、あわせて草を刈ることを意味することによっている。トイタに関わる作業には、草を刈ることから始まり、種蒔きや稔ってからの収穫に至るまで、その多くに老人や女性が携わることとなっている。
* 草を刈るには、まず刈る場所にイナヲを捧げて
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第2巻, 20ページ, タイトル: |
| 刈りたる草をハ其所にあつめ置て図のことく
火に焼く也、これをムンウフイと称す、ムンは草を
いひ、ウフイは焼く事をいひて、草を焼といふ
事也、これは草をやきて地のこやしとなすと
いふにもあらす、唯かりたるまゝにすて置ては
トイタのさまたけとなる故にかくなす事也、
もし刈るところの草わすかなる事あれハ、
そのまゝ其地のかたハらにすて置く事も
あるなり、
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刈り取った草は、その場に集めて、図のように焼却を行なう。これをムンウフイという。「ムン」は草のことを、「ウフイ」は焼くことを表し、合わせて「草を焼く」という意味である。この行為は草を焼いて肥料をつくることを目的としたものではなく、ただ刈ったまま放置しておいてはトイタの妨げになるため行なわれるまでのことである。もし刈った草が僅かの量であった場合には、焼却せず、そのまま畑地の傍らに放置しておくこともある。 |
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第2巻, 24ページ, タイトル: |
| 土をならす事終りて、それより種を蒔なり、
是をピチヤリパと称す、ピはすへて物の種を
いひ、チヤリパは蒔事をいひて、種をまくといふ
事也、凡トイタの事、地の美悪をえらふと
いへる事もミえす、又こやしなと用るといふ
事もなけれと、たゝこの種を蒔事のミ殊に
心を用ひて時節をかんかふる事也、その
時節といへるも、もとより暦といふ物もなけ
れは、時日をいつの頃と定め置といふ事には
あらす、唯ふりつミし雪の消行まゝ、山野
の草のおのつから生しぬるをうかゝひて
種を蒔の時節とはなす事也、
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土を均す作業が終わると、それより種蒔きとなる。これを「ピチヤリパ」という。「ピ」は種子一般を、「チヤリパ」は蒔くことを表し、合わせて種を蒔くことを意味する。全体的に見て、トイタの作業は、土地の美悪を選ぶということも確認されず、また肥料を用いるということもない。しかし、この作業、即ち種を蒔くことについてだけは、その時期をどうするかの判断に心を用いるのである。その時期であるが、もとより暦を持たないため、日時をいついつの頃とあらかじめ定めて置くわけではない。ただ降り積もった雪が消え行き、山野の草が自ずから芽吹いてくるのに接して、種を蒔く時節を見計らっているのである。 |
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第3巻, 1ページ, タイトル: 蝦夷生計図説 トイタ之部下 三 |
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第3巻, 19ページ, タイトル: |
| 是はアユウシアマヽを烹るさまを図したる也、
アマヽシユケといふは、アマヽは穀食の事をいひ、シユケ
とは烹る事をいひて、穀食を烹るといふ事也、
穀食は炊くともいふへきを、烹るといへるものは、夷
人の境、未飯に為す事をハしらて、唯水を多く
入れ粥に烹る計りの事なるゆへ、かくは称する
なり、又ラタ子を食するは、汁に烹て喰ふ事也、
其食せんとする時、トイタに植をきたるを掘り
とり来りて、
ラタ子はよく熟するといへとも、一時に残らす掘
とりて貯へ置といふ事はせす、植たるまゝにて
トイタにをき、食するたひことに掘り出して用ゆる
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この図は、アユシアママを煮る様子を描いたものである。アママシユケとは、「アママ」が穀物のことを、「シユケ」が煮ることを表し、合わせて「穀物を煮る」という意味である。
穀物であるから「炊く」というのが通常であろうところを「煮る」といっているのは、アイヌの人々の住む地域では、いまだに穀物を飯とすることを知らず、ただ水を多く入れ粥として煮るのみであることによる。また、ラタネは、汁に入れて煮て食する。
ラタネを食べようとするときには、トイタに植えておいたものを掘り取ってきて、
* ラタネは、よく熟した場合でもいっぺんに残らず掘り取って貯えておくようなことはしない。植えたままでトイタに放置しておき、食する度ごとに掘り出して用いる
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第4巻, 7ページ, タイトル: |
| 山中に入り敷となすへき良材を尋ね求め、
たつね得るにおよひて、其木の下に至り、
図の如くイナヲをさゝけて地神を祭り、その
地の神よりこひうくる也、その祭る詞に、
シリコルカモイタンチクニコレと唱ふ、シリは地を
いひ、コルは主をいひ、カモイは神をいひ、タンは
此といふ事、チクニは木をいひ、コレは賜れといふ
事にて、地を主る神此木を賜れといふ事也、
この祭り終りて後、其木を伐りとる事図の
如し、敷の木のミに限らす、すへて木を伐んと
すれハ、大小共に其所の地神を祭り、神にこひ請て
後伐りとる事、是又夷人の習俗なり、
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☆ 山中にはいって船体となる良材をさがして歩き、それが見つかったので、その木の下へ行って、図のように木にイナウを捧げて地の神さまをお祭りし、その神さまから譲りうけるのである。その祈りことばは「シリコルカモイタンチクニコレ」と唱えるのである。シリは地をいい、コルは主をいい、カモイは神をいい、タンは此ということ。チクニは木をいい、コレは賜われということであって、「地をつかさどる神さま、この木をくださいな」ということである。
この祭りが終わったあとで、その木をきりとる様子は図に示した。船体の木ばかりではなく、どんな場合でも木を伐ろうとするときは大小の区別なくそのところにまします地の神をまつって、神さまにお願いしたのちに伐採するのはアイヌの人びとの習慣なのである。
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第4巻, 19ページ, タイトル: |
| これは敷の初めて成就したる処也、
これより次第に後の図に出せる板等を
あつめて舟の製作にかゝる也、此敷は
夷語にイタシヤキチフと称して、丸木舟と
同しさましたれとも、また説ある事なり、
後の川を乗る舟とならへ図して委しく
論したり、合せ見るへし、
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これは船体がはじめてできあがったところである。これからだんだんあとのほうの図で示したいたなどを集めて舟の製作に取りかかるのである。船体はアイヌ語でイタシヤキチフといって、丸木舟と同じ形をしているけれども、さらに説明することがある。のちに川舟とともに図示して詳しく説明してあるのであわせて見てほしい。
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第4巻, 27ページ, タイトル: |
| 夷語にチプラプイタと称す、チプは舟をいひ、ラプは羽をいひ、イタは板の事にて、舟の羽板といふ事なり、 |
アイヌ語でチプラプイタという。チプは舟をいい、ラプは羽をいい、イタは板のことで、「舟の羽板」ということである。 |
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第4巻, 29ページ, タイトル: |
| 夷語に是をナムシヤムイタと称す、ナムとは舳を
いひ、シャムは出るをいひ、イタは板の事にて、
舳に出る板といふ事なり、
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アイヌ語でナムシヤムイタという。ナムとは舳をいい、シャムは出ることをいい、イタは板のことをいって、「舳に出る板」ということである。 |
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第4巻, 31ページ, タイトル: |
| 夷語に是をウムシヤムイタと称す、ウムは
艫をいひ、シヤムイタは前に同し事にて、
艫に出る板といふ事、
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イヌ語でウムシヤムイタという。ウムは艫をいい、シヤムイタは前と同じで「艫に出る板」ということ。 |
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第5巻, 21ページ, タイトル: |
| 夷語にこれをカイタと称す、三種ある事
図のことし、カイタの語解しかたし、追て
考ふへし、
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アイヌ語でカイタという。図のように三種類ある。カイタの語を解すことはむつかしい。追って考えることとしよう。
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第5巻, 22ページ, タイトル: シヨイタの図 |
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第5巻, 23ページ, タイトル: |
| シヨは座する事をいひ、イタは板の事にて、
座する板といふ事也、是を舟敷の上に
横に入れ、舟をこく時足を左右のあハら木に
ふミかけ、腰を此板に掛てこぐ也、
右七種の具は、舟の大小によりて製作も
また大小あり、此具備りてより初て舟に
乗る事、後の図のことし、
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シヨは坐ることであり、イタは板のことで、「坐る板」ということである。
これを船体のなかに横に入れて、足を左右のあばら木に踏み掛けて腰をこの板におろして漕ぐのである。
<註:以上の七種類の器具は舟の大小によりまた作りかたにも大小があ
る。この器具がすべて備わってはじめて舟にのることができる。
そのようすはのちの図に出しておいた>
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第5巻, 35ページ, タイトル: イタシヤキチプの図 |
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第5巻, 36ページ, タイトル: |
| 是は前に出せる舟敷の事也、夷語に
イタシヤキチプと称するは、イタは板をいひ、シヤ
キは無きをいひ、チプは舟の事にて、板なき
舟といふ事也、もと舩の敷なるをかくいふ
ものは、丸木をくりたるまゝにて左右の板を
付す、夷人河を乗るところの舟とことならさる故、
時によりては其まゝにて川を乗る
事も有ゆへにかくはいえるなり、万葉集に
棚なし小舟といへるはこれなるにや、今に
至りて舩工の語に、敷より上に付る板を
棚板といふ、さらは無棚小舟は棚板なき舟と
いふの心なるへし、今 本邦の舩の
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これは前述した船体のことである。アイヌ語でイタシヤキチプというのは、イタは板のことをいい、シヤキは無いということ、チプは舟のことであって、「板の無い舟」ということである。もともと船体であるものをこのようにいうのは、丸木を刳りぬいたままで左右の板をつけず、アイヌの人びとが川で用いるところの舟と変らないし、場合によっては、そのままで川で乗ることもあるのでこのようにいうのである。
万葉集に「棚なし小舟」というのはこれではなかろうか。現在の船大工のことばに、船体より上につける板を棚板という。それならば「無棚小舟」は「棚板なき舟」といういみであろう。今、日本の船の
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第5巻, 37ページ, タイトル: |
| 製作にかゝる敷の法を用ひさるはいつの頃より
にか有けん、カシキヲモキなといふ事の
舩工ともの製作に初りしより、
カシキといへるもヲモキといへるも、少し
つゝ其製にかハりたる事ハあれとも、
格別にたかふところは非す、いつれも敷を
厚き板にて作り、それに左右の板を釘
にて固くとちつけて、本文にいへるイタシ
ヤキチプの如くになし、それより上に左右の
板を次第に付仕立る也、此製至て堅固也、
今の舩工の用る敷の法ミなこれ也、
其製の堅固なるを利として専らそれのミを
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製作に、このような船体を用いなくなったのはいつの頃からであろうか。
カシキ、ヲモキなどというものが船大工たちの製作にはじまってから、
<註:カシキというものも、ヲモキというものも、少しずつその製法に
変化はあるけれども、格別の違いはない。いずれも船体を厚い板で
作り、それに左右の板を釘で固く綴じつけて、本文で述べたイタ
シヤキチプのようにして、それより上に左右の板をだんだんに付
けていって仕立てるのである。この製法はとても堅固である。
今の船大工が用いる船体の製法はみなこの方式である。>
その製法の堅固であることを利として専らその製法ばかりを
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第5巻, 38ページ, タイトル: |
| 用ひしより、終に其法をは失ひし成へし、
今奥羽の両国松前とふにてハ、なを其法を
伝へて猟舩にはことーーく敷に右のイタシヤキ
チプを用ゆ、是をムダマと称す、ムタマはムタナの
転語にして、とりもなをさす棚板なき舟といふ心也
、
其敷に左右の板をつけ、夷人の舟と
ひとしく仕立たるをモチフと称す、モチフは
モウイヨツプの略にして、舟の事也、凡そ夷地
にしては舟の事をチプといふ事よのつねな
れとも、その実はモウイヨツプといへるが舟の
実称にして、チブといへるは略していふの詞なる
よし、老人の夷はいひ伝ふる事也、モウは乗る
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用いてから、ついに「無棚小舟」の製法は伝承されなくなったのである。今、奥羽の両国と松前などでは、まだその方法を伝えていて、漁船にはことごとく船体に右のイタシヤキチプを用いていて、これをムダマと称している。ムダマはムタナの転語であって、とりもなおさず「棚板なき舟」という意味である。
船体に左右の板をつけ、アイヌの人びとの舟と同様に作ったものをモチフという。モチフは「モウイヨツプ」の略語であって舟のことである。そもそも蝦夷地においては舟のことをチプということがあたりまえであるけれども、その実は「モウイヨツプ」というのが舟の実称であって、チプというのは略していうことばであるとは、老人のアイヌのいい伝えることである。モウは乗る
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第5巻, 42ページ, タイトル: |
| これ俗にいふ丸木舟の事也、製作すること
イタシヤキチプとことなる事なし、形ちの小し
くたかひたるハ、図を見て考ふへし、二種の中、
前の図は流の緩き川ならひに沼とふを乗る
舟なり、後の図は急流の川をのり、または
川に格別の高底ありて水の落す事飛泉の
如くなるところをさかさのほる事とふある時、
水の入らさるかために、舟の舳に板をとち付たるさまなり、
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これは俗にいふ丸木舟のことである。製作する方法はイタシヤキチプとことなることはない。形が少しく違っていることは、図を見て考えてほしい。二種類の中、前の図は流が緩い川ならひに沼などで乗る舟である。後の図は急流の川で乗ったり、または川にとくに高低があって、水が落ること飛泉のようなところをさかのぼることなどがある時、舟に水が入らないようにするために、舳に板を綴じつけたところである。 |
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第5巻, 48ページ, タイトル: ナムシヤムイタの図 |
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第5巻, 49ページ, タイトル: ウムシヤムイタの図 |
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第5巻, 51ページ, タイトル: |
| 三種の中、ナムシヤムイタとウムシヤムイとハ、前に
出せるとことならす、トムシの義いまた詳ならす、
追て考ふへし、ウヘマムチプに用る此よそをひの
三種は、破れ損すといへともことーーく尊敬して
ゆるかせにせす、もし破れ損する事あれは、
家の側のヌシヤサンに収め置て、ミたりにとり
すつる事ハあらす、
ヌシヤサンの事はカモイノミの部にくハしく
見えたり
かくの如くせされは、かならす神の罸を蒙る
とて、ことにおそれ尊ふ事也、罸は夷語にハルと
称す、
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三種類の中、ナムシヤムイタとウムシヤムイとは、前述のものと違いはないし、トムシの意味はまだよくわからないので、改めて考えることとしたい。
ウイマムチプで用いるこの装具三種類は、破損したとしてもことごとく尊敬しておろそかにしない。もし破損することがあれば、家の側にあるヌシヤサンに収めておいて、みだりに捨てたりすることはない。
<註:ヌシヤサンのことは「カモイノミの部」(これも欠)に詳述してあ
る>
このようにしなければ、かならず神罸をこうむるからといって、ことに怖れ尊ぶという。罸はアイヌ語でハルという。
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第6巻, 3ページ, タイトル: 衣服製作の総説 |
| 衣服製作の総説
凡夷人の服とするもの九種あり、一をジツトクと
いひ、二をシヤランベといひ、三をチミツプといひ、
四をアツトシといひ、五をイタラツペといひ、六をモウウリといひ、
七をウリといひ、八をラプリといひ、九をケラといふ、
シツトクといへるは其品二種あり、一種ハ 本邦より
わたるところのものにて、綿繍をもて製し、かたち
陣羽織に類したるもの也、一種は同しく綿繍
にて製し、形ち明服に類したるものなり、夷人の
伝言するところは、極北の地サンタンといふ所の人カラ
フト島に携へ来て獣皮といふ物と交易するよしを
いへり、すなはち今 本邦の俗に蝦夷にしきと
いふものこれ也、この二種の中、 本邦よりわた
るところのものは多してサンタンよりきたるといふ
ものハすくなしとしるへし、シヤランベといへるは
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衣服製作の総説
☆一般にアイヌの人びとが衣服としているものに九種類ある。一はジツトク、二はシヤランベ【サランペ:saranpe/絹】、三はチミツプ【チミ*プ:cimip/衣服】、四はアツトシ【アットゥ*シ:attus/木の内皮を使った衣服】、五はイタラツペ【レタ*ラペ?:retarpe?/イラクサ製の衣服】、六はモウウリ【モウ*ル:mour/女性の肌着】、七はウリ【ウ*ル:ur/毛皮の衣服】、八はラプリ【ラプ*ル:rapur/鳥の羽の衣服】、そして九はケラ【ケラ:kera/草の上着】である。
☆ジットクというものには二種類ある。一種は本邦より渡ったもので、錦で作られたもので、かたちは陣羽織に類するものである。いまひとつはおなじく錦で作られており、そのかたちは明の朝服に類するものである。アイヌの人びとの伝えていうには、極北のサンタン【サンタ:santa/アムール川周辺】というところの地に住んでいる人びとがカラフト【カラ*プト:karapto/樺太】島へ持ってきて、アイヌの人びとのもつ獣皮というものと物々交換するのであると。これがいま世間でいう「蝦夷にしき」なのである。この二種類のジットクのうち、わが国からわたったものが多く、サンタンから来たものはすくないと知っておくべきである。 |
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第6巻, 4ページ, タイトル: |
| 本邦よりわたるところのものにて、古き絹の
服なり、チミツブといへるも同しく 本邦より
わたるところの古き木綿の服なり、此三種の衣は
いつれも其地に産せさるものにて得かたき品ゆへ、
殊の外に重んし、礼式の時の装束ともいふへきさま
になし置き、鬼神祭礼の盛礼か、あるは
本邦官役の人に初て謁見するとふの時にのミ服用
して、尋常の事にもちゆる事はあらす、其中殊に
シツトクとシヤランベの二種は、其品も美麗なるをもて、
もつとも上品の衣とする事也、アツトシ、イタラツベ、モウウリ、
ウリ、ラプリ、ケラこの六種の衣はいつ
れも夷人の製するところのもの也、その中、モウウリ
は水豹の皮にて造りしをいひ、ウリはすへて獣皮
にて造りしをいひ、ラフリは鳥の羽にて造りしを
いひ、ケラは草にて造りしをいふ、この四種はいつれも
下品の衣として礼服とふには用る事をかたく禁
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第6巻, 5ページ, タイトル: |
| するなり、たゝアツトシ、イタラツベの二種は夷人の
製するうちにて殊に上品の衣とす、其製するさまも
本邦機杼の業とひとしき事にて、心を尽し力を
致す事尤甚し、此二種のうちにもわけてアツトシ
の方を重んする事にて、夷地をしなへて男女ともに
平日の服用とし、前にしるせし鬼神祭祀の時あるは
貴人謁見の時とふの礼式にシツトク、シヤランベ、チミツプ
三種の衣なきものは、ミな此アツトシのミを服用する事也、
其外の鳥羽・獣皮とふにて製せし衣はかたく禁
断して服する事を許さす、
凡この衣服の中、機杼より出たるをは尊ミ、鳥
獣の羽皮とふにて製したるを賤しミ、かつ
礼式ともいふへき時に服用する衣は製禁を
もふけ置く事なと、辺辟草莽の地にありてハ
いかにも尊ふへき事なり、其左衽せるをもて戎狄の
属といはん事、尤以て然るへからす、教といふ事のなき
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第6巻, 7ページ, タイトル: |
| 其造れるさまも殊に艱難にて、 本邦機杼
の業とひとしき事ゆへ、其製しかたの始終本末
子細に図に録せるなり、イタラツベといふもアツトシ
とひとしき物ゆへ、これ又委しく録すへき理
なりといへとも、此衣は夷地のうち南方の地とふにてハ造り
用る者尤すくなくして、ひとり北地の夷人のミ稀に
製する事ゆへ、其製せるさま詳ならぬ事とも
多し、しかれともその製するに用る糸は夷語に
モヲセイ、ニハイ、ムンハイ、クソウといへる四種の草を
日にさらし、糸となして織事ゆへ、其製方の始末
全くアツトシとことならさるよしをいへり、こゝをもて
此書にはたゝアツトシの製しかたのミを録して、
イタラツペのかたは略せるなり、
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第7巻, 43ページ, タイトル: エリモシヨアルキイタの図 |
| エリモシヨアルキイタといふは、エリモは鼠を
いひ、シヨアルキは来らすといはんか如し、
イタは板の事にて、鼠の来らさる板といふ事なり、
是は前に図したる如く、蔵の床を高くなし
て鼠をふせくといへとも、なを柱をつたひ上らん事を
はかりて、床柱の上に図の如くなる板を置、のほる
事のならさるよふになす也、すへて夷人の境、鼠
多して物をそこなふゆへ、さまーーに心を用ひて
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☆ エリモシヨアルキイタというのは、エリモ【エ*レム、エル*ム:ermu, erum/ネズミ】はねずみをいい、シヨアルキ【ソモ ア*ラキ:somo arki/ない 来る→来ない】は来ないというような意味、イタ【イタ:ita/板】は板のことで、ねずみが来ない板という意味である。
これは前に図示したように蔵の床が高くなっていてそれでねずみを防ぐのではあるけれども、さらに柱を伝いあがってくるかもしれないことを考えて、床柱の上に図のような板をおいて、登ることがないようにするのである。総じて、アイヌの人びとの国はねずみが多くて物が被害にあうのでさまざまに用心して |