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第1巻, 6ページ, タイトル: |
| イナヲは 本邦にいふ幣帛の類なるにや、
都て蝦夷の俗は質素純朴なるによりて、天地の
事より初め神道を尊ひおそるゝ事、其国第一の
戒めたり、然るゆへに何事を為すにつきても、まつ
神明を尊ひ祭る事をつとめとして、是をカモイ
ノミと称す、
カモイは神をいひ、ノミは祈る事をいひて、
神を祈るといふ事也、日本紀に神祈とかきて
カミイノミと訓したると同し事なるにや、
委しくはカモイノミの部に見ゑたり、カモイノミの部未成
其カモイノミを行ふには、かならす此イナヲを用る
事故、神明を祭るにさしつひて大切なる物と
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イナヲとは、わが国でいう幣帛の一種のことと考えられる。「蝦夷」の風俗は、概ねにおいて質素純朴である。彼らの国の開闢以来一番の戒めとして、神道を尊び畏怖することを挙げているほどだ。従って、何事をするにつけても、まず神明を尊び祭ることを旨としており、それをカモイノミと称している。
*カモイは神を意味し、ノミは祈るという意味であり、神を祈るという意味である。『日本紀』(『日本書紀』)に「神祈」とかいて「カミイノミ」と訓ませている事例と同じことであろうか。詳しくは本書「カモイノミの部」を参照されたい。<割注:カモイノミの部未成>
カモイノミを行なうには、必ずこの図にあるようなイナヲを用いることになっている。それゆえ彼らにとってイナヲは、神明を祭るにあたって重要なものと
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第1巻, 7ページ, タイトル: |
| する事也、是を製せんとすれは、潔斎ともいゝつ
へきさまに、まつ其身を慎ミいさきよくす
る事をなして、それより図の如くに製する也、
潔斎ともいふへき事は夷語にイコイコイと
いひて、身を慎ミいさきよくする事のある也、委し
くはカモイノミの部にミえたり、
是を製するに、小刀よふの器も、よのつねのは
用ひす、別にイナヲを製するためにたくハへ置
たるを取りいてゝ用ゆ、イナヲに為すへき木ハ何の
木とさたまりたるにもあらねと、いつれ質の白く
して潔き木にあらされハ用ひす、其の削り出し
たる木のくすといへとも妄にとりすつる事は
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位置づけられている。
イナヲを作製するにあたっては、まるで潔斎でもするかのような様子で、その身を慎み清める行ないをしたうえで、図のような作業にかかるのである。
*潔斎でもするかのような行為のことについてであるが、彼らの言葉でイコイコイという、身を慎み清める行ないがある。イコイコイについての詳細は、本稿「カモイノミの部」を参照されたい。
イナヲを作製するにあたっては、日常用いている小刀は使用されない。特別にイナヲ作成用としてしまってあるものを取り出して用いるのである。イナヲとなる樹木の種類についてであるが、定まった決まりがあるわけではない。ただし、どんな種類であっても材質が白く清潔な木でなければ用いられることはない。こうした木からイナヲを作製する過程で生じた削りくずといえども、妄りに捨ててしまうことは
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第1巻, 8ページ, タイトル: |
| あらす、
ことーーく家のかたハらのヌシヤサンにおさめ
置事也、
ヌシヤサンの事、カモイノミの部にミえたり、
其製するところの形ちは、神を祭るの法にした
かひて、ことーーくたかひあり、後の図を見て知へし、
凡て是をイナヲと称し、亦ヌシヤとも称す、此二つの語
未さたかならすといへとも、イナヲはイナボの転語
なるへし、 本邦関東の農家にて正月十五日に
質白なる木をもて稲穂の形ちに作り糞壤にたてゝ
俗にいふこひつかの事也、
五穀の豊穣を祈り、是をイナボと称す、此事いか
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ない。
それらは一つ残らず家の傍らにあるヌシヤサンに納め置かれるのである。
*ヌシヤサンのことについてであるが、本稿「カモイノミの部」を参照されたい。
作製されたイナヲの形状についてであるが、神を祭るに際しての法に従って、ひとつひとつに相違がある。後掲の図を参照されたい。
これらを総称してイナヲまたはヌシヤという。この二つの語源は未詳であるが、うちイナヲはイナボ(稲穂)の転訛と考えられよう。我が国の関東農村において、正月一五日に材質の白い樹木を用いて稲穂の形にこしらえたものを糞壌に立てて
*俗にいう「こひつか」(肥塚)のことである。
五穀豊穣を祈る儀礼があるが、その木製祭具を「イナボ」と称している。
この儀礼は、 |
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第1巻, 27ページ, タイトル: |
| ハルケとは縄の事をいひて、縄のイナヲといふ事
なり、又一つにはトシイナヲともいふ、トシは舩中に
用ゆる綱の事をいひて、綱のイナヲといふ事
なり、是はこのイナヲの形ち縄の如く、又綱の如く
によれたるゆへに、かくは称する也、此イナヲはすへて
カモイノミを行ふの時、其家の四方の囲ひより初め
梁柱とふに至るまて、 本邦の民家にて
正月注連を張りたる如く奉けかさる也、按るに、
本邦辺鄙の俗、注連にはさむ紙をかきたれと
称し、又人家の門戸に正月あるひは神を祭る
事ある時は、枝のまゝなる竹を杭と同しく立て、
注連を張り、其竹につけたる紙をも又かきたれと
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「ハルケ」とは縄のことを表わし、「縄のイナヲ」という意味である。また、別にトシイナヲともいう。「トシ」とは船で用いる綱のことをいい、「綱のイナヲ」という意味である。これは、このイナヲの形状が縄のように、あるいは綱のように撚れているために、こう称されるのである。このイナヲは、カモイノミを行なうときに、家の四方の囲いからはじめ、梁柱などに至るまでの隅々を、我が国の民家において正月に注連縄を張るように奉げ飾るのに用いられるのである。按ずるに、我が国の辺鄙の地における風俗に、注連縄に挟む紙を「かきたれ」と称し、また人家の門戸に正月あるいは神事がある時に枝のままの竹を杭のように立て注連縄を張るのであるが、その竹につけた紙のことも「かきたれ」と
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第1巻, 37ページ, タイトル: |
| ハシとは木の小枝の事をいふ、すなハち
本邦にいふ柴の類にて、柴のイナヲといふ事也、
是は漁獵をせんとするとき、まつ海岸にて水伯
を祭る事あり、其時此イナヲを柴の□籬の如く
ゆひ立て奉くる事なり、其外コタンコルまたはヌシヤ
サンなとにも奉け用る事もあり、
コタンコル、ヌシヤサンの事は、カモイノミの部に
ミえたり、
右に録せし外、イナヲの類あまたありといへとも、
其用るところの義、未詳ならさる事多きか故に、
今暫く欠て録せす、後来糺尋の上、其義の
詳なるをまちて録すへし、 |
「ハシ」とは木の小枝のことである。即ち、わが国でいう柴の類であり、「柴のイナヲ」という意味である。漁猟をしようとするときには、まず海岸で水伯を祭ることをなす。その時に、このイナウを柴の□籬のように結い立てて奉げるのである。その他、コタンコルまたはヌシヤサンなどにも奉げ用いることもある。
* コタンコルやヌシヤサンのことについては、本稿「カモイノミの部」に記してある。
右に記した他にも、イナヲの類は沢山あるが、その用途の意義がいまだに詳らかではないものが多いので、とりあえず今は記さずにおくこととしたい。後日聞き取りの上、その意義が詳らかになるのを待って、記すことを期するものである。
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第3巻, 17ページ, タイトル: |
| 朽たる根、あるは枯たる葉、其余二種の物に
あつかるほとの器具は、臼・杵・鐺・椀より初め、炉上
に穂を干すの簾、あるは自在とふの物に至る
まて、破れ損する事あれはひとしく是を右の
所に捨置て他にすつる事決てあらす、ことに其
破れたる器具を水を遣ふの事に用ひ、及ひ
水中に捨る事なとは甚忌ミきらふ事也、
其神を祭るの事はカモイノミの部に委しく
見ゑたり、
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すべての部分、
たとえば根や枯れた葉、またその接触したすべての器具、たとえば臼・杵・鍋・椀を始め囲炉裏の上で穂を干す簾や自在鈎などの物に至るまで、破損してしまったものがあるとすべて同じ所に捨てることとなっており、決して他の場所に捨てられることはない。特に破損した器具を水をつかう作業に用いたり、水中に捨てることは、大変忌み嫌われている。
こうした神を祭ることについては、本稿「カモイノミの部」に詳しく記してある。
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第5巻, 51ページ, タイトル: |
| 三種の中、ナムシヤムイタとウムシヤムイとハ、前に
出せるとことならす、トムシの義いまた詳ならす、
追て考ふへし、ウヘマムチプに用る此よそをひの
三種は、破れ損すといへともことーーく尊敬して
ゆるかせにせす、もし破れ損する事あれは、
家の側のヌシヤサンに収め置て、ミたりにとり
すつる事ハあらす、
ヌシヤサンの事はカモイノミの部にくハしく
見えたり
かくの如くせされは、かならす神の罸を蒙る
とて、ことにおそれ尊ふ事也、罸は夷語にハルと
称す、
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三種類の中、ナムシヤムイタとウムシヤムイとは、前述のものと違いはないし、トムシの意味はまだよくわからないので、改めて考えることとしたい。
ウイマムチプで用いるこの装具三種類は、破損したとしてもことごとく尊敬しておろそかにしない。もし破損することがあれば、家の側にあるヌシヤサンに収めておいて、みだりに捨てたりすることはない。
<註:ヌシヤサンのことは「カモイノミの部」(これも欠)に詳述してあ
る>
このようにしなければ、かならず神罸をこうむるからといって、ことに怖れ尊ぶという。罸はアイヌ語でハルという。
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第7巻, 39ページ, タイトル: |
| 此図は木の皮にてふきたる屋の上を草と茅
とにてかさね葺たる家のさま也、竹の葉にて
ふきたる屋の上を草と茅とにてふきたる家も、
又たゝ草と茅とはかりにてふきたる家も、其形ち
図にあらハしたるところにてはいさゝかかはれる事な
きゆへ、此図一を録して右二の図をは略せる也、
右に録せる数種の家、いつれにても経営の事全く
終りてより移住セんとするには、まつ爐を開きて
火神を祭り、また屋の上にイナヲをたてゝ日神を
祭り、それより 本邦にいふわたましなとの
如き事を行ふよし也、然れともこれらの事いまた詳
ならさる事多きゆへ、子細に録しかたし、追て糺尋
の上録すへし、
火神・日神とふを祭る事ハ、委しくカモイノミ
の部に見えたり、
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☆ この図は木の皮で葺いた屋根の上に草と茅とを重ねて葺いた家のさまである。竹の葉で葺いた屋根の上を草と茅とで吹いた家も、また、ただ草と茅ばかりで葺いた家も、そのかたちを図にあらわしたら、すこしもかわるところはないので、この図ひとつを記してあとのふたつは略してある。
右に記した数種の家はいずれも建築がおわってから移り住もうとするには、まず、炉をきって
火の神をまつり、また屋根の上にイナヲをたてて日の神をまつり、それからわが国でいう「わたまし?」などのようなことをおこなうのだという。しかしながら、これらのことはまだよくわからないことが多いのでくわしくしるすことはできない。いずれ改めて聞きただした上でき記録することにしよう。
<註:火の神・日の神などを祭る事は、詳しく「カモイノミの部」に記してある。>
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