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第1巻, 3ページ, タイトル: |
| 事あたわす、依之 朝廷諸官吏を遣て政教を
布しむるに、蝦夷 聖恩の厚を仰き、日ならすして
全島□て投下し、風俗・言語・飲食・衣服・居家・器械之類
本邦の造に従ふもの少からす、古来未曾有の事にして、
聖代の鴻業実に仰くに堪たり、顧て思ふに往昔
奥羽の蝦夷今悉く帰化し、其時の遺風今絶て見
る事あたはす、然るに島夷の化に向ふ事、前件の如くなる
時は、風を移し俗を変し、日々に新にて奥羽の夷変し
て今日に至るか如きこと立て待へし、且其国元より文字を
しらす載籍の後世に伝ふへきなく、其今日之遺風百年の後
烏有に帰せん事、亦今日の奥羽の如くなるへし、故に家翁村上島之允
秦檍丸島夷の風俗・言語・飲食・衣服・居家・器械を写し、是の
説を作りて不朽に伝へ、百年之後天下後生をして、蝦夷の古態
を見る事を得セしめんと欲し、此図説を草創セり、其後間宮
林蔵倫宗是を潤色し、遂に八巻をなすといへとも、其後檍
丸ハ早く死し、倫宗は地図を撰するの忙しき、遂に篇を
全くする事あたはす、僅に木幣・造舩・衣服・耕耘之類、
四五条にして業を廃す、然も八巻之書、亦其作業の大概を
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第1巻, 23ページ, タイトル: キケハアロセイナヲの図二種 |
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第1巻, 25ページ, タイトル: |
| これは何とさたまりたる事なくすへて神明を
祈るに用ゆる也、キケは前にいふと同し事にて
削る事をいひ、ハアロは物の垂れ揺くかたちをいひ、
セは助語にて、削りたれ揺くイナヲといふ事也、
此ハウロといへることはも 本邦の俗語に、物のかろく
垂れ揺くさまをフアリーーーといふ事有、しかれは
ハウロはフアリと通して、キケハウロイナヲといふは
削りふありとしたるイナヲといふ事と聞ゆる也、
二種の形ちの少しくかハれる事あるは、前のキケ
チノイヽナヲにしるせしと同し事にて、前の図はシリ
キシナイの辺よりビロウの辺迄に用ひ、後の図はヒロウ
の辺よりクナシリ嶌の辺まてにもちゆる也、 |
これは、特定の定まった対象はないが、神明一般に祈る際に用いられる。「キケ」は前に述べたのと同様削ることをいい、「ハアロ」は物の垂れ動くかたちを表わし、「セ」は助詞であり、合わせて「削り垂れ動くイナヲ」という意味である。
この「ハアロ」という言葉についてであるが、我が国の俗語で、物が軽く垂れ動く様子を「ふあり、ふあり」ということがある。即ち、「ハウロ」は「ふあり」と通じて、キケハウロイナヲとは「削りふありとしたるイナヲ」という意味に聞こえるのである。
なお、図に掲げた二種の形に少々相違があるのは、前のキケチノイイナヲの個所で記したのと同様、最初の図はシリキシナイという所の辺りからビロウという所の辺りまでに用いられており、後の図はビロウの辺りからクナシリ島の辺りまでに用いられているものである。
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第2巻, 5ページ, タイトル: |
| ゆへ也、
絶て米穀の類の生セさる地といふにハ
非す、すてに 本邦の人の行きて住居する
ものは、麦あるは菜・大根とふを作るによく生
熟する事也、
是をアユウシアマヽと称す、アユとは刺をいひ、ウシ
とは在るをいひ、アマヽは穀食の通称にして、
刺のある穀食といふ事也、この稗の穂には
刺の多くある故にかくはいへる也、夷人の伝言
するところは、この国闢けし初め天より火の神
降り□ひて、此種を伝へたまへり、それよりして
かく作る事にはなりたるよし也、然るゆへに
是を尊ふ事大かたならす、其作り立るより
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からである。
また、蝦夷地はまったく米穀の類が生育しない地であるというわけでもない。実際、既に「本邦の人」が来住している地域では、麦または菜・大根等を栽培しており、よく成熟する様子が見られる。
この図に見える稗の一種は、アユウシアママと称されるものである。「アユ」とは刺のこと、「ウシ」は「在る」を表わし、「アママ」は穀類の通称で、つまり「刺のある穀物」という意味の言葉である。この稗の穂に刺が多くあるため、このように呼ばれている。アイヌの人々の伝承によれば、国の開けし初め、天から火の神が降臨なされ、この種をお伝えになり、それ以来栽培するようになったということである。そういう由緒を持つことから、アイヌの人々はこの作物を非常に尊んでおり、
栽培から
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第2巻, 29ページ, タイトル: テケヲツタセイコトクの図 |
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第2巻, 30ページ, タイトル: |
| 是はアユシアマヽ熟するの時に及て、その穂を
きらんかために手に貝をつけたるさま也、テケヲ
ツタセイコトクといへるは、テケは手の事をいひ、ヲツタ
は何にといふにの字の意なり、セイは貝をいひ、コト
クは附る事をいひて、手に貝を附るといふ事也、
これに用る貝は、夷語にビバセイといふ也、其を小刀
を磨する如くによくときて手に附る也、ヒバセイ
は別に貝類の部にくハしくミえたり、
凡穂をきるにはミなこれを用ひてきる事也、
決して小刀よふの物、すへて刃物を用ゆる事ハ
あらす、奥羽の両国の中まれにハ穂をきるに右の
如く貝を用ゆる事もあるよしをいへり、
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これは、アユシアママが稔るに及んで、その穂を切るために手に貝をつけた様子である。テケヲツタセイコトクというのは、「テケ」は手を、「ヲツタ」は「~に」という語を、「セイ」は貝を、「コトク」は「付ける」をそれぞれ表し、合わせて「手に貝を付ける」という意味である。
* これに用いられる貝を、アイヌ語でビバセイという。この貝を、小刀を研磨するようによく研いで手に装着するのである。ビバセイについては、別記「貝類の部」に詳細である。
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第3巻, 10ページ, タイトル: |
| ユウタとは舂事をいふ也、ヒロウなといへる所の
辺より奥の夷地に至りてはウタとも称する
なり、是は前の図のことく囲炉裏の上にてほし
たる穂をそのまゝ臼にいれてつく事なり、
其つく所は常に小棟屋にて為す事多し、
小棟屋は夷語にチセセムといひて、住居の側に
立てつきたる小き家をいふ也、
晴天の日なとは、家の外に出てつく事も
ある也、 |
ユウタとは、搗くことを意味する。ヒロウ(広尾)とかいう所の辺りより奥の蝦夷地に行くと、ウタとも称している。これは、前の図に見えるような囲炉裏の上で干した穂を、そのまま臼に入れて搗くことを指している。これを搗く場所であるが、常に小棟屋で行なわれることが多い。
* 小棟屋とは、アイヌ語でチセセムといって、住居のそばに建てられる小さな家のことである。
晴天の日などは、屋外に出て搗かれることもある。 |
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第4巻, 24ページ, タイトル: |
| とだては舟の艫なり、図に二種出セる事ハ、
所によりて形ちも替り、名も同しからさる故也、
二種のうち前の図はシリキシナイよりヒロウ
まての舟にもちゆ、
すへて所により用る物のたかふ事なと、此所
より此所迄とくハしく限りてハいひ難し、
こゝにシキリシナイよりヒロウまてといへ
るも、シリキシナイの辺よりヒロウの辺
まてといふ程の事也、後の地名にかゝはる
事はミな此類と知へし、
夷語に是をイクムと称す、
此語解しかたし、追て考ふへし
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「とだて」は舟の艫(とも)のことである。二種類の図を出したのは、地方によって形態が変り、呼び名も共通ではないからである。二種類のうち、前の図はシリキシナイからヒロウまでの舟で用いている。
<註:地方によって使用する物が異なることなどは、ここからここまでと
詳しく限定していうことはできない。ここでシキリシナイからヒロ
ウまでといっても、それはシリキシナイのあたりからヒロウのあた
りまでというほどのことである。のちにでてくる地名にかかわるこ
とはすべてこの類と知っておいてほしい。>
アイヌ語でこれをイクムという。
このことばの意味はわからない。追って考えることにしよう。
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第5巻, 33ページ, タイトル: |
| 此図は海上をこぐところ也、其乗るところハ
水伯を祈るよりはしめ、ことーーく走セ舟にこと
なる事なし、二種のうち、前の図はこ
くところの具ことーーくそなハりたるさまを
図したる也、後の図はすなはち海上をこくさま也、
こく時はシヨ板に腰を掛、カンヂを
左右の手につかひてこぐ、其疾き事飛か
如し、カンヂの多少は舟の大小によりて
立る也、アシナフを遣ふ事ハ走せ舟に同し、
是を夷語にチプモウといふ、チブは舟をいひ、
モウは乗るをいふ、舟を乗るといふ事也、但し
ビロウ辺よりクナシリ辺の夷人はこれをこぐの
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この図は海上をこぐところである。それに乗るには水の神に祈ることからはじめ、すべて「走る舟」と異なることはない。
二種類のうち、前の図の舟は漕ぐ道具が完備したようすを図示したものである。あとの図は海上を漕ぐようすである。
漕ぐときはシヨ板に腰をかけて、左右の手にカンヂをつかんで漕ぐ。その早いこと、飛ぶがごとくである。カンヂの多少は舟の大小によって異なる。アシナフを使うことも「走る舟」と同じである。
これをアイヌ語でチプモウという。チブは舟のこと、モウは乗るをいう。「舟を乗る」ということである。
ただしビロウ辺からクナシリ辺のアイヌの人びとはこれを漕ぐとき、
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第6巻, 7ページ, タイトル: |
| 其造れるさまも殊に艱難にて、 本邦機杼
の業とひとしき事ゆへ、其製しかたの始終本末
子細に図に録せるなり、イタラツベといふもアツトシ
とひとしき物ゆへ、これ又委しく録すへき理
なりといへとも、此衣は夷地のうち南方の地とふにてハ造り
用る者尤すくなくして、ひとり北地の夷人のミ稀に
製する事ゆへ、其製せるさま詳ならぬ事とも
多し、しかれともその製するに用る糸は夷語に
モヲセイ、ニハイ、ムンハイ、クソウといへる四種の草を
日にさらし、糸となして織事ゆへ、其製方の始末
全くアツトシとことならさるよしをいへり、こゝをもて
此書にはたゝアツトシの製しかたのミを録して、
イタラツペのかたは略せるなり、
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第6巻, 22ページ, タイトル: |
| 此図はアツトシを織りあけたるさま也、アツトシカル
ヲケレといふは、アツトシアルは前にしるせしと同しく、
ヲケレは終る事にて、アツトシ造る事終るといふ事也、
其織りあけたるまゝのアツトシをウセフアツトシといへり、
ウセフは純色といふか如き事にて、織りあけたるまゝの
アツトシといふ心なり、 本邦の語に、木綿の織りたる
まゝにて、何の色にも染さるを白木綿といふか如し、アツトシ
の織りあけたるさま図の如くに、下のかたの幅を狭くなし
たる事は、上の方は身衣となすへきつもりゆへ、幅を
広く織り、下の方は袖となすへきつもり故、幅を狭く
織るなり、その身衣幅と袖幅とに織りわくるさかひを
トシヤトイと称す、トシヤは袖をいひ、トイは切る事をいひ
て、袖を切るといふ事なり、又衣に製するところの
長短もかねて、著る人のたけをはかり定め置て、少しの
余尺もなきよふに織事なり、
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第6巻, 24ページ, タイトル: |
| 切り、またそれを二つにきりてこれを身衣になし、背の
ところは上より下まて縫ひ通す也、それより肩の
左右を弐寸五分ほとに切りて、其きりしところに木綿
にてもアツトシにても外のきれを入れて縫ひつくる
なり、其かたちまつ襟ともいふへきか如し、委しくハ
図を見てしるへし、すへてその縫ふといへるはアツトシ
の耳と耳とを合セ、糸をもて巻さまに縫ふ事也、
かくの如くに縫ふ事終りてより、背のところに木綿
の切をもて種々のかたちを刺繍する事、後の
全備の図のことし、
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第6巻, 26ページ, タイトル: アツトシミアンベの図 |
| これは前にしるせし身衣と袖とを縫ひ合セ、背の
ところに刺繍の文をつけ、其外袖と裾との縁にもかさりを
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第7巻, 1ページ, タイトル: 蝦夷生計図説 チセカル之部 七 |
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第7巻, 6ページ, タイトル: チセチクニバツカリの図 |
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第7巻, 7ページ, タイトル: |
| ここに図したるところは、家を造るへき地をかんかへ
さためたるうへ、山中に入りて材木を伐り出し、梁・柱
とふのものを初め、用るところにしたかひて長短を
はかり、きりそろゆるさまなり、チセチクニパツカリと
いへるは、チセは家をいひ、チクニは木をいひ、パツカリは
度る事にて、家の木を度るといふ事也、其度ると
いへるも、夷人の境すへて寸尺の法なけれは、たゝ手と
指とにて長短を度る也、手をもて度るをチムといひ、
中指にてはかるをモウマケといひ、食指にてはかるを
モウサといふ也、此語の解未いつれも詳ならす、
追てかんかふへし、是はたゝ木をはかる事のミに
限るにあらす、いつれの物にても長短をはかるにハ
同しく手と指とを用てはかる事なり、
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☆ここに図示したところのものは、家を造る土地を考えて決めた上で、山中に入って材木を伐り出し、梁や柱などのものをはじめ、使うところの場所場所に従って長短を計って切り揃えているようすである。
チセチクニパツカリというのは、チセ【チセ:cise/家】は家の意味、チクニ【チクニ:cikuni/木】は木の意味、パツカリ【パカリ:pakari/計る】は計るという意味であって、家の木を測るということである。測るといっても、アイヌの国には総じて度量衡の規則などということがないため、もっぱら手と指とで長短を測るのである。手で測ることをチム【テ*ム:tem/両手を伸ばした長さ(1尋)】といい、中指で測ることをモウマケ【●?】といい、食指で測ることをモウサ【モウォ?:/人差し指と親指を広げた長さ】という。これらのことばの解釈はいまだどれも定かではない。改めて考えることにしよう。
これはただ木を測るだけではなく、どんなものでも長短を測るには同じように手と指を持って測るのである。
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第7巻, 16ページ, タイトル: |
| うち卑湿なるところに多く生するもの也、
二にハ藤葛を用ゆ、三には野蒲萄の皮をはきて其侭
用ゆ、藤葛を夷語に何といひしにや尋る事をわすれ
たるゆへ、追て糺尋すへし、野蒲萄の皮はシトカフといへり、
シトは蒲萄をいひ、カフは皮をいふ也、此三種のうち草を
なひたる縄と藤葛の二つは材木を結ひ合セ、屋のくミ
たてをなすとふの事に用ひ、野蒲萄の皮ハ屋を葺に用
ゆる也、まれにハ前の二種を用て屋を葺事あれとも
腐る事すミやかにして便ならす、たゝ野蒲萄の皮のミハ
ことに堅固にして、数年をふるといへとも朽腐する事なき
ゆへに多くハ是のミを用る也、三種のさまのかハりたるは図を
見て知へし、屋を葺の草すへて五種あり、一つにハ
茅を用ひ、二にハ蘆を用ひ、三には笹の葉を用ひ、四にハ
木の皮を用ひ、五にハ草を用ゆ、此五種のうち多くハ草と茅
との二種を用る也、五種のもの各同しからさる事は、後の
居家全備の図に委しくミえたる故、別に図をあらはすに及ハす、
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なかで土地が低くて湿気が多いところに
多くはえているのである。>
ふたつめは藤葛を使用する。みっつめは野葡萄の皮を剥いで使う。藤葛をアイヌ語で アイヌ語でなんというのか聞くのを忘れたので、改めて聞きただすことにしよう。野葡萄の皮はシトカフという。シト【ストゥ:sutu/ぶどうづる】は葡萄をいい、カフ【カ*プ:kap/皮】は皮をいうのである。この三種類のうち、草を綯った縄と藤葛のふたつは材木を結び合わせて家屋の組み立てをするなどのことに用い、野葡萄の皮は屋根を葺くのに用いるのである。まれには前のふたつ(草と藤葛)を使って屋根をふく事があるけれども腐ることが早いので都合がよいとはいえない。わずかに野葡萄の皮だけがとりわけ丈夫で、数年たっても朽ちたり腐ったりすることがないので、多くはこれだけを使うのである。三種類のようすの違いは図を見て理解してほしい。
屋根を葺く草はみんなで五種類ある。ひとつには茅を使い、ふたつには芦を使い、みっつめは笹の葉を使い、四つめは木の皮、いつつめは草を使う。このいつつのうち、多くは草と茅の二種類を用いるのである。この五種がおのおの同じでないことは後の「居家全備の図」に詳述したのでここではかくべつ図示はしない。
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第7巻, 25ページ, タイトル: |
| 茅をもてかこふ事なり、其かこひをなすに二種の
ことなるあり、シリキシナイの辺よりビロウの辺ま
てのかこひは、 本邦の藩籬なとのことくに
ゆひまハして、家の四方を囲ふなり、ビロウの辺より
クナシリ嶋まてのかこひは、屋を葺てより其まゝ
家の四方にふきおろして囲ふ也、委しくハ後の
全備の図を見てしるへし、其茅をふく次第は、家の
くミたてとゝのひてより、まつ初に四方の囲ひをなし、
それより屋をふく事也、
凡屋をふくにつきてハ、其わさことに多して、
此図一つにして尽し得へきにあらす、別に器
財の部のうち葺屋の具をわかちて録し
置り、合セ見るへし、
右の如く屋を葺事終りて、其家の右の方に
小きさげ屋を作りて是をチセセムといふ、チセは家
をいひ、セムはさげ屋といふ事なり、
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である。その囲いをするのには二種類の方法のちがいがあって、シリキシナイあたりよりビロウあたりまでの囲いは、わが国の垣根などのように茅を結いまわして家の四方を囲うのである。また、ビロウのあたりよりクナシリ嶋までの囲いは屋根を葺いてから、そのまま家の四方に葺き下ろして囲うのである。詳しいことは後に示した全備の図をみて理解してほしい。
その茅の葺き方の順序は、家の組み立てがおわってから、まず四方の囲いを造り、それから屋根を葺くのである。
<註:大体において、屋根を葺くための技術はとりわけ多く、この図ひとつでいいつくす
ことはできない。別に「器財の部」の中に屋根葺きの道具を分けて記録しておいた
ので合わせてみてほしい。>
以上のように屋根を葺き終ると、その家の右のほうに小さな「さげ屋」を造って、これをチセセムという。セム【セ*ム:sem/物置】はさげ屋ということである。
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第7巻, 26ページ, タイトル: |
| さげ屋といふは、すへて 本邦の俗語に
本屋のつゝきに小き家を造り足す事をさげ
屋といふ事なり、
この家の図の右の方に、口のあきてあるは、其
チセセムを造るへきために明け置事也、後の全備
の図を見てその造れるさまをしるへし、是にて
まつ居家経営の事は終れり、これより後に
録するところは全備のさまをしるせるなり、
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<註:さげ屋というのは、総じてわが国の俗語で、本屋に続きに小さな小屋を造り足すこ
とをいう。>
この家の図の右の方に口を明けてあるのは、チセセムを造るためにあけたのである。後の全備の図をみてその様子を知ることができる。
☆ これで、とりあえず、家の建て方についてのことは終わる。これから後に記録してあるのは完成した様子を記してある。 |
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第7巻, 27ページ, タイトル: キキタイチセの図 |
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第7巻, 28ページ, タイトル: チセコツの図 |
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第7巻, 29ページ, タイトル: |
| 此図はシリキシナイの辺よりシラヲイの辺に
至るまての居家全備のさまにして、屋は茅を
もて葺さる也、是をキキタイチセと称す、キは
茅をいひ、キタイは屋をいひ、チセは家をいひて、茅の
屋の家といふ事なり、前にしるせし如く、屋をふく
にはさまーーのものあれとも、此辺の居家は専ら
茅と草との二種にかきりて用るなり、チセコツと
いへるは其家をたつる地の形ちをいふ也、チセは家を
いひ、コツは物の蹤跡をいふ、この図をならへ録せる事ハ、
総説にもいへる如く、居屋を製するの形ちはおほ
よそ三種にかきれるゆへ、其三種のさまの見わけやす
からんかためなり、後に図したる二種はミな此故と
しるへし、
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☆ この図はシリキシナイのあたりからシラヲイのあたりまでの家の完備したすがたで、屋根は茅で葺いてある。これをキキタイチセという。キ【キ:ki/カヤ】は茅をいい、キタイ【キタイ:kitay/てっぺん、屋根】は屋根をいい、チセ【チセ:cise/家】は家をいうから茅の屋根の家ということである。前述のように屋根の葺き方にはさまざまなものがあるが、このあたりの家はもっぱら、茅と草の二種だけを使うのである。
チセコツというのは、その家を建てる敷地のかたちをいう。チセは家をいい、コツ【コッ:kot/跡、くぼみ】はものの
あとかたをいう。この敷地の図を並べて記すのは総説でものべておいたように、家を造る際のかたちはだいたい三種類に限られるので、その三種類の形体を見分けやすくしようと考えたためである。後に図示した二種はミナこの理由によるのである。
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第7巻, 30ページ, タイトル: シヤリキキタイチセの図 |
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第7巻, 32ページ, タイトル: |
| 此図はシラヲイの辺よりヒロウの辺にいたる
まての居家全備のさまにして、屋は蘆をもて
葺たるなり、是をシヤリキキタイチセと称す、シヤリ
キは蘆をいひ、キタイは屋をいひ、チセは家を
いひて、蘆の屋の家といふ事なり、此辺の居家
にては多く屋をふくに蘆のミをもちゆ、下品
の家にてはまれに茅と草とを用る事もある
なり、
右二種の製は四方のかこひを藩籬の如くになし
たるなり、
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☆この図はシラヲイのあたりからヒロウのあたりまでの家の完備したようすで、屋根は芦で葺いている。これをシヤリキキタイチセという。シヤリキ【サ*ラキ:sarki/アシ、ヨシ】は芦のこと、キタイ【キタイ:kitay/てっぺん、屋根】は屋根、チセ【チセ:cise/家】は家をいうから、芦の屋根の家ということである。このあたりの家の多くは屋根を葺くのに芦だけを使う。下品の家ではまれに茅と草とを用いることもある。
右に図示した二種の造りは四方の囲いを垣根のようにしてある。 |
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第7巻, 33ページ, タイトル: ヤアラキタイチセの図 |
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第7巻, 35ページ, タイトル: |
| 是はビロウの辺よりクナシリ島にいたるまての
居家全備のさまにして、屋は木の皮をもて
葺たるなり、是をヤアラキタイチセと称す、ヤア
ラは木の皮をいひ、はタイチセは前と同しことにて、
木の皮の屋の家といふ事なり、たゝしこの木の
皮にてふきたる屋は、日数六七十日をもふれは
木の皮乾きてうるをひの去るにしたかひ裂け
破るゝ事あり、其時はその上に草茅とふをもて
重ね葺事也、かくの如くなす時は、この製至て
堅固なりとす、しかれとも力を労する事ことに深き
ゆへ、まつはたゝ草と茅とのミを用ひふく事多し
と知へし、木の皮の上を草茅とふにてふきたる
さまは、後の図にミえたり、
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☆ これはビロウのあたりからクナシリ島にいたる家屋完備のようすである。屋根は木の皮で葺いている。これをヤアラキタイチセという。ヤアラ【ヤ*ラ:yar/樹皮】は木の皮をいい、キタイチセは前とおなじことで、木の皮の屋根の家ということである。ただし、この木の皮で葺いた屋根は日数六、七十日もたてば、木の皮が乾いて潤いがなくなるにしたがって、裂けて破れることがある。そのときは上に草や茅などでもって重ねて葺くのである。このようにしたときは、造りはいたって丈夫であるという。しかしながら、この作業は労力がたいへんなので、一応は草と茅だけを使って葺くことが多いと理解しておいてほしい。木の皮の上に草や茅などでふいているさまは後に図示してある。
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第7巻, 36ページ, タイトル: トツプラツプキタイチセの図 |
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第7巻, 37ページ, タイトル: |
| この図もまたビロウの辺よりクナシリ嶋に至る
まての居家全備のさまにして、屋を竹の葉にて
ふきたる也、これをトツプラツフキタイチセと称す、
トツプは竹をいひ、ラツプは葉をいひ、キタイチセは
前と同し事にて、竹の葉の屋の家といふ事也、
これ又木の皮と同し事にて、葺てより日かすを
ふれは竹の葉ミな枯れしほミて雨露を漏すゆへ、
やかて其上を草と茅にてふく也、この製又至て
堅固なりといへとも、力を労する事多きにより
て、造れるものまつはまれなりとしるへし、
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☆ この図もまた、ビロウのあたりからクナシリ島にいたる家屋完備のようすであって、屋根を竹の葉で葺いている。これをトツプラツフキタイチせという。トツプ【ト*プ:top/竹、笹】はたけをいい、ラツプ【ラ*プ:rap/竹などの葉】は葉をいう。キタイチセは前とおなじだから、竹の葉の屋根の家ということである。
これまた、木の皮とおなじで葺いてから日数がたてば、竹の葉はみんな枯れしぼんで雨露を漏らすようになるので、やがてその上を草と茅とで葺くのである。この造りはまたとても丈夫なのだけれども労力がたいへんなので、これを造っているものはまず少ないと理解してほしい。
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第7巻, 39ページ, タイトル: |
| 此図は木の皮にてふきたる屋の上を草と茅
とにてかさね葺たる家のさま也、竹の葉にて
ふきたる屋の上を草と茅とにてふきたる家も、
又たゝ草と茅とはかりにてふきたる家も、其形ち
図にあらハしたるところにてはいさゝかかはれる事な
きゆへ、此図一を録して右二の図をは略せる也、
右に録せる数種の家、いつれにても経営の事全く
終りてより移住セんとするには、まつ爐を開きて
火神を祭り、また屋の上にイナヲをたてゝ日神を
祭り、それより 本邦にいふわたましなとの
如き事を行ふよし也、然れともこれらの事いまた詳
ならさる事多きゆへ、子細に録しかたし、追て糺尋
の上録すへし、
火神・日神とふを祭る事ハ、委しくカモイノミ
の部に見えたり、
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☆ この図は木の皮で葺いた屋根の上に草と茅とを重ねて葺いた家のさまである。竹の葉で葺いた屋根の上を草と茅とで吹いた家も、また、ただ草と茅ばかりで葺いた家も、そのかたちを図にあらわしたら、すこしもかわるところはないので、この図ひとつを記してあとのふたつは略してある。
右に記した数種の家はいずれも建築がおわってから移り住もうとするには、まず、炉をきって
火の神をまつり、また屋根の上にイナヲをたてて日の神をまつり、それからわが国でいう「わたまし?」などのようなことをおこなうのだという。しかしながら、これらのことはまだよくわからないことが多いのでくわしくしるすことはできない。いずれ改めて聞きただした上でき記録することにしよう。
<註:火の神・日の神などを祭る事は、詳しく「カモイノミの部」に記してある。>
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第7巻, 44ページ, タイトル: |
| ふせく事なり、アツクウなといへる物を製して
鼠を捕る事もあり、
アツクウの図は、器財の部にミえたり、
しかれともいまた猫をやしなふ事流布なさる
ゆへ、心を労するのミにして物をそこなハるゝ事
多しと知へし、此板を床柱の上に置ところの
さまは前に出せる蔵の図を合セ見てしるへし、
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防ぐのである。アツクウ【アック:akku/弓のついた罠】などを造ってねずみを捕らえることもある。
<註:アツクウの図は「器財の部」にある。>
しかしながら、いまだに猫を飼うことが広まっていないので、心労のわりには物の害が多いことを理解してほしい。この板を床柱の上に置いたところのようすは前に図示した蔵の図とあわせ見て理解してほしい。 |
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第8巻, 10ページ, タイトル: |
| またチセコルヌシヤサンの棚の上に納め置事も
あり、旅行する事なとあれハかならす身
をはなさす携へ持する事なり、年久しく家に
持伝へたるなとにハ、人をたひーー拷掠なしたるに
よりて、打たるところに皮血とふ乾き付て、
いかにもつよく拷掠したるさまミゆるなり、
それをは殊に尊敬して家に伝へ置事也、
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またチセコルヌシャサン【チセコ*ロヌササン:cisekornusasan/屋内の祭壇】の棚の上に納めて置くこともあり、また、旅行をすることがあれば、かならず身からはなさず携えているのである。長年、家に伝世したものなどには、ひとをたびたびむち打ったので、打ったところには皮や血などが乾き付いていて、確かに強く打ったようすがみえるのである。それをまことに尊敬して家に伝えていくのである。
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