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第1巻, 29ページ, タイトル: シユトイナヲの図 |
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第1巻, 30ページ, タイトル: |
| シユトといへるは、もと杖の名にして、ウカルを行ふ
時にもちゆる物也、
ウカルといふは、夷人の俗罪を犯したる者あれハ、
それをむちうつ事のある也、シユトは其むち
うつ杖の事をいふ、委しくは、ウカルの部にミえたり、
此イナヲを製するには、まつ木をシユトの形ちの
如くにして、それより次第に削り立る事をなすに
よりて、かくは名つけし也、 本邦の語に
罪人をうつ杖の事をしもとゝいふ、さらはシユトは
しもとの転語にして、これ又 本邦の語に
通するにや、このイナヲはいつれの神を祈るにも
通し用ゆる事也、
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「シユト」とは、もと杖の意味であり、ウカル( )を行なう時に用いられる。
* ウカルといって、アイヌの人々のなかで俗罪を犯した者がいた場合、その者を鞭打つことがある。シユトは、その際に用いられる杖のことをいう。詳しくは、本稿「ウカルの部」に記してある。このイナヲを作製するときに、まず木をシユトの形のように加工してから順次削っていくことにより、こう名づけられたのである。わが国の言葉で罪人を打つ杖のことを「しもと」という。つまり、「シユト」は「しもと」の転語であり、これまたわが国の言葉と通じていることになろう。なお、このイナヲはどの神を祈るにも共通して用いられるものである。
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第8巻, 6ページ, タイトル: |
| 戒慎せしめ、子孫の繁栄を祈る心なり、又其子
たる者親の非業の死をかなしミ憂苦甚しく、ほとんと
生をも滅せん事をおそれ、拷掠して其心気を励し
起さんかために行ふ事も有よし也、四つにハ父母の
死にあふ者に行ふ事有、是ハ其子たるものを強く
戒しめて父母存在せる時のことくに万の事をつゝしミ、
能家をさめしめん事を思ひて也、五つにハ流行の
病とふある時、其病の来れる方に草にて偶人を作り
立置て、其所の夷人のうち一人にウカルの法を行ひ
て、その病を祓ふ事有、六つにハ日を連て烈風暴雨等ある
とき、天気の晴和を祈て行ふ事有、此流行の
病を祓ふと天気の晴和をいのるの二つは、同しく拷掠
するといへとも、シユトに白木綿なとを巻て身の痛まさる
よふに軽く打事也、此ウカルの外に悪事をなしたる
者あれハ、それを罰するの法三つ有、一つにはイトラスケ、
二つにはサイモン、三つにはツクノイ也、イトラスケといふは、
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慎ませて子孫の繁栄を祈るこころなのである。また、その子は親の非業の死を悲しみうれうることがはなはだしく、ほとんど命を失わんばかりになることを心配して、むち打つことでかれの気持ちを奮い起こすために行なうこともあるという。
よっつめは父母の死にあったものに行なうことがある。これはその子どもを強く戒めて両親が生きていたときのように万事を慎んで、うまく家を守るようにと願ってのことである。いつつめは、伝染病が流行したときなど、伝染病が来る方向に草で作った人形を立ておいて、その村の住人のひとりにウカルを行なって、病気のお祓いをするのである。むっつめは連日、暴風雨が吹き荒れたとき、天候の回復を祈って行なうことがある。
この伝染病のお払いと、天気の回復を祈ることのふたつは、おなじむち打つといっても、シユト【ストゥ:sutu/棍棒、制裁棒】に白木綿などを巻いてからだが痛まないように軽く打つのである。
ウカルのほかに、悪いことをしたものがあれば、かれを罰する方法にみっつある。
ひとつはイトラスケ、二はサイモン【サイモン:saymon/神判、盟神探湯】、三はツクノイである。イトラスケというのは、
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第8巻, 8ページ, タイトル: シユトの図 |
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第8巻, 9ページ, タイトル: |
| 是はウカルを行ふの時、拷掠するに用る杖なり、
シユトと称する事はシモトの転語なるへし、
本邦の語に□笞をしもとゝ訓したり、
これを製するには、いつれの木にても質の堅固
なる木をもて製するなり、其形ちさまーー変り
たるありて、名も又同しからす、後に出せる図を
見てしるへし、此に図したるをルヲイシユト
と称す、ルとは樋をいひ、ヲイは在るをいひて、
樋の在るシユトといふ事也、後に図したる如く
種類多しといへとも、常にはこのルヲイシユト
のミを用ゆる事多し、夷人の俗、此具をことの
外に尊ひて、男の夷人はいつれ壱人に壱本
つゝを貯蔵する事也、人によりてハ壱人にて
三、四本を蔵するもあり、女の夷人なとには
聊にても手をふるゝ事を許さす、かしらの
ところにハルケイナヲを巻て枕の上に懸置也、
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☆ これはウカルをおこなうとき、むち打つのに用いる杖である。シユトという語はシモトの転語であろう。
<註:わが国のことばで楉笞を「しもと」と訓じている>
これを作るには、どんな木でも木質の堅い木を用いる。そのかたち、いろいろ変ったものがあって、名称も同じではない。あとに出した図を見て理解してほしい。
ここに図示したものをルヲイシユト【ruosutuあるいはruunsutu→ruuysutuか?】という。ル【ル:ru/筋】は樋をいい、ヲイ【オ:o/にある。ウン→ウイ?:un→uy?/ある?】は在るということで、樋の在るシユト【ストゥ:sutu/棍棒、制裁棒】ということである。後に図示したように種類は多くあるが、通常はこのルヲイシユトのみを使うことが多い。
アイヌの人びとのならいでは、この道具をことのほか尊んで、男はみなひとり一本づつもっているのである。ひとによっては、ひとりで三、四本をもっているものもあるが、女などにはわずかでも手を触れることを許さない。その頭のところにはハルケイナヲ【ハ*ラキ● イナウ:harki inaw/●】を巻いて、枕の上に掛けておくのである。
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第8巻, 11ページ, タイトル: ジアユウシシユトの図 |
| ジアユウシシユト
いへるは、シは肬をいひ、
アユは刺し痛むを
いひ、ウシは在るをいひ
て、いほのさす事ある
シユトといふ事なり、
是は図の如くにいぼ
の在るシユトにて、拷掠
する時右のいぼ肉を
さし痛むゆへに斯ハ
いへるなるへし、
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☆ジアユウシシユトというのは、シ【?】はいぼをいい、アユ【アイ:ay/とげ】は刺して痛いことをいい、ウシ【ウ*シ:us/がある】は在るという意味で、いぼの刺すことがあるシユトということである。
これは図のようにいぼがあるシユトであって、むち打つとき、そのいぼが肉をさすので痛むためにこのようにいうのである。
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第8巻, 12ページ, タイトル: アカムシユトの図 |
| アカムシユトと
いへるは、アカムは車を
いひて、車のシユト
といふ事なり、此
製作は節々の
高く出たるところ
車の輪のことく
なる故にかくは
いへるなり、
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☆アカムシユトというのは、アカム【アカ*ム:akam/輪】は車のことで、車のシユトという意味である。この作りようは節ぶしが高く出たところが車輪のようなのでこのようにいうのである。
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第8巻, 13ページ, タイトル: ラヽカシユトの図二種 |
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第8巻, 14ページ, タイトル: |
| ラヽカシユトと
いへるは、ラヽカは
滑なる事をいひ
て、滑なるシユトと
いふ事也、此二つの
製作外のシユトに
くらふれは彫刻
せるもの少もなく
して、滑なる故に
かくはいへるなり、
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☆ラヽカシユトというのは、ラヽカ【ララ*ク:rarak/すべすべした】は滑らかなことで、滑らかなシユトということである。これは前述のふたつのシユトに比べれば彫刻したところが少しもなく滑らかなのでこのように言うのである。
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第8巻, 15ページ, タイトル: ケフヲイシユトの図 |
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第8巻, 16ページ, タイトル: |
| ケフヲイシユトといへるは、ケは毛をいひ、フはま
はらなる事をいひ、ヲイは在る事をいひて、
毛のまハらに在るシユトといふ事なり、これは
海獣の皮を細長く切りて図の如くにシユトの
かしらに巻たるゆへ、其毛のまハらに在るを以て
かくはいへるなり、
ここに海獣としるしたるは、奥羽松前とふの
方言にトヾといへるもの也、夷人の言葉に何と
いひしにやわすれたるゆへ、其名をしるさす、追て
録すへし、
右に図したる六種の外にも形ちのかはりたる
シユトさまーーあるよしをいひも伝ふれと、まさし
く見たる事にあらさるゆへしるさす、追て糺尋
のうへ録すへし、
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☆ケフヲイシユトというのは、ケ【ケプ*ル:kepur/毛皮の毛を抜いたもの?】は毛のことをいい、フはまばらなこと、ヲイ【オ:o/にある。ウン→ウイ?:un→uy?/ある?】は在るということで、毛のまばらに在るシユトのことである。これは海獣の皮を細長く切って図のようにシユトの頭に巻いているので、(海獣の皮に)毛がまばらにあるのでこのようにいうのである。
<註:ここに海獣と記したのは、奥羽、松前などの方言にトドというもののことである。アイヌ語でなんというのか忘れたので、その名は記さない。おって記録することにしよう。
右に図示した六種類のほかにもかたちの変ったシユトがいろいろあると伝えているが、確かに見たことがないので記録しない。いずれ聞きただしたうえで記録することにしよう。>
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