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第7巻, 9ページ, タイトル: |
| トントベレバといへるは、トンドは柱をいひ、ベレバは
割事をいひて、柱を割といふ事なり、是は伐り
出せし木の長短を度りて、よりよくーー切り
揃へ、細きは其まゝ用ひ、太きは二つに割て柱と
なす事也、すへて夷人の境、器具とほしくし
て鋸よふの物もなけれは、かゝる事をなすにも図の
如く斧をもて切りわり、その上を削りなをす也、
柱のミならす板を製するといへとも、又同しく
斧にて切りわる事ゆへ、其困難にして力を
労する事いふはかりなし、
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☆トントベレバというのは、トンド【トゥントゥ:tuntu/(大黒)柱】は柱の意味、ベレバ【ペ*レパ:perpa/割る】は割ることで、柱を割るということである。これは伐り出した木の長短を測ってよりよくよりよく切り揃えて、細い木はそのまま用い、太い木はふたつに割って柱とするのである。総じて、アイヌの国では道具に乏しくて鋸のようなものもなければ、木をふたつに割るのにも図のように斧でもって切り割り、その上を削りなおすのである。
柱ばかりではなく、板を造るときであってもまた同様に斧で切り割るのでその作業の困難でかつつかれることについてはいうこともできない。 |
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第7巻, 11ページ, タイトル: |
| トンドは柱の事也、図に二種出せる事は、上
下の品あるゆへなり、上に図したるは岐頭の木に
して、桁のくゝみに其まゝ岐頭のところを用る也、
是をイクシベトンドと称す、イクシベは岐頭の木を
いひ、トンドは柱をいひて、岐頭の木の柱といふ事也、
是を下品の柱とす、下に図したるは常の柱にして、
桁のくゝみを筥の如くなして用る也、これをバロ
ウシトンドと称す、バロは口をいひ、ウシは在るをいひて、
口のある柱といふ事なり、是を上品の柱とす、
すへて夷人の境、居家の製はその形ち大小広狭の
たかひありて一ならすといへとも、柱の製はこの
二種に限る事なり、
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☆ トンドは柱のことである。二種類を図示したのは、上下の品があるためである。上に図示したのは頭が分かれた二股の木で、桁のくくみ?にそのまま二股のところを使うのである。これをイクシベトンドという。イクシベ【イク*シペ:ikuspe/柱】は二股の木をいい、トンド【トゥントゥ:tuntu/(大黒)柱】は柱のことで二股の木の柱ということである。これを下品の柱とする。
下に図示したのは通常の柱で、桁のくくみ?を丸い箱のようにして使うのである。これをバロウシトンドという。バロ【パロ:paro/その口】は口のことをいい、ウシ【ウ*シ:us/にある】は在るといって、口のある柱という意味である。これを上品の柱とする。総じてアイヌの人びとの国は、家の製法はその形、大小、広狭の違いがあって、同一ではないといっても、柱の製法はこの二種類に限られているのである。
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第7巻, 14ページ, タイトル: |
| さすといへるは、もと 本邦の言葉にして、
茅葺の屋を造る時図の如く左右より木を合せ
たるものをいふ也、是を夷人の語に何といひしにや
尋る事をわすれたる故、追て糺尋すへし、
本邦に用るところとハ少しくたかひたるゆへに図し
たる也、此外屋に用る諸木のうち、棟木は造れる
さま常の柱とたかふ事あらす、是を夷語にキタイ
ヲマニといふ、キタイは上をいひ、ヲマは入る事をいひ、ニは
木をいひて、上に入る木といふ事なり、梁は前に図し
たる桁と同しさまに造りて用ゆ、是を夷語に
イテメニといふ、其義解しかたし、追て考へし、又
本邦の茅屋にながわ竹を用る如くにつかふ物をリカ
ニといふ、是は細き木の枝をきりてゆかミくるいとふ有
ところは削りなをして用る也、此三種のもの大小のたかひ
あるのミにて、いつれも常の柱とことなる事ハなきゆへ、
別に図をあらハすに及はす、
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☆ 「さす」というのはもともとわが国のことばで、茅葺きの家を造るとき、図のように左右から木を合わせたものをいうのである。これをアイヌ語でなんというのか聞くのを忘れたので、改めて聞きただすことにしよう。
(さすは)わが国で用いているものとはすこし違っているので図示したのである。このほか、家で使う種々の木のうち、棟木を造るようすは通常の柱と違うことはない。これをアイヌ語でキタイヲマニという。キタイ【キタイ:kitay/てっぺん、屋根】は上ということ、ヲマ【オマ:oma/にある、に入っている】は入ることをいい、ニ【ニ:ni/木】は木をいうから上に入る木ということである。
梁は前に図示した桁と同じように造って使う。これをアイヌ語でイテメニ【イテメニ:itemeni/梁】という。その意味は解釈できない。改めて考えてみたい。
また、わが国の萱葺きの家でながわ竹?を用いるように使うものをリカニという。これは細い木の枝を切って、ゆがみや狂いなどがあるときは削りなおして使うのである。これらの三種類のものは、大小の違いあるのみで、どれも通常の柱と違いはないので、格別、図示することはしない。 |
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第7巻, 15ページ, タイトル: ハルケの図 |
| ハルケは縄をいふ也、此語の解いまた詳ならす、追て
かんかふへし、凡夷人の縄として用るもの三種有、
其一は菅に似たる草をかりて、とくと日にほし、
それを縄になひて用ゆ、この草は松前の方言に
ヤラメといふものなり、
此草の名夷語に何といひしにや尋る事をわすれ
たるゆへ、追て糺尋すへし、夷人の用る筵よふのものにて
キナと称するものもミな此草を編て作れる也、夷地の
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☆ ハルケ【ハ*ラキカ:harkika/縄】は縄のことをいうのである。このことばの解釈はまだよくわからないので、改めて考えることにしたい。総じて、アイヌの人びとが縄として使うものには三種類がある。そのひとつは、
菅に似た草を刈って、よく日に干してそれを縄に綯って使う。この草は松前の方言でヤラメというものである。
<註:この草の名をアイヌ語でなんというのか聞くことを忘れたので、改めて聞きただす
ことにしたい。アイヌの人びとが用いる筵のようなもので、キナ【キナ:kina/ござ】というものもすべ
てこの草を編んで作るのである。蝦夷地の
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第7巻, 16ページ, タイトル: |
| うち卑湿なるところに多く生するもの也、
二にハ藤葛を用ゆ、三には野蒲萄の皮をはきて其侭
用ゆ、藤葛を夷語に何といひしにや尋る事をわすれ
たるゆへ、追て糺尋すへし、野蒲萄の皮はシトカフといへり、
シトは蒲萄をいひ、カフは皮をいふ也、此三種のうち草を
なひたる縄と藤葛の二つは材木を結ひ合セ、屋のくミ
たてをなすとふの事に用ひ、野蒲萄の皮ハ屋を葺に用
ゆる也、まれにハ前の二種を用て屋を葺事あれとも
腐る事すミやかにして便ならす、たゝ野蒲萄の皮のミハ
ことに堅固にして、数年をふるといへとも朽腐する事なき
ゆへに多くハ是のミを用る也、三種のさまのかハりたるは図を
見て知へし、屋を葺の草すへて五種あり、一つにハ
茅を用ひ、二にハ蘆を用ひ、三には笹の葉を用ひ、四にハ
木の皮を用ひ、五にハ草を用ゆ、此五種のうち多くハ草と茅
との二種を用る也、五種のもの各同しからさる事は、後の
居家全備の図に委しくミえたる故、別に図をあらはすに及ハす、
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なかで土地が低くて湿気が多いところに
多くはえているのである。>
ふたつめは藤葛を使用する。みっつめは野葡萄の皮を剥いで使う。藤葛をアイヌ語で アイヌ語でなんというのか聞くのを忘れたので、改めて聞きただすことにしよう。野葡萄の皮はシトカフという。シト【ストゥ:sutu/ぶどうづる】は葡萄をいい、カフ【カ*プ:kap/皮】は皮をいうのである。この三種類のうち、草を綯った縄と藤葛のふたつは材木を結び合わせて家屋の組み立てをするなどのことに用い、野葡萄の皮は屋根を葺くのに用いるのである。まれには前のふたつ(草と藤葛)を使って屋根をふく事があるけれども腐ることが早いので都合がよいとはいえない。わずかに野葡萄の皮だけがとりわけ丈夫で、数年たっても朽ちたり腐ったりすることがないので、多くはこれだけを使うのである。三種類のようすの違いは図を見て理解してほしい。
屋根を葺く草はみんなで五種類ある。ひとつには茅を使い、ふたつには芦を使い、みっつめは笹の葉を使い、四つめは木の皮、いつつめは草を使う。このいつつのうち、多くは草と茅の二種類を用いるのである。この五種がおのおの同じでないことは後の「居家全備の図」に詳述したのでここではかくべつ図示はしない。
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第7巻, 18ページ, タイトル: |
| 前に図したるものミな備りてより、家を立る
にかゝるなり、先つ初めに屋のくミたてをなす
事図の如し、是をシリカタカルと称す、シリは下の事
をいひ、カタは方といはんか如し、カルは造る事をいひ
て、下の方にて造るといふ事なり、これは夷人の境、
万の器具そなハらすして、梯とふの製もたゝ独木に
脚渋のところを施したるのミなれは、高きところに
登る事便ならす、まして 本邦の俗に足代
なといふ物の如き、つくるへきよふもあらす、然るゆへ
に柱とふさきに立るときは屋をつくるへきた
よりあしきによりて、先つ地の上にて屋のくミ立を
なし、それより柱の上に荷ひあくる事也、これ屋の下の
方にて造れるをもてシリカタカルとはいふ也、右屋の
くミたて調ひ荷ひあくる計りになし置て、其大小
広狭にしたかひて柱を立る事後の図のことし、
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☆ 以上に図示したものがみんなそろってから、家を建てるのにかかるのである。まずはじめに屋根の組みたてをすること図のとおりである。これをシリカタカルという。シリ【シ*リ:sir/地面】は下のことをいい、カタ【カ タ:ka ta/の上 で】は方というのとおなじであり、カル【カ*ラ:kar/作る】は作ることをいって、下の方で造るということである。
これはアイヌの人びとの国ではたくさんの有用な道具がそろっていないので、はしごなどをこしらえるのもただ丸木に足がかりを彫っただけなので高いところに上るには向いていない。まして、わが国のならわしにある足がかり?などというようなものを造ることもしない。だから、柱などをはじめに建ててしまったら、屋根を造るのにぐあいが悪いので、まず、地上で屋根の組み立てをおこなって、それから柱の上にかつぎ上げるのである。このように、屋根を下の方で造るのでシリカタカルというのである。右のように、屋根を組み立て整えておいて、かつぎ上げるばかりにしておいて、その家の大小や広い狭いにしたがって柱を建てるようすは後の図に示しておいた。
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第7巻, 19ページ, タイトル: トントアシの図 |
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第7巻, 20ページ, タイトル: |
| 屋のくミたてとゝのひてより、それを地上に置て
其形の大小広狭にしたかひ柱をならへ立るなり、
是をトンドアシといふ、トンドは柱をいひ、アシは
立事をいひて、柱を立るといふ事也、其柱を
たつるに図の如く根のかたを少しく外の方に
斜に出して立る事は屋を荷ひ上るの時、頭の
ところのよく桁と合ん事をはかりて也、柱を
立る事終りてより屋をになひ上る事、後の
図の如し、
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☆屋根の組み立てが整ってから、それを地上に置いておき、そのかたちの大小広狭によって、柱を並べて建てるのである。
これをトンドアシという。トンド【トゥントゥ:tuntu/(大黒)柱】は柱をいい、アシ【アシ:asi/を立てる】は立てることをいって、柱を立てるということである。その柱を立てるのに、図のように根の方をすこし外の方に斜めに出して立てるのは、屋根をかつぎ上げるとき、頭のところと桁とがよく合うように考えているからである。柱を立て終わってから屋根をかつぎ上げることは後の図に示した。 |
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第7巻, 24ページ, タイトル: |
| 是は家のくミたてとゝのひてより、屋をふくさま也、
キタイマコツプといへるは、キタイは屋をいひ、マコツプは葺
事をいひて、屋をふくといふ事也、屋をふかんとすれは、蘆
簾あるは網の破れ損したるなとを屋をくミたてたる
木の上に敷て、其上に前に録したる葺草の中いつれ
なりともあつくかさねてふく也、こゝに図したるところハ
茅を用ひてふくさま也、この蘆簾あるハ網とふのものを
下に敷事ハ、くミたてたる木の間より茅のこほれ落るを
ふせくため也、家によりては右の物を用ひす、木の上を
すくに茅にてふく事もあれとも、多くは右のものを
下に敷事なり、
ここにいふ蘆簾は夷人の製するところのものなり、
網といへるも同しく夷人の製するところのものにて、
木の皮にてなひたる縄にてつくりたるものなり、
すへて夷人の境、障壁とふの事なけれハ、屋のミにかき
らす、家の四方といへとも同しくその屋をふくところの
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☆これは家の組み立てができてから屋根を葺くようすである。キタイマコツプというのは、キタイ【キタイ:kitay/てっぺん、屋根】は屋根をいい、マコツプ【アク*プ?:akup?/葺く】は葺くことをいうので、屋根を葺くということである。屋根を葺こうとするには、芦簾あるいは網の破れ損じたものなどを屋根を組み立てる木の上に敷いて、その上に前述の葺き草のうち、どれでも厚く重ねて葺くのである。ここに図示したのは茅を用いて葺いているようすである。
この芦簾あるいは網などのものを下に敷くことは、組み立てた木の間より茅が零れ落ちるのを防ぐためである。家によってはそれらを使わず、木の上に直に茅で葺くこともあるけれども多くは右にあげたものを下に敷くのである。
<註:ここでいう芦簾アイヌの人びとが造ったものである。網も同じくアイヌ製のもので
木の皮を綯って造ったものである。>
総じてアイヌの人びとの国には障子や壁などというものがないので、屋根ばかりではなく、家の四周さえも同様にその屋根を葺く茅で囲うの
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第7巻, 32ページ, タイトル: |
| 此図はシラヲイの辺よりヒロウの辺にいたる
まての居家全備のさまにして、屋は蘆をもて
葺たるなり、是をシヤリキキタイチセと称す、シヤリ
キは蘆をいひ、キタイは屋をいひ、チセは家を
いひて、蘆の屋の家といふ事なり、此辺の居家
にては多く屋をふくに蘆のミをもちゆ、下品
の家にてはまれに茅と草とを用る事もある
なり、
右二種の製は四方のかこひを藩籬の如くになし
たるなり、
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☆この図はシラヲイのあたりからヒロウのあたりまでの家の完備したようすで、屋根は芦で葺いている。これをシヤリキキタイチセという。シヤリキ【サ*ラキ:sarki/アシ、ヨシ】は芦のこと、キタイ【キタイ:kitay/てっぺん、屋根】は屋根、チセ【チセ:cise/家】は家をいうから、芦の屋根の家ということである。このあたりの家の多くは屋根を葺くのに芦だけを使う。下品の家ではまれに茅と草とを用いることもある。
右に図示した二種の造りは四方の囲いを垣根のようにしてある。 |
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第7巻, 33ページ, タイトル: ヤアラキタイチセの図 |
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第7巻, 35ページ, タイトル: |
| 是はビロウの辺よりクナシリ島にいたるまての
居家全備のさまにして、屋は木の皮をもて
葺たるなり、是をヤアラキタイチセと称す、ヤア
ラは木の皮をいひ、はタイチセは前と同しことにて、
木の皮の屋の家といふ事なり、たゝしこの木の
皮にてふきたる屋は、日数六七十日をもふれは
木の皮乾きてうるをひの去るにしたかひ裂け
破るゝ事あり、其時はその上に草茅とふをもて
重ね葺事也、かくの如くなす時は、この製至て
堅固なりとす、しかれとも力を労する事ことに深き
ゆへ、まつはたゝ草と茅とのミを用ひふく事多し
と知へし、木の皮の上を草茅とふにてふきたる
さまは、後の図にミえたり、
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☆ これはビロウのあたりからクナシリ島にいたる家屋完備のようすである。屋根は木の皮で葺いている。これをヤアラキタイチセという。ヤアラ【ヤ*ラ:yar/樹皮】は木の皮をいい、キタイチセは前とおなじことで、木の皮の屋根の家ということである。ただし、この木の皮で葺いた屋根は日数六、七十日もたてば、木の皮が乾いて潤いがなくなるにしたがって、裂けて破れることがある。そのときは上に草や茅などでもって重ねて葺くのである。このようにしたときは、造りはいたって丈夫であるという。しかしながら、この作業は労力がたいへんなので、一応は草と茅だけを使って葺くことが多いと理解しておいてほしい。木の皮の上に草や茅などでふいているさまは後に図示してある。
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第7巻, 41ページ, タイトル: |
| プは夷人の物を入れ置ところにして、
本邦にいはゝ蔵の如きもの也、プといへるはもと器の
事にもいへり、たとへは矢を入る筒をアイイヨツプ
といふか如し、アイは矢をいひ、イヨツは入るをいひ、プは
器をいひて、矢を入る器といふ事也、又物といふ事にもきこ
ゆるにや、アイイヨツプといふを矢を入る物とも解すへし、然れ
とも物といふ語は別にベといふ事ある時は、いつれ器と
解するを得たりとす、しかれハ何のプ某のプといふときは
器の事になり、たゝプと計りいふときは蔵の事になる也、これは
蔵といへるも、もと物を入れをくところゆへ同しく
器の類といふ心にてかくいふと見ゆるなり、
プといへるの解は、委しく語解の部にミえたり、
すへて此等の事、夷人の境言語のかすすくなく
して、物をかねていふゆへなり、
言語のかす少して、言は一つにて物をかねていふ
といへる事は、アユシアマヽの部に委しくミえたり、
|
☆プ【プ:pu/倉】はアイヌの人びとが物を入れておくところで、わが国でいう蔵のようなものである。プというのはもと器のことにもいう。たとえば、矢筒をアイイヨツプというように、アイ【アイ:ay/矢】は矢、イヨツ【オ:o/に入っている】は入れるをいい、プ【*プ:p/もの】は器をいって、矢を入れる器ということである。また、プは物ということという意味があるのかもしれない。アイイイヨツプを矢を入れる物とも解釈できる。しかしながら、物という語はほかにベ【ペ:pe/もの】という語もあり、どのみち器という意味に解釈することができる。だから、「何のプ」「だれそれのプ」というときは器のことになり、ただ、プとだけいうときは蔵のことになるのである。これは蔵といえども、もともと物を入れておくところなのでおなじく器のたぐいという意味あいがあってこのようにいうのであろう。
<註:プの解釈は、詳しくは「語解の部」にある。>
【●校訂者註:厳密に言うと、プpuと*プpは別の単語である。また、「もの」という意味の*プpとペpeは、直前の音が母音の場合は*プp、子音の場合はペpeのかたちをとる】
総じて、これらのようなことおこるのは、アイヌの人びとの国では語彙のかずが少ないので物を兼ねていうからである。
<註:語彙数が少ないのでことばひとつでいくつかの物をかねていうことは「アユシア
マヽの部」に詳しい。>
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第7巻, 43ページ, タイトル: エリモシヨアルキイタの図 |
| エリモシヨアルキイタといふは、エリモは鼠を
いひ、シヨアルキは来らすといはんか如し、
イタは板の事にて、鼠の来らさる板といふ事なり、
是は前に図したる如く、蔵の床を高くなし
て鼠をふせくといへとも、なを柱をつたひ上らん事を
はかりて、床柱の上に図の如くなる板を置、のほる
事のならさるよふになす也、すへて夷人の境、鼠
多して物をそこなふゆへ、さまーーに心を用ひて
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☆ エリモシヨアルキイタというのは、エリモ【エ*レム、エル*ム:ermu, erum/ネズミ】はねずみをいい、シヨアルキ【ソモ ア*ラキ:somo arki/ない 来る→来ない】は来ないというような意味、イタ【イタ:ita/板】は板のことで、ねずみが来ない板という意味である。
これは前に図示したように蔵の床が高くなっていてそれでねずみを防ぐのではあるけれども、さらに柱を伝いあがってくるかもしれないことを考えて、床柱の上に図のような板をおいて、登ることがないようにするのである。総じて、アイヌの人びとの国はねずみが多くて物が被害にあうのでさまざまに用心して |
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第7巻, 44ページ, タイトル: |
| ふせく事なり、アツクウなといへる物を製して
鼠を捕る事もあり、
アツクウの図は、器財の部にミえたり、
しかれともいまた猫をやしなふ事流布なさる
ゆへ、心を労するのミにして物をそこなハるゝ事
多しと知へし、此板を床柱の上に置ところの
さまは前に出せる蔵の図を合セ見てしるへし、
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防ぐのである。アツクウ【アック:akku/弓のついた罠】などを造ってねずみを捕らえることもある。
<註:アツクウの図は「器財の部」にある。>
しかしながら、いまだに猫を飼うことが広まっていないので、心労のわりには物の害が多いことを理解してほしい。この板を床柱の上に置いたところのようすは前に図示した蔵の図とあわせ見て理解してほしい。 |
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第8巻, 4ページ, タイトル: |
| 夷人のうち悪事をなす者あれハ、其所の夷人
ならひに親族のもの集りて、図の如くに其者を
拷掠し、罪を督す事也、是をウカルといふ、此語の
解未さたかならすといへとも、夷語に戦の事をも
ウカルといふ事あり、
戦の事をイトミともいひ、またウカルとも
いふ也、夷人の戦といへる事ハ、意味殊に深き事にて、
委しくハ戦の部にみえたり、
これハ 本邦辺鄙の人の言葉に、人を強く
うち倒す事をウチカスムルといふ事あり、戦は
いつれ人をうち倒すをもて事とするゆへ、此
言葉を略してウカルとはいふなるへし、さらは
此処にて人の罪あるを督すも、又拷掠するを
以てのゆへに同しくウカルとハ称するにや、
ここにウカルのさまを図したる事ハ、夷人に
望て其行ふさまをなさしめて其侭を図し
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☆ アイヌのなかで悪事をはたらくものがあれば、そのところのアイヌの人びとやかれの親族のものが集まって、図のようにかれをむち打って罪を責めとがめることがある。これをウカル【ウカ*ラ?:ukar?】というが、このことばの意味はまだよくわからないけれども、アイヌ語にいくさのことをウカルということがある。
<註:いくさのことはイトミ【イトゥミ:itumi/戦争】ともいい、またウカルともいうのである。アイヌの人びとの
いくさというのは、その意味にことさら深いものがあるが、詳しくは「いくさの部」
に述べてある>
これはわが国の辺鄙な土地に住んでいる人びとのことばに、人を強く打ち倒すことをウチカスムルということがある。いくさはどのみち人を打ち倒すことが目的なので、このことばを略してウカルというのであろう。そうであるならばこのところで人の罪をただすのも、また、むち打って罪を責めとがめるということであるからおなじくウカルというのではなかろうか。
<註:ここにウカルのようすを図示したのは、アイヌの人びと頼んでそれを行なうようす
をしてもらってそのままを描い
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第8巻, 5ページ, タイトル: |
| たる也、是を行ふ事、たゝに刑罰の事のミとも
きこえす、時によりてハ其者を戒め慎ましめんか
ために行ふ事もありとミゆる也、後にしるせる
六種の法を見て知へし、
これを行ふの法、すへて六つあり、其一つは前に
いふ如く、悪行をなしたるものを打て其罪を督す也、
二つにハ夷人の法に、喧嘩争闘の事あれハ、負たる
者のかたよりあやまりの証として宝器を出す也、
是をツクノイと称す、
此宝器といへるは種類甚多して事長き故に、
こゝにしるさす、委しくハ宝器の部に見へたり、
其ツクノイを出すへき時にあたりて、ウカルの法を
行ひ拷掠する事あれハ、宝器を出すに及ハすして
其罪を免す事也、三つには人の変死する事有
とき、其子たる者に行ふ事あり、是ハ非業の死なる
ゆへ其家の凶事なりとて、其子を拷掠して恐懽
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たものである。これを行なうことはただ刑罰のため
だけとも解釈できない。時によってはその者を戒めてつつしませるために行なうこ
ともあるらしい。後述する六種の法を見て考えてほしい>
ウカルを行なうしきたりにはみんなで六種類ある。
そのひとつは前述のように、悪いことをしたものを打ってその罪をただすことである。ふたつめはアイヌの人びとのおきてに、けんかや争い事があれば、負けた方からお詫びのしるしとして宝物を差し出すことがある。これをツグノイ【トゥクナイ?:tukunay?/償い】という。
<註:この宝物というのは種類がとても多く、説明すると長くなるのでここには述べな
い。詳しくは「宝器の部」に記してあるので参照されよ。>
そのツグノイを差し出すに際して、ウカルを行なってむち打たれることがあれば、宝物を差し出す必要はなくして、その罪が許されるのである。みっつめは、人が変死したときにその子に行なうことがある。変死というのは非業の死なので、その家の凶事であるから、その子をむち打って怖れ
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第8巻, 7ページ, タイトル: |
| イトは鼻をいひ、ラスケは截るをいひて、鼻を截るといふ
事也、是ハ不義に女を犯したる者を刑する也、凡夷人の
境風俗純朴なるによりて、盗賊とふの事もすくなく、
其あやまりの証として宝器を出さしめ其罪を償ハする
なり、此三種の刑罰其義未詳ならさる事共多き
ゆへ、まつ其大略をこゝに附して記せる也、追て糺尋のうへ、
部を分ちて録すへし、
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イト【エトゥ:etu/鼻】は鼻をいい、ラスケ【ラ*シケ?:raske/を剃る?】は切るという意味だから、鼻を切るということである。これは不義密通で女性と関係もった男へのしおきである。おしなべて、アイヌの人びとの国ぶりは心が素直で人情が厚いので、盗賊などのことも少なく、まして殺人などはまれなので、刑罰の種類も多くはない。ここでいう鼻を切るなどはもっとも重罪にあたるのである。
サイモニというのは、このことばの解釈はまだよくわからないが、その方法は例えば罪を犯したものがあって、取調べをつくしてもあえてその罪を認めないとき、熱湯を用意してそれに手を入れさせて嘘か誠かただすのである。古い記録に武内宿祢がおこなったとある探湯の法というものであろう。この刑を行なうのは多く女性に対してである。
ツクノオイというのは、とりもなおさず、償うという意味で、前述のように、罪を犯したことがあればそのお詫びのしるしとして宝物を差し出させて罪を償わせるのである。この三種類の刑罰については、その意味がまだよくわからないことも多くあるけれども、まず、そのおおよそをここにあわせて記しておく。おって聞きただしたうえで、部を分けて記録することにしよう。
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第8巻, 9ページ, タイトル: |
| 是はウカルを行ふの時、拷掠するに用る杖なり、
シユトと称する事はシモトの転語なるへし、
本邦の語に□笞をしもとゝ訓したり、
これを製するには、いつれの木にても質の堅固
なる木をもて製するなり、其形ちさまーー変り
たるありて、名も又同しからす、後に出せる図を
見てしるへし、此に図したるをルヲイシユト
と称す、ルとは樋をいひ、ヲイは在るをいひて、
樋の在るシユトといふ事也、後に図したる如く
種類多しといへとも、常にはこのルヲイシユト
のミを用ゆる事多し、夷人の俗、此具をことの
外に尊ひて、男の夷人はいつれ壱人に壱本
つゝを貯蔵する事也、人によりてハ壱人にて
三、四本を蔵するもあり、女の夷人なとには
聊にても手をふるゝ事を許さす、かしらの
ところにハルケイナヲを巻て枕の上に懸置也、
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☆ これはウカルをおこなうとき、むち打つのに用いる杖である。シユトという語はシモトの転語であろう。
<註:わが国のことばで楉笞を「しもと」と訓じている>
これを作るには、どんな木でも木質の堅い木を用いる。そのかたち、いろいろ変ったものがあって、名称も同じではない。あとに出した図を見て理解してほしい。
ここに図示したものをルヲイシユト【ruosutuあるいはruunsutu→ruuysutuか?】という。ル【ル:ru/筋】は樋をいい、ヲイ【オ:o/にある。ウン→ウイ?:un→uy?/ある?】は在るということで、樋の在るシユト【ストゥ:sutu/棍棒、制裁棒】ということである。後に図示したように種類は多くあるが、通常はこのルヲイシユトのみを使うことが多い。
アイヌの人びとのならいでは、この道具をことのほか尊んで、男はみなひとり一本づつもっているのである。ひとによっては、ひとりで三、四本をもっているものもあるが、女などにはわずかでも手を触れることを許さない。その頭のところにはハルケイナヲ【ハ*ラキ● イナウ:harki inaw/●】を巻いて、枕の上に掛けておくのである。
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第8巻, 11ページ, タイトル: ジアユウシシユトの図 |
| ジアユウシシユト
いへるは、シは肬をいひ、
アユは刺し痛むを
いひ、ウシは在るをいひ
て、いほのさす事ある
シユトといふ事なり、
是は図の如くにいぼ
の在るシユトにて、拷掠
する時右のいぼ肉を
さし痛むゆへに斯ハ
いへるなるへし、
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☆ジアユウシシユトというのは、シ【?】はいぼをいい、アユ【アイ:ay/とげ】は刺して痛いことをいい、ウシ【ウ*シ:us/がある】は在るという意味で、いぼの刺すことがあるシユトということである。
これは図のようにいぼがあるシユトであって、むち打つとき、そのいぼが肉をさすので痛むためにこのようにいうのである。
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第8巻, 12ページ, タイトル: アカムシユトの図 |
| アカムシユトと
いへるは、アカムは車を
いひて、車のシユト
といふ事なり、此
製作は節々の
高く出たるところ
車の輪のことく
なる故にかくは
いへるなり、
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☆アカムシユトというのは、アカム【アカ*ム:akam/輪】は車のことで、車のシユトという意味である。この作りようは節ぶしが高く出たところが車輪のようなのでこのようにいうのである。
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第8巻, 16ページ, タイトル: |
| ケフヲイシユトといへるは、ケは毛をいひ、フはま
はらなる事をいひ、ヲイは在る事をいひて、
毛のまハらに在るシユトといふ事なり、これは
海獣の皮を細長く切りて図の如くにシユトの
かしらに巻たるゆへ、其毛のまハらに在るを以て
かくはいへるなり、
ここに海獣としるしたるは、奥羽松前とふの
方言にトヾといへるもの也、夷人の言葉に何と
いひしにやわすれたるゆへ、其名をしるさす、追て
録すへし、
右に図したる六種の外にも形ちのかはりたる
シユトさまーーあるよしをいひも伝ふれと、まさし
く見たる事にあらさるゆへしるさす、追て糺尋
のうへ録すへし、
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☆ケフヲイシユトというのは、ケ【ケプ*ル:kepur/毛皮の毛を抜いたもの?】は毛のことをいい、フはまばらなこと、ヲイ【オ:o/にある。ウン→ウイ?:un→uy?/ある?】は在るということで、毛のまばらに在るシユトのことである。これは海獣の皮を細長く切って図のようにシユトの頭に巻いているので、(海獣の皮に)毛がまばらにあるのでこのようにいうのである。
<註:ここに海獣と記したのは、奥羽、松前などの方言にトドというもののことである。アイヌ語でなんというのか忘れたので、その名は記さない。おって記録することにしよう。
右に図示した六種類のほかにもかたちの変ったシユトがいろいろあると伝えているが、確かに見たことがないので記録しない。いずれ聞きただしたうえで記録することにしよう。>
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